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転移者処理官の記録 猟犬と転移者study版  作者: タンナファクルー
第二章 観測者は盤面を読む
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第17話 向性

安藤蓮が尾根へ進路を変える少し前。


宇野啓介と佐伯真帆は北西へ逃げていた。


森は動かない。


木。苔。湿った土。


どこを見ても同じだった。


男と遭遇してから、五分も経っていない。


それでも、直線なら数百メートルは離れたはずだった。


何度も跳んだ。


木の隙間。


倒木の向こう。


少し開けた斜面。


見えた場所へ移るたびに、景色はずれた。


足元が消え、胃が浮き、次の場所へ立っている。


それを何度も繰り返した。


だが森は変わらない。


進んでいるのか。


戻っているのか。


宇野には分からなかった。


息が荒い。


走っていたわけではない。


それでも呼吸が整わない。


宇野は振り返る。


誰もいない。


男はいない。


それなのに、喉の奥が詰まっていた。


「説明しろよ」


声が少し掠れた。


佐伯は立っている。


息は乱れていない。


視線は森の奥へ向いていた。


宇野を見ていない。


「さっきの、なんなんだよ」


佐伯はすぐには答えなかった。


木々の間を見る。


何かを数えているようだった。


少し間が空く。


「さっきの人に、四人殺された」


宇野の顔が止まる。


佐伯は続ける。


「藤堂君達」


宇野は動けなかった。


藤堂が殺された。


さっきの男にか。


あとの三人は誰だ。


数時間前まで同じ教室にいた誰か。


同じ森に来ていた。


そして四人が殺された。


宇野は言葉を出そうとした。


胸の奥が重くなる。喉が動かない。


佐伯は森の奥を見たまま言う。


「それとね。軍も来てる」


宇野が顔を上げる。


「軍?」


「東に人が増えてる」


佐伯は東を見る。


宇野には木しか見えない。


同じ森が続いているだけだった。


「入口を押さえに来てると思う」


「……何で分かる」


佐伯は肩をすくめた。


「計算」


宇野は佐伯を見る。


「計算?」


「だいたい分かるの」


佐伯はいつもの調子で言った。


でも、目は笑っていなかった。


「結構辛いんだよね。ずっと距離とか動きとか、計算し続けてる感じ」


小さく笑う。


宇野はその笑い方を見た。


さっきまで知っていた佐伯と同じ顔だった。


同じ声だった。


けれど、今の佐伯は、宇野が見えないものを見ている。


同級生が死んだこと。


軍が来ていること。


入口が押さえられること。


宇野には何一つ見えていない。


「待てよ」


声が出た。


「説明が足りなすぎる」


佐伯が少しだけ宇野を見る。


「藤堂以外の三人は誰だよ。何があったんだよ。あの男は何者なんだ。軍って何だよ」


喉が詰まる。


「なんで俺たちが殺されるんだよ」


佐伯は森の奥を見る。


「説明はする」


一拍。


「でも今は時間がない」


宇野は佐伯を睨む。


「またそれかよ」


佐伯は否定しない。


「今止まったら追いつかれる」


宇野は言葉を飲む。


それは分かる。


東には行けない。


男は追ってくる。


止まれば追いつかれる。


跳ぶには、行き先を決めなければならない。


宇野の能力は便利だった。


だが、どこへ跳ぶかを決められなければ使えない。


森はどこも同じに見える。


木の向こうにも木がある。


倒木の奥にも、また木がある。


佐伯が少し北へ視線を向けた。


「少し北寄りに行こ」


宇野はそちらを見る。


木の間が、わずかに広い。


薄く光が入っている。


「そっちの方が視界が開けてる」


佐伯が言う。


「宇野君のギフトなら、距離を稼ぎやすい」


理屈は通っている。


宇野は森を見る。


北寄り。


木の隙間。


さらに奥。


納得はしていない。


それでも、今は動くしかなかった。


「……あとで説明しろよ」


「うん」


「絶対だからな」


佐伯は少し笑った。


「大丈夫」


一歩近づく。


「宇野君の能力なら追いつかれないよ」


佐伯の手が伸びる。


宇野は森を見る。


奥。


木の隙間。


倒木の向こう。


行き先を決める。


佐伯が宇野の手に触れる。


転移。


景色がずれる。


木々が横に流れる。


足元が消える。


胃が浮く。



尾根。


風。


宇野は膝をついた。


土に手をつく。


息が抜ける。


下よりも空が広い。


木の枝が途切れ、光が落ちている。


遠くが見える。


さっきまでいた森とは違う。


少しだけ開けていた。


佐伯は立ったまま、宇野を見た。


そこで止まる。


「……あれ?」


宇野が顔を上げる。


「なに」


佐伯は宇野の首を見ていた。


「宇野君」


一拍。


「首、血出てるよ」


宇野は手を首へ持っていく。


指先が濡れた。


見る。


赤い。


血だった。


喉元。


刃。


男の剣は届いていないと思っていた。


届いていた。


ほんの少しだけ。


宇野の呼吸が止まる。


佐伯が動く。


ポケットからハンカチを出す。


宇野の首元へ当てる。


「大丈夫。浅いよ」


声は静かだった。


宇野は頷く。


頷くしかなかった。


痛みは遅れて来た。


細い熱が、首の皮膚に残っている。


佐伯はハンカチを押さえたまま、森の奥を見る。


また、宇野ではない場所を見ている。


「行こ」


宇野は立ち上がる。


膝に力が入るまで、少し時間がかかった。


佐伯が手を伸ばす。


宇野はその手を見る。


今は、その手を取るしかない。


触れる。


転移。


森が閉じる。


作者メモ


今回は、逃亡の話というより、カプグラ症候群的な恐怖と、情報格差のサスペンスと絶望として書きました。


宇野から見れば、佐伯は知っている同級生です。

でも、何かが違う。


宇野には見えていないものを見ている。分からない前提で話している。小出しにしてくる情報が全部ひどい。こちらを気遣うような言葉を使うのに、説明は足りない。誘導されてるような気がする。


『ゲット・アウト』をけっこう意識しました。

事前情報のない場所。相手はその場所をよく知っている。こちらを安心させるような言葉を使う。でも、会話の前提そのものが違う。

あの嫌な感じが出したくて。


あと、映画からの影響で一番大きいのは、リドリー・スコット監督かもしれません。


これは特定の映画やストーリーというより、スコット監督の画作りです。


クローズアップの多用。閉塞感のある空間。

舐めるような移動撮影。アクションや恐怖の場面での、速いカット割り。


それらを文章に落とし込めないか、というのが今の自分のテーマです。

ルックの監督ならぬ、ルックのウェブ小説みたいなのが書けたらいいなあと。


場所がどうなっているかを設定説明で語るのではなく、誰がどこを見て、どこへ動き、何を見落としているかで伝える。

そうやって書いているうちに、一人称とも三人称ともはっきりしない、今の文章になってきました。

完全な一人称ではない。でも、三人称よりもずっと近い。カメラが人物のすぐ横にいて、たまに頭の中にも入る。


作中で佐伯が、「結構辛いんだよね。ずっと距離とか動きとか、計算し続けてる感じ」と言います。

これは第二章に入ってからの、私の心境にもかなり近いです。


誰がどこにいるのか。

どの方向へ動いていて何メートル離れているのか。誰が何を見ていて、誰が何を知らないのか。

ずっとそれを計算しながら書いてる感じです。問題は、私に佐伯のような演算能力がないことだけです。


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