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余話 馴化

【宇野啓介】


宇野啓介は、しばらく動けなかった。


森だった。


木。


土。


湿った葉。


見たことのない場所。


さっきまで教室にいた。


机があった。


椅子があった。


誰かの声もあった。


それが、いきなり森になった。


宇野は周囲を見る。


右。左。後ろ。


「……いや、何」


声は出た。


返事はない。


誰もいない。


知らない森の中にいた。


宇野は息を吐いた。


落ち着け。


まず落ち着け。


そう考えたが、何をすれば落ち着くのか分からなかった。


その時、視界の端に文字が出た。


【ギフト:空間移動】


宇野は固まった。


「ギフト?」


文字はしばらくして消えた。


だが、意識を向けると、また薄く浮かぶ。


空間移動。


意味は分かる。


自分にできると言うのだろうか。


できるとして、どう使うのか。


使ったらどうなるのか。


宇野は足元を見る。


その場に立ったまま、少しだけ膝を曲げる。


跳ぶのか。


歩くのか。


念じるのか。


「いや、待て」


変な場所へ飛んだらどうする。


地面の中に出たらどうする。


木に重なったらどうする。


空中に出たらどうする。


宇野は森を見る。


倒木がある。


少し離れた場所。


十歩くらい先。


そこなら見える。


地面も見える。


木には重ならない。


行き先としては、まだ安全に見える。


宇野は倒木の横を見る。


そこへ行く。


「……行く」


小さく言う。


まだ何も起こらない。


宇野は唇を結ぶ。


目を閉じる。


すぐ開ける。


目を閉じたら行き先が見えない。


もう一度、倒木の横を見る。


行く。


次の瞬間、景色がずれた。


足元が消える。


胃が浮く。


木の位置が変わる。


宇野は倒木の横に立っていた。


「うわ」


思わず声が出た。


振り返る。


さっきまで立っていた場所が見える。


十歩ほど先。


本当に移動している。


「え、すご」


声が少し上がった。


もう一度、さっきの場所を見る。


戻る。


景色がずれる。


宇野は元の場所に立っていた。


「すご」


今度ははっきり言った。


怖さより先に、胸が少し浮いた。


もう一度。


倒木の横。


戻る。


少し先の岩。


戻る。


木の根の向こう。


戻る。


宇野は何度か試した。


目で見える場所なら行ける。


見えている地面なら、そこへ立てる。


宇野は少し笑った。


「これ、便利すぎるだろ」


森の中に一人でいることを、一瞬だけ忘れた。


少し遠い場所を見る。


木と木の間。


そこへ飛ぶ。


着地。


また周囲を見る。


さらに奥。


そこへ飛ぶ。


着地。


だんだん分かってくる。


見えた場所へ行ける。


見えない場所へは行けない。


似たような木ばかりだと、どこを見ているのか分からなくなる。


行き先を決めないと発動しない。


宇野は足を止める。


日本。


教室。


自分の席。


家。


駅。


コンビニ。


頭の中に浮かべる。


宇野は教室を思い出す。


窓際。


黒板。


自分の机。


戻る。


何も起こらない。


もう一度。


教室。


戻る。


何も起こらない。


宇野は眉を寄せる。


「……だよな」


家を思い出す。


玄関。


靴。


廊下。


戻る。


何も起こらない。


駅。


コンビニ。


学校の門。


どれも駄目だった。


宇野は口を閉じた。


少し前まであった浮いた感じが消えていく。


便利なのは間違いない。


でも、日本には戻れない。


少なくとも、今は戻れない。


宇野は森を見る。


どこも同じに見える。


何度か移動したせいで、最初にいた場所も分からなくなりかけている。


「……まずいな」


声が低くなる。


この力は使える。


どこへ行くか。


どこへ行けばいいか。


それは分からない。


宇野は東西南北を考えようとした。


分からない。


太陽の位置を見る。


木の枝が邪魔をする。


上を見ても、森の外がどちらかは分からない。


このままここにいるか。


動くか。


動いて間違えたらどうする。


戻れるか。


見えている場所なら戻れる。


でも、何度も移動したら、どこがどこか分からなくなる。


宇野はしばらく考えた。


考えている間に、時間だけが過ぎる。


それもまずい。


誰かがいるかもしれない。


誰もいないかもしれない。


出口が近いかもしれない。


反対かもしれない。


分からないことばかりだった。


宇野は息を吸う。


間違えたら、戻る。


戻れなかったら、また考える。


それしかなかった。


宇野は木々の隙間を見る。


少しだけ明るい場所がある。


そこへ行く。


そう決める。


足元を確かめる。


行き先を見る。


宇野は瞬きをした。


景色がずれる。


