第19話「銀白の同伴者」
玄関の扉を開けると、エリーゼが廊下に立っていた。
「遅い。どこに——」
言いかけて、俺の懐を見た。
「え。なにそれ」
「魔物だ」
「かわいい!!」
エリーゼが一歩踏み出した瞬間、懐の中から低い唸り声が上がった。
エリーゼが止まった。
「……きらわれた?」
「まだ警戒している。近づくな」
「うー……」
エリーゼが名残惜しそうな顔で引いた。
その騒ぎを聞きつけたのか、奥からイザベルが出てきた。
「なんの声——まあ! 銀色の子犬!」
イザベルが迷わず近づいた。懐の中からまた唸り声が上がった。
「あらあら」
イザベルが笑顔のまま、全く引かなかった。
「……母上、魔物です」
「わかってるわよ。でもかわいいじゃないの」
廊下の奥からカルロスが顔を出した。一瞥した。
「……サンダーウルフか」
静かな声だった。
目が、一瞬だけ止まった。無口な父が、それ以上何も言わなかった。ただ——「本当に存在したのか」という色が、その目に一瞬だけあった。
それだけ言って、執務室に消えた。
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自室に連れていった。
毛布を床に敷いて、その上に置いた。ライが毛