第21話「空より来る災禍」
早馬が来たのは、朝の見回りを終えた頃だった。
グライフェン辺境伯領からの伝令だった。
「辺境伯領北部がワイバーンの群れに襲われています。数は二十体以上。騎士団だけでは対応しきれません。至急の援軍を請います」
その言葉を聞いた瞬間——ライの体の周囲に、パチパチと雷が散り始めた。
小さかった。だが、止まらなかった。
ライが低く唸った。目が細くなっていた。普段の穏やかな目ではなかった。怒りとも恐怖とも違う——もっと深いところから来ている感情が、体の外に溢れ出ていた。
(……ワイバーンと、何か因縁があるのか)
しゃがんで、ライの目を見た。
ライがこちらを見た。雷がパチパチと散り続けている。
「俺から離れるな。いいな」
ライが、じっとこちらを見た。
しばらく間があった。
雷が、少しだけ収まった。
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屋敷の空気が変わった。
準備をしていると、廊下でカルロスとすれ違った。
珍しく、自ら武装していた。剣を帯びて、鎧を着込んでいた。それだけだった。何も言わなかった。いつもの無口とは少し違う——言葉にしないことで、何かを抑えているような沈黙だった。
それだけで、今回の重さがわかった。
中庭に出るとエリーゼが剣の柄を何度か確認していた。いつもの訓練前の手つきとは違った。指先が、柄の感触を確かめるように動いていた。
「行けるか」
「当然」
エリーゼが顔を上げた。目が据わっていた。
ライの雷は、屋敷を出るまで収まらなかった。廊下を歩くたびに、足元の石畳にパチパチと小さな焦げ跡が残った。
出発前、イザベルが玄関に立っていた。
何も言わなかった。ただ、こちらを見ていた。笑っていなかった。
「行ってきます」
イザベルが小さく頷いた。
それだけだった。
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グライフェン辺境伯領の北部に着いたのは昼を過ぎた頃だった。
遠くから黒煙が見えた。
村の一部が焼けていた。まだ煙が上がっている。石造りの家の壁が爪で引き裂かれていた。屋根が抉られて空が見えている建物がある。道端に血の跡が残っていた。
担架で運ばれている者がいた。腕を押さえて座り込んでいる者がいた。子供を抱えて呆然と立っている女がいた。
群れは一時的に引いていた。
ハンスが出迎えた。左腕に包帯が巻かれていた。頬に切り傷があった。それでも足取りは重くなかった。
「来てくれたか」
「状況を」
「2体は仕留めた。残り20体。三グループに分かれて交互に急降下してくる——空からの攻撃に槍も剣も届かない。地上に降りた個体を何とか処理しているが、追いつかない」
「怪我人の数は」
「三十名ほど。死者は出ていない。今のところは」
最後の言葉に、重みがあった。
ハンスが空を見上げた。
「時間がない。日が傾く前にもう一波来るはずだ」
その時、北から蹄の音が響いた。
騎士団の旗が見えた。
先頭を走る男が馬を降りた。短い黒髪。鋭い目。無駄のない体格——しかし近づいてくると、その表情は穏やかだった。戦場に向かってきた男の顔には見えなかった。
「遅くなりました、ハンス様」
「ジーク、来たか」
ジークがアシュレイを見た。一瞥——それだけだった。
「……噂通りですね、ヴァルナー卿」
「初めまして。ジーク殿の話はハンス卿から伺っています」
ジークの後ろからベルトが来た。がっしりした体格の男だ。
「ベルト・クラウスです! よろしくお願いします!」
豪快な声だった。
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天幕の中で地図を広げた。
ハンス・ジーク・ベルト・カルロス・アシュレイ・エリーゼが地図を囲んだ。ライが足元に座っていた。体の周囲の雷はまだ完全には収まっていなかった。
「まず状況を整理します。2体はどう仕留めましたか」
ハンスが腕を組んだ。
「我が騎士団には魔法使いが三名いる。その三名が空中の個体に魔法を当てて地上に引きずり下ろした。騎士団で囲んで仕留めた——十名がかりでようやくだ」
