第29話「ブラックウッドの客人」
ブラックウッド侯爵家の屋敷は、王都の貴族邸とは違う静けさがあった。
農業地帯の広い空。石造りの門。手入れの行き届いた庭。威圧感がない。それでいて、品がある。二度目に来ると、そういうことがより見えてくる。
「広いね、やっぱり」とエリーゼが言った。
「前も来ただろう」
「来たけど、また来ると感想が変わるじゃん」
セレスティアが周囲を見回していた。「農業地帯にしては土地が豊かそうだ」と言った。「南部特有の気候かな」
「研究対象にするな」とアシュレイが言った。
名を告げると、すぐに通された。
玄関の先に、リーシャがいた。
黒髪の縦ロールが胸元に流れている。赤い瞳が、こちらを見ていた。深紅ではなく、落ち着いた色のドレスを着ていた。
「来てくれると思っていました」
「手紙を読めば動くしかない」
リーシャが少し目を細めた。それ以上は言わなかった。
「久しぶりだね、リーシャさん」とエリーゼが言った。
「エリーゼ様も。お変わりなく」
「なんか雰囲気変わった?」
「さあ」
リーシャの隣に人物がいた。黒髪を短く整えた、細身の青年だった。リーシャと同じ赤い瞳だが、鋭さより冷静さが勝っている。
「ヴァルナー卿、お久しぶりです」
カイル・フォン・ブラックウッド。前回会った時と変わらず、観察するような目でこちらを見ていた。
「お久しぶりです」
「随分と賑やかな旅になりましたね」とカイルが言って、セレスティアを見た。「アムレイン嬢とも初めてお会いします」
「カイル様のお名前はかねがね」とセレスティアが言った。
「光栄です」
カイルの視線がライに移った。そこだけ、わずかに表情が変わった。
「……サンダーウルフですか」
「ライといいます」とエリーゼが言った。「よろしくお願いします」
ライがカイルを見ていた。じっと見ていた。カイルが視線を外さなかった。しばらく、二人の間で何かが測られていた。カイルの【洞察の極意】と、ライの目。
ライが先に視線を外した。
「……なるほど」とカイルが言った。何がなるほどなのかは言わなかった。セレスティアが小声で「何がわかったんですか」と聞いた。カイルが「さあ」と言った。
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応接室に通された。
部屋の中に、若い男が立っていた。
黒髪を真面目に整えた外見。隙のない身なり。真っ直ぐな目。
「ヴァルナー卿。来てくれてよかった」
ルーカスだった。
王都で一度、魔力を感じ合ったことがある。あの時と同じ目だった。ただ——少し、疲れていた。
「お前か」
エリーゼが「あ……ハイネマン家の」と小声で言った。セレスティアが状況を察したのか、黙っていた。
ライがルーカスを見た。鼻を一度動かして、それからアシュレイを見た。
「座れ」とアシュレイが言った。「話を聞く」
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ルーカスが話した。
密談の夜のことを、聞いた通りに全部。父が人払いをした夜。【魔力操作の極意】で気配を消して忍び込んだこと。書類から目を上げた父の横顔。感情の起伏がなかったこと。
王座。国土の10%。帝国との密約。暗殺と諜報部隊の提供。
話しながら、ルーカスの声が一度だけ詰まった。すぐに続けた。
アシュレイは途中で口を挟まなかった。セレスティアも、カイルも、リーシャも黙っていた。エリーゼだけが途中で「……ひどい」と小声で言った。
「……全部、自分で聞いたのか」
「ああ。【魔力操作の極意】で気配を消して、窓から入った」
沈黙があった。
「なぜ俺に伝えた」
ルーカスが少し間を置いた。
「お前を排除しようとしている。それを黙って見ていられなかった」
「それだけか」
「……お前と、神話級と称されるお前と1度戦いたい。父の罠で潰されるのは許さない」
アシュレイが答えなかった。ルーカスが続けた。「俺には今、父の元に戻る気はない。ブラックウッドに置いてもらっている間に、お前に伝えることが先だと思った」
カイルが脇で腕を組んでいた。観察している目だった。
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「王都での監視と繋がる」とセレスティアが言った。「帝国の諜報部隊が既に動いているということだ」
「魔法学院への介入申請も、神話級の研究記録を狙ってのことだとすれば説明がつく」
カイルが「証拠がない」と言った。「口頭の証言だけでは動けない。宰相府を動かすには、それ相応の根拠が要る」
「……わかっている」
「焦る必要もない」とカイルが続けた。「相手が動けば必ず痕跡が残る。今は情報を集める段階だ」
アシュレイがカイルを見た。カイルが目を合わせた。
前回会った時——判断が出ていない目だった。今は違う。何かを決めた目だった。
「ヴァルナー卿」とカイルが言った。「我々も動きます。独自のルートで動いている件もある。共有できるタイミングで共有する」
「助かります」
「一つ聞いてもいいですか」とカイルが続けた。
「何を」
「今のヴァルナー卿には、どれほどの時間があります?」
アシュレイが少し考えた。「三週間と言われてきた。すでに半分以上使っている」
「ならば急ぎすぎず、焦りすぎず。今夜ゆっくり話しましょう」
カイルが初めて、はっきりと笑った。
カイルが「なるほど」と小声で呟いた。「思ったより、面白い」
リーシャがカイルを一瞥した。カイルが「独り言です」と言った。
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夕食はガゼルも交えて行われた。
「娘が随分と強引なことをしたようで」とガゼルが言った。穏やかな顔だった。「ヴァルナー卿の遠路、恐れ入ります」
「手紙一つで動いてもらえた。感謝している」
「リーシャが動いたなら、それだけの理由があるはずです。父としては、それだけで十分でした」
エリーゼが「ガゼル様、お久しぶりです」と言った。ガゼルが「エリーゼ様、こちらこそ。ご立派になられて」と言った。エリーゼが「ありがとうございます!」と言った。
ライが部屋の隅で丸くなっていた。ガゼルがライを見て「……大きくなりましたな」と言った。前回ライはここに来ていない。情報として把握していたらしい。
「ライといいます」とエリーゼが言った。
ガゼルが「ライ殿、よくおいでくださいました」と丁寧に言った。ライがガゼルをしばらく見た。それから一度だけ耳を動かした。エリーゼが「礼してる」と言った。セレスティアがまたメモを取り始めた。エリーゼが「やめてください」と言った。
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夕食が終わって、庭に出た。
夜気が冷たかった。石畳の庭に月明かりが落ちている。ライが横に来て、並んで歩いた。
「ヴァルナー卿」
振り返るとリーシャがいた。一人だった。
「ルーカス様のことは、私が預かります」とリーシャが言った。「この屋敷にいる間は安全です。父も了承しています」
「助かる。迷惑をかけた」
「迷惑ではありません」リーシャが少し間を置いた。「ルーカス様は、貴方のために動いた。それだけの理由があると判断しました」
「そういうことにしておく」
リーシャが「そういうことにしておく、とはどういう意味ですか」と言った。
「お前の方がよくわかっているだろう」
リーシャが少し目を細めた。それ以上は言わなかった。
少し間があった。
リーシャが何か言いかけた。
「何だ」
リーシャが月を見た。
「……いえ。またいずれ」
アシュレイはそれ以上聞かなかった。リーシャも続けなかった。
ライが月を見上げた。風が庭の木を揺らした。
しばらく三人で——正確には二人と一頭で——庭に立っていた。リーシャが先に「おやすみなさい」と言って屋敷に戻った。その背中を見ながら、アシュレイは一度だけため息をついた。
ライが見上げていた。
「何でもない」
ライが前を向いた。
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