森の奥へ出た。


また木々を見る。


次の明るい場所を探す。


宇野は、森の中を進み始めた。



【森本悠真】


森本悠真は、尾根へ戻る手前で足を止めた。


息が乱れている。


足の裏が熱い。


喉が乾いていた。


それでも、すぐには進まない。


背後を見る。


男は追ってきていない。


森本はポケットの中の電池に触れる。


二発。


まだある。


森本は尾根へ上がる。


木が疎らになる。


空が少し広がる。


斜面の下が見える。


見える場所。


隠れられる場所。


撃てる場所。


やっと、自分の場所に戻った気がした。


そして、安藤蓮の死体が見えた。


森本は足を止める。


安藤は、さっきと同じ場所に倒れている。


腕の位置も変わっていない。


制服の背中が土に触れている。


首元の黒いところが広がっていた。


森本はしばらく見た。


仇を討つ。


そんな気持ちはなかった。


怒りがないわけではない。


だが、あの男を撃ったのは、安藤のためではなかった。


自分が生きるためだった。


それでも、仕留めきれなかった。


男はまだ森の中にいる。


他にも同じクラスの人間が来ているなら、また誰かが殺されるさもしれない。


森本は安藤を見る。


埋めることはできない。


弔うこともできない。


ここに長くいれば、次は自分が見つかる。


これからどうするか。


この尾根に残るか。


男は西側にいる。


自分は今、尾根にいる。


高い場所。


射線の通る場所。


ここなら戦える。


だが、夜が来る。


暗くなれば見えない。


見えなければ撃てない。


森本は東を見る。


森の奥は暗い。


木々の間に、薄い光が残っている。


夜になる前に、東へ行く。


まず外へ出る。


そう決めた。


森本はもう一度、安藤を見る。


せめて、道の端へ動かすか。


このままでは、尾根へ来た者が最初に見る。


見せたくはなかった。


だが、すぐに考え直す。


見た方がいい。


別の同級生がここへ来るかもしれない。


安藤を見れば、この森に殺す人間がいると分かる。


倒れている理由を考える。


逃げるかもしれない。


警戒するかもしれない。


動かせば、その警告を消すことになる。


森本は唇を噛む。


「悪い」


声は小さかった。


安藤は返事をしない。


森本は安藤の近くへ膝をついた。


安藤のブレザーに手をかける。


指が少し震える。


脱がせるのに時間がかかった。


片腕が体の下に入っている。


無理には引かない。


動かせる範囲だけで外す。


布が土に擦れる。


森本はブレザーを広げた。


安藤の上にかける。


森本は周囲を見る。


少し平らな土の上を選ぶ。


指で地面を削り文字を書く。


この世界の住民を信用するな


安藤は殺された


森本は文字を見る。


読む者がいるかも分からない。


風で崩れるかもしれない。


誰かに消されるかもしれない。


それでも、何も残さないよりはいい。


森本は立ち上がる。


もう一度、安藤を見る。


「悪い」


同じ言葉しか出なかった。


森本は東へ向く。


ポケットの中の電池に触れる。


二発。


撃てることを忘れないために触れる。


森本は尾根を離れる。


木々の薄い場所を選ぶ。


射線の通る場所を選ぶ。


東へ進む。


背後は見ない。

作者メモ


第二章スタディー版のおまけです。


タイトルは「馴化」。


余第二章に出てきたキャラクターの心理や行動を、少し時系列をずらして掘る回にしました。


前半は宇野啓介です。


宇野は、転移直後の話です。

何も分からない。

どこにいるのかも分からない。

それでも、視界に出たギフトの文字を見て、少しテンションが上がる。


宇野は臆病というより、決断に至るまでが少し遅い高校生と言う性格にしました。

一度試すまでに悩む。

試して成功すると、少し浮かれる。

ただ、そのあとすぐに現実へ戻される。

普通の男子高校生っぽいリアクションを考えて書きました。


このあと宇野は、佐伯とグレッグにひたすらストレスを与えられ続けられるので、せめて最初だけは、普通の異世界転移主人公っぽい時間があったよ。という話にしました。ただ書いてみて分かりましたが宇野がストレスを与えられてる時の方が筆が進むんですよね。


後半は森本悠真です。


こちらは、退却した後の話です。

尾根へ戻った森本が、安藤蓮の遺体を改めて見る。

その時に何を思い、何を考え、どう行動するのかを書きました。

森本については、ギフトの機能だけではない部分を少し見せたいなと。

スナイパーとしての機能重視の描写になってしまったので、森本も迷うし、損得だけでは割り切れない判断もするよと。


このおまけは、宇野と森本の対比でもあります。同じ高校生で同じ慣れていくでも人それぞれで差がありますねと。


宇野は、ギフトを新しいおもちゃのように試す。

森本は、ギフトを武器として精度を試し使ったあと、その結果と向き合う。


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