「その三名は今」
「二体目を仕留めた際に前線に出すぎた。爪と翼でやられた。今は全員戦線離脱中だ。軽傷ではない」
ハンスが苦い顔をした。
「魔法使いが動けなくなった時点で、空中への対処が全くできなくなった。弓は届かない。地上に降りるまでひたすら逃げるしかない状態だ」
「降りるタイミングは?」
「急降下して村を薙いでから上昇する。そのサイクルだ。一波に三体から五体が降下してくる。降下の速度が速くて、騎士が対応しようとすると翼で吹き飛ばされる。囲めたのは偶然、一体が建物の残骸に翼を引っかけて動きが止まった時だ」
ハンスが続けた。
「このまま来られ続ければ、持たない。だから援軍を要請した」
「ワイバーンの鱗の硬さは」
「剣は通らない。槍で関節を狙えばなんとかなるが——降下中に正確に狙える人間がそうそういない」
ジークが静かに言った。
「腹の鱗は薄い。降下中に下から狙えれば有効です」
「試した騎士が二名いた。一名は翼で吹き飛ばされ、もう一名は爪で肩をやられた」とハンスが返した。「弓隊でなければ近づけない距離だ」
アシュレイが地図を確認した。
「空中の個体は私が雷で落とします。地上に降りた個体はエリーゼとジーク殿が処理する。ハンス卿とベルト殿の部隊が誘導と地上防衛を担当してください」
「群れが散らばる前に密集させる方法は?」
ジークが静かに聞いた。
「村の北側の谷間に誘い込みます。地形で絞れば、広範囲に散られる前に対応できる」
ジークが地図を見た。
一秒、二秒——それだけだった。
「……なるほど。一点だけ」
ジークが地図を指差した。
「谷間の東側の出口を騎士団で塞げば逃げ道を一方向に絞れます。加えて——この岩場の影に弓隊を伏せれば、降下中の個体を下から狙える。降下中は腹の鱗が薄い」
(地形を一瞬で読んだ。戦場経験が違う)
「両方採用します」
ジークが小さく頷いた。
カルロスが無言で地図を確認していた。ハンスが「話が早くて助かる!」と言った。
エリーゼが「私はどこを担当する?」と聞いた。
「ジーク殿の左側に入ってくれ。地上に降りた個体の処理を優先する」
「わかった」
ライがじっと地図を見ていた。
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ワイバーンの群れが来たのは、日が西に傾き始めた頃だった。
最初に聞こえたのは羽音だった。
低く、重い音だ。地の底から響いてくるような振動が、空気を伝わってきた。次第に大きくなる。地面が微かに揺れた。
二十体が翼を広げて旋回している。翼を広げると馬三頭分はある。鱗が夕陽を反射して鈍く光っていた。旋回しながら、タイミングを測っている。上から見下ろす目が、赤い。
「来ます」
先手を打った。
【天雷の才覚】を解放した。
雷が空に走った。旋回していた先頭の一体に直撃した。翼を痙攣させて落ちた。地面に叩きつけられる音が響いた。砂埃が上がった。
すぐ隣でエリーゼが動いた。
地上に降りた一体が着地する瞬間を狙っていた。着地の衝撃で体勢が乱れる一瞬——そこに踏み込んだ。首の付け根に剣を入れた。深かった。一撃だった。
「二体!」
ベルトが叫んだ。
ジークが走っていた。
声もなく、予備動作もなかった。気づいた時には既に間合いに入っていた。槍が光った——降下してきた一体の胸を真っ直ぐ貫いた。抜きながら体を横に回転させた。遠心力を乗せた二撃目が、別の一体の脇腹を深く抉った。
連続で、速かった。それでいて無駄がなかった。
周囲を見ながら動いていた。自分の間合いだけでなく、エリーゼの死角・ハンスの位置・アシュレイの射線を全部把握した上で動いている。戦場全体を頭に入れながら槍を振るっていた。
(ヴァルナー領にも、こういう人間が必要だ)
「……やりますね」
思わず口から出た。
ジークが「お互いに」と短く返した。
ハンスが「やるな! 開幕4体だ!」と叫んだ。
残り16体。
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その瞬間——ワイバーンたちの旋回が、止まった。
