第30話「帰路と、ただいま」
翌朝、出発の準備を済ませた時にカイルが来た。
「少し、よろしいですか」
二人で廊下に出た。エリーゼとセレスティアはまだ荷物をまとめていた。ライが廊下の窓から外を見ていた。
「独自のルートで情報が入っています」とカイルが言った。声が低かった。「宰相府がクロイツを通じて、派閥の主要貴族に招集をかけています。時期は——今週中」
「名目は」
「表向きは定例の派閥会議。ただ、通常の招集と手順が違う。父上が直接動いている」
アシュレイは少し間を置いた。
「タイミングが合いすぎている」
「ええ。ヴァルナー卿が王都を離れた直後に動く——それが偶然とは考えにくい」
カイルが窓の外を見た。「急いだ方がいいと思います。ただ、これはあくまで私の判断です。どう動くかはヴァルナー卿が決めることだ」
「助かります」
カイルが頷いた。「我々はブラックウッドとして動ける準備をしています。何かあれば——」
「また頼るかもしれない」
「いつでも」
少し間があった。カイルがライを一瞥した。「サンダーウルフを連れたヴァルナー卿が動くというのは——絵として面白い」と言った。
「それだけか」
「それだけです」とカイルが笑った。「では、気をつけて」と言って廊下を戻った。
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玄関でリーシャとガゼルが見送りに来ていた。
「お世話になりました」とアシュレイが言った。
「こちらこそ」とガゼルが言った。穏やかな顔だった。「またいつでも来てください。リーシャも——そう思っているはずです」
リーシャが「父上」と言った。ガゼルが「事実でしょう」と言った。
エリーゼが「リーシャさん、また来るね」と言った。リーシャが「お待ちしています」と言った。
ルーカスが玄関の奥に立っていた。来るつもりはないが、見送るつもりもない。そういう立ち位置だった。
アシュレイがルーカスを見た。
「ここで待て」
「……ああ」
「お前にしかできないことが、いずれある」
ルーカスが何か言いかけた。言わなかった。頷いた。
ライが玄関を出た。アシュレイが続いた。
リーシャが「またいずれ」と言った。
振り返らなかった。「ああ」と返した。
馬に乗った。門を出た。街道に戻ると、朝の空気が冷たかった。エリーゼが「いい家だったね」と言った。セレスティアが「また来ることになりそう」と言った。アシュレイは何も言わなかった。ライが北の方角を向いて、歩き始めた。
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帰路は来た時より速く進んだ。
街道を北へ。農業地帯が続く。朝の光の中で、麦畑が風に揺れていた。
「監視がいない」とセレスティアが言った。
「気づいていたか」
「王都を出た時から。尾行が来なかった」
少し間があった。
「二通りある」とアシュレイが言った。「王都にいる間だけ監視が必要だったか——あるいは、もう必要がなくなったか」
セレスティアが「後者なら、何かが動いている」と言った。
「ああ」
エリーゼが「どっちだと思う?」と聞いた。
答えなかった。ライが街道の先を見ながら歩いていた。耳が一度だけ後ろを向いて、また前に戻った。
セレスティアが「もし後者なら、ヴァルナー領で何かを仕掛けるつもりかもしれない。アシュレイが王都を離れている間に」と言った。
「わかっている」
「急いだ方がいい」
「急いでいる」
エリーゼが「私が先行して走って帰ろうか」と言った。セレスティアが「それは意味がない」と言った。エリーゼが「そっか」と言った。
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二日で王都まで戻り、そこからさらに北へ。
道が見慣れてきた。山の稜線が変わった。鉱脈地帯特有の赤みがかった土の色。草の匂いも違う。
エリーゼが「あ、ヴァルナー領だ」と言った。「なんか匂いでわかる」
「何の匂いだ」
「なんていうか……鉄っぽい? 土の感じが違うんだよね」
セレスティアが「鉱脈の影響で土壌の成分が違うから、植生も変わる。草の匂いが変わるのは理にかなっている」と言った。
エリーゼが「さすが研究者」と言った。
ライの足取りが少し速くなっていた。
「帰ってきた気がするか」
ライが振り返らなかった。尻尾が一度だけ動いた。空が夕暮れに染まっていた。
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屋敷の門をくぐると、カルロスが中庭に出てきた。
使用人ではなく、本人が出てきた。武装はしていなかった。腕を組んで、立っていた。いつもの姿勢だった。アシュレイを見て、エリーゼを見て、見知らぬ顔のセレスティアを見た。それからライを見た。首輪に視線が止まった。
銀白の首輪。仮のものとは明らかに違う。カルロスがそれを認識したのがわかった。
何も言わなかった。それでいい、という沈黙だった。
書斎に移動した。アシュレイが報告した。王都でのこと。グレンガの工房。監視の気配。ルーカスの情報。帝国との密約。クロイツの招集。
カルロスは途中で口を挟まなかった。
話し終えた。
しばらく沈黙があった。カルロスが窓の外に目を向けた。腕を組んだまま、動かなかった。
「……クロイツが動いたか」
「はい。タイミングが合いすぎています」
「帝国の動きについては」
「証拠がない。口頭の証言だけでは宰相府には届かない。今は情報を集める段階です」
カルロスがもう一度窓の外を見た。
「お前はどう動く」
「まず領地を固めます。外から崩されないように、内を整える」
カルロスが少し間を置いた。
「よし」
それだけだった。余計なことは何も言わなかった。アシュレイも言わなかった。それで十分だった。
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書斎を出ると、廊下にイザベルがいた。
「おかえり、アシュくん」
「ただいま」
イザベルがライを見た。目が丸くなった。
「まあ——首輪、変わった? 綺麗ね」
ライが少し首を上げた。首輪を見せるように。
「触っていい?」
ライが動かなかった。イザベルが「いいってことね」と言って、銀白の首輪に触れた。
「すごい。なんか……温かい感じがする」
「魔力が通りやすい作りだそうです」とセレスティアが説明しかけた。
「あら、貴方は——」とイザベルがセレスティアを見た。
「セレスティア・アムレインと申します。魔法学院でお世話になっていまして」
「まあ! アシュくんにお友達が増えてる」とイザベルが言った。
「友達ではない」とアシュレイが言った。
「研究対象です」とセレスティアが言った。
エリーゼが「どっちもどっち」と言った。
イザベルがライの首元を撫でていた。ライが目を細めていた。
「エリーゼちゃんも久しぶりね。少し痩せた?」
「動きすぎて削れた感じです」とエリーゼが言った。
「まあ、ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてます! 王都でも食べ歩きして——」
「食べ歩き! どこが美味しかった?」
エリーゼとイザベルが喋り始めた。セレスティアが少し引き気味に見ていた。
アシュレイは廊下の端に立って、それを眺めていた。ライが戻ってきてアシュレイの隣に座った。
王都での三週間。グレンガの工房。監視の目。ルーカスの情報。ブラックウッドの夜。
全部、終わっていない。むしろここからだった。
帰ってきた。それだけは確かだった。
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