第20話「雷の子と辺境の日々」
目を覚ますと、枕元に重みがあった。
銀白の毛並みが視界に入った。
(……いつの間にここまで上がった)
ライが丸くなって、こちらを見ていた。起きたことを確認したらしく、尻尾が一度だけ動いた。
「降りろ」
ライが動かなかった。
じっとこちらを見ていた。
「……好きにしろ」
起き上がった。ライがすぐ後ろについてきた。
廊下に出るとエリーゼが朝の訓練から戻るところだった。俺の後ろを見て、目を輝かせた。
「ライ、もうアシュくんについて歩いてるじゃん!」
ライがエリーゼを一瞥した。それからアシュレイの後ろに戻った。
「……まだ私の方には来てくれないんだ」
エリーゼが小声で言った。悔しそうだった。
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午前の見回りに出ると、ライがついてきた。
市場を通りかかったとき、最初に気づいたのは子供たちだった。
「なんか銀色の犬がいる!」
三人が駆け寄ってきた。ライが足を止めて、低く唸った。
子供たちが止まらなかった。
「かわいい!」「触っていい?」「耳がふわふわしてる!」
ライが困ったような顔でこちらを見た。
「……慣れろ」
ライが観念したように、子供たちに囲まれた。青白い光がおとなしく収まっていった。
市場の老婦人が笑いながら近づいてきた。
「若様、またお連れが増えましたね」
「……そうだな」
「不思議な子ですねえ。でもなんだか、若様によく似てますよ」
「……どのへんがだ」
「口数が少ないところですよ」
老婦人が笑った。
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水路の改修現場を確認していると、農民の男が近づいてきた。
「若様、土の乾き具合が全然違います。本当に助かっています」
短く頷いた。
「去年は野菜が余りすぎて、結局腐らせてしまいまして。もったいないことで」
男が苦笑しながら言った。
(腐らせた)
前世の記憶が、静かに動いた。
余った野菜を腐らせる——それは保存ができていないということだ。この世界にはどんな保存技術があるか。塩をまぶす程度だと以前聞いた。それでは長くは持たない。
(酢漬けと乾燥保存を組み合わせれば、冬場の食料問題が解決できる)
酢の作り方——果物を発酵させる。塩と酢を合わせた漬け床に野菜を漬ける。薄切りにして天日干しにした干し野菜。条件が整えば半年以上持つ。この世界の技術水準なら、十分に再現できるはずだ。
男がこちらを見ていた。
「……若様、また何か考えておられますか」
黙ったまま歩き始めた。
男が「へい」と言って頭を下げた。
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屋敷に戻って、イザベルを探した。
台所にいた。
「保存食を作りたい。厨房を使う」
イザベルが振り返った。
「もちろん! 私もやる!」
「手順がある。まず試作だ」
「教えて教えて!」
イザベルが前のめりになった。
エリーゼが台所の入口から顔を出した。
「私も!」
「……狭くなるぞ」
「大丈夫!」
大丈夫ではなかった。
俺が手順を説明しながら、イザベルとエリーゼが動いた。果物を煮詰めて酢を作る工程。塩と合わせた漬け床に野菜を入れる。薄切りにした根菜を天日干し用に並べる。
「これって、すごく長持ちするの?」
イザベルが漬け床を覗きながら聞いた。
「条件が整えば半年以上持つ」
「まあ!」
エリーゼが「冬でも野菜が食べられるってこと?」と言った。
「そういうことになる」
「すごい! アシュくん天才じゃん」
「……知識だ」
エリーゼが「どこで覚えたの?」と聞いた。
「本で読んだ」
エリーゼが「アシュくんって本当に色々読んでるんだね」と笑った。
厨房の入口でライが覗いていた。
「ライちゃんも見てる!」
イザベルが言った。ライが視線を外した。エリーゼが「かわいい!」と言った。
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試作品が完成した。
酢漬けの野菜。薄切りにした干し野菜。
イザベルが一口食べた。
「……おいしい! しかもこれ保存できるの?すごいわ」
「改良の余地はある。方向性は正しい」
エリーゼが「酸っぱくて好き!」と言いながら二口目を食べた。
ライを見た。
干し野菜は固い。酢漬けの野菜の中から、一番柔らかく漬かったものを一切れ選んで、差し出した。
ライが匂いを嗅いだ。
一口、食べた。
止まった。
もう一口、食べた。
(……食えるか)
イザベルが「まあ! アシュくん、ライちゃんにも食べさせてるの!」と声を上げた。
何も言わなかった。
エリーゼがこちらを見て、にやっとした。
台所の入口に、カルロスが立っていた。
いつの間にいたのか、わからなかった。
無言で近づいて、干し野菜を一つ取った。口に入れた。
しばらく黙っていた。
「……悪くない」
それだけ言って、執務室に消えた。
「あなたが褒めた!」
イザベルが声を上げた。
「褒めていない」
廊下から声だけが返ってきた。
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夜、実験区画に出た。
ライがついてきた。
星が出ていた。土の色が、少しずつ変わってきている。まだわかる程度ではない。でも——確かに変わっている。
保存食の試作。水路の改修。直接取引ルートの整備。農業改革。
全部、まだ途中だ。
でも——動いている。
ライが足元に座って、空を見上げていた。
「急ぐ必要はない。一つずつだ」
誰に言うでもなく、口から出た。
ライが尻尾を一度だけ動かした。
夜風が、静かに吹いた。
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