第18話 警網
太陽はまだ昇りきっていない。
王国南部地方司令部。
司令部の空気は冷えていた。
室内に響くのは、地図の上を滑る指先の音と、筆記具が紙を擦るかすかな音だけだった。
転移民関税管理局からの報告書が机上に置かれる。
確認済み異邦人は八名。
処理済み三名。
未処理五名。
総数は未確定だった。
生存者五名のギフトも不明。
机上に地図が広がる。
西の森。東側。入口。谷。東第二区画。
司令官と参謀が地図を囲む。
赤い駒が置かれる。
「第一警戒線、発動」
低い声が響く。
司令官は先発隊百二十名を投入した。
先発隊は地方司令部の直轄部隊であり、先発隊指揮官が現地指揮を執る。
その指揮下には三個部隊に分けられた。
街道封鎖隊 二十名。
入口封鎖隊 六十名。
東第二区画派遣隊 四十名。
街道封鎖隊は東側街道の監視と封鎖。
入口封鎖隊は森最大の出口の封鎖。
東第二区画派遣隊は森内部の前進拠点を確保し、斥候運用と情報集約。
現地の三隊はそれぞれの任務を遂行しつつ、先発隊指揮官の統制下で行動する。
東第二区画は森の奥にある開けた場所だった。
後続部隊が入るなら、そこが足場になる。
司令官は地図から目を離さず告げる。
「囲まない」
筆が止まる。
「まず押さえる」
「先発隊による第一警戒線は、脱出経路を封鎖しつつ情報を集める」
三隊を軸に作戦が動き出す。
⸻
東側街道。
街道封鎖隊二十名。
斥候。本隊。後衛。
兵は一定間隔を保って前進する。
前装銃。火薬筒。鉛弾。槍。杭。縄。簡易幕。水袋。包帯。
封鎖資材は荷車に積まれている。
任務は監視と封鎖。
街道側の警戒線は、すでに展開を開始していた。
土の匂いが立ち上る。
兵たちの靴が地面を踏む湿った音が続き、装備の金具が小刻みに鳴る。
⸻
兵舎前。
入口封鎖隊六十名と東第二区画派遣隊四十名が出発準備を進める。
二十名単位で点呼が行われる。
武装。携行品。火薬。水。応急処置具。
確認が終わった隊から順次移動を開始する。
入口封鎖隊は森入口へ向かう。
東第二区画派遣隊はその後方から森内部へ進出する。
命令は三つ。
街道を押さえる。
入口を押さえる。
森内に拠点を築く。
兵舎前には革帯の油の匂いと汗の匂いが混じる。
怒鳴る点呼の声、荷車の軋み、銃床のぶつかる音が重なっていた。
⸻
西の森入口。
入口封鎖隊六十名が到着する。
左右に展開し、入口正面と周辺の斜面、谷側の抜け道を監視する。
銃兵と槍兵を配置し、四時間交代で警戒を継続。
ここは森から外へ出る最大の経路だった。
一人でも抜ければ街道へ出る。
その先には村や町がある。
兵が立つ。
森を見据える。
森の中から吹く風は冷たかった。
葉擦れの音が絶えず続き、どこかで鳥が飛び立つたびに兵たちの視線が動く。
⸻
東第二区画。
森入口から約三キロ内側。
東第二区画派遣隊四十名が進出する。
森の中に開けた空間がある。
木々に囲まれた浅い窪地。
確認されている数少ない開けた場所だった。
入口より奥にある。
外周封鎖線ではない。
森内作戦の足場だ。
まず現場整理が行われる。
異邦人遺体四体を回収し、広場を整地する。
担架。
布。
識別票。
砂袋。
石灰袋。
匂いが残る。
それでも作業は止まらない。
生暖かい空気の中に、腐敗臭が薄く漂う。
土を掘り返すたび、湿った臭気が立ち上る。
斧の音と木材を運ぶ掛け声が森に反響する。
死体のあった広場は、前進拠点へ変わっていく。
続いて設営開始。
仮設机。地図筒。水桶。弾薬箱。火薬箱。予備槍。布幕。折り畳み椅子。
補給物資と予備装備が運び込まれ、東第二区画は森内前進拠点として整備されていく。
やがて先発隊指揮官が前進拠点に入り、ここを現地指揮所とする。
街道封鎖隊、入口封鎖隊、東第二区画派遣隊からの報告はすべてここへ集約される。
先発隊指揮官は各隊へ命令を発し、三隊の行動を統制する。
街道封鎖隊が東側街道を監視する。
入口封鎖隊が出口を封鎖する。
東第二区画派遣隊が前進拠点を維持し、斥候運用と情報収集を行う。
三隊は別任務だが、指揮系統上は一つの先発隊として機能していた。
⸻
太陽は南を越え、まだ高い位置にあった。
まだ配置は完成してない。
地方司令部から新たな報告が届く。
追加で異邦人二名確認。
うち死亡一。
さらに現地担当職員からの報告。
異邦人数、最大三十。
高確度。
処理済みを除いても二十以上の可能性。
最初の八では終わらない。
報告は東第二区画の現地指揮所へ届けられる。
先発隊指揮官が内容を確認し、必要事項を各封鎖隊へ伝達する。
第一警戒線では足りない。
三隊による警戒網だけでは封じ切れない。
想定を超えている。
本隊は夜間から順次到着。
到着後、地方司令部の計画に従い第二線へ移行する。
先発隊指揮官は短く命じた。
「街道、入口、第二区画を維持」
「前線指揮官着任まで現配置を完成、保持」
「追加展開に備えろ」
返答が重なる。
地方部隊総力の作戦になる。
今はまだ第一警戒線にすぎない。
夜になれば本隊が来る。
外周にはさらに封鎖線が増える。
地図上には、まだ置かれていない駒の位置だけが増えていく。
太陽はなお高い。
夜は遠い。
森は、確実に閉じ始めていた。
第18話です。
今回は、軍そのものというより、ロジスティックを中心に書きました。
戦う前に何がどの順番で動いていくのか?
初稿は、かなり不親切なログのような文章でした。
数字。配置。命令。確認。展開。
それだけが並んでいる感じです。
個人的には好きな読み味だったのですが、さすがに読者が置いていかれると思ったので、スタディー版を書くついでに本編も大きく改稿しました。
この話でやりたかったのは、「王国だけど、かなり近代的な制度と軍を持つ国だ」という提示です。
舞台は異世界の王国です。
ただし、牧歌的な中世ファンタジー国家ではありません。
技術的には産業革命前の段階に近いところもある。でも、制度だけがかなり前に進んでいる。
制度、軍、化学技術、思想が均等に発展しているわけではない。
どこか歪んでいる。
では、なぜそうなったのか。
理由の一つは、過去に現れた転移者たちです。
異世界転移は、言ってしまえば、体系化されていない現代知識を持った人間が、別の時代や別の社会に突然入り込むようなものです。
本人に専門知識がなくても、断片は持っている。
学校で聞いた。映画で見た。ネットで知った。
社会制度についての雑な理解。
火薬、印刷、行政、軍隊、医療、物流、農業等についての断片的な知識。
それが断続的に世界へ流れ込んだら、社会はどう変わるのか。
きれいに近代化するのではなく、部分的に先へ進むと思っています。
技術だけが進む場所がある。
制度だけが進む場所がある。
軍だけが妙に合理化される場所がある。
一方で、倫理や思想や社会の受け皿は追いつかない。
その結果としてできた国です。
近代国家のような顔をした、まだ近代ではない王国。
報告と記録と命令で動く。
でも、その命令の先にあるのは、異邦人の処理です。
この歪みは、グレッグの役割にもつながっていきます。
そして軍は、グレッグとは別の形で制度を実行する。
今回はその軍の初動を書きました。
映画で特定の一本を参考にしたわけではありません。
ただ、補給、作戦、ルート、部隊配置が描かれている戦争映画全般は、かなり血と肉になっていると思います。
第18話は、「始まってしまった感じ」を書いた回です。
ここから先、個人の逃走と、制度としての軍の展開がぶつかっていきます。