全体が静止したように見えた。
鳴き声が変わった。
それまでの鋭い鳴き声ではない。低く、腹の底に響く声だった。群れ全体に伝わっていくような、統率された鳴き声だ。一体が鳴くと、別の一体が応えた。また別の一体が応えた。
(怒っている——いや、組み直している)
群れが隊列を組み直した。
3方向——正面、左側、右側。同時に来た。
「散開!」
ハンスが叫んだ。
正面の群れに雷を走らせた。
二体が落ちた。だが三体目が真っ直ぐ突っ込んできた。翼を畳んで急降下——速い。回避しながら横に雷を流した。翼を焦がしたが仕留めきれなかった。地上に降りたところをハンスが剣で仕留めた。
左側はジークが対応した。
槍が三体を連続で仕留めた。一体目の喉、二体目の脇腹、三体目は着地の瞬間に頭を貫いた。流れるような動きだった。血が飛んだ。ジークの鎧に赤が散った。それでも足が止まらなかった。
右側はハンスとベルトの部隊が受けた。
騎士たちが盾を構えて正面から押さえた。ベルトが大声で「押せ! 退くな!」と叫んでいた。
それでも——数が減らない。
4体を一度に失った群れは、今度は個別ではなく連携して来ていた。一体が囮になって注意を引きつけ、別の一体が別角度から入ってくる。上から来ると見せかけて横から翼で薙ぐ。一体を狙っていると背後から別の一体が来る。
(組織的に動いている)
ただの獣ではない。群れとして戦っていた。
魔力が削られていく。
雷を一発放つたびに、体の芯が削られる感覚がある。アイアンボアの時より消耗が早い——空中の敵は地上より精度が要る。一撃一撃に集中しなければ外れる。外れれば魔力が無駄になる。
七体目を落とした。
八体目に雷を走らせた。翼に当たったが落ちなかった。
(精度が落ちてきた)
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その時——ライが動いた。
突然だった。
森の方向に向かって走り出した。
「ライ!」
止まらなかった。
(何かを感じたのか——)
呼んでも振り返らなかった。一直線に、森に向かって走っていた。ライの体の周囲の雷が、走るたびに強くなっていた。
「エリーゼ!」
「わかった!」
エリーゼが即座に追った。
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エリーゼが離れた。
穴ができた。
左側の対応が手薄になった。ジークが一人でカバーしようとしているが、数が多い。
雷を連続で放出した。
九体目、十体目——落としていく。残り10体。だが魔力が限界に近づいていた。雷の一発一発が細くなっていく感覚がある。
「ヴァルナー卿、左!」
ジークの声が聞こえた。
左側から二体が同時に来ていた。
一体に雷を走らせた。直撃した。もう一体——間に合わなかった。
爪が、左肩を裂いた。
鋭い痛みが走った。
衝撃で体が回った。踏ん張ろうとした。足が滑った。
地面に片膝をついた。
左肩が重かった。鎧の下で血が流れているのがわかった。腕を動かすと焼けるような痛みが走った。立ち上がろうとすると、膝が震えた。
(深くはない——でも)
立ち上がった。
右から来た一体の翼が、今度は足を横から弾いた。体勢が崩れた。また片膝をついた。
残り9体。まだいる。
「ヴァルナー卿!」
ジークが駆け寄ってきた。
「問題ない」
「無理です、退いてください」
「退かない」
立ち上がった。
嘘だった。魔力が底をつきかけている。左肩が動くたびに痛みが走る。膝が笑っていた。雷を構えようとすると、指先が震えた。
(まだ来るか——)
四体が同時に急降下してきた。
雷を構えた。
魔力が——薄い。足りない。このままでは四体全部は捌けない。一体か二体は抜けてくる。
その瞬間——
森の奥から、青白い光が走った。
続いて——血に濡れた、銀白の大きな影が、木々の間から現れた。
カクヨムで先行公開しています。
頑張って執筆していきますので面白い、続きが気になると思っていただけた方は応援して頂けると嬉しいです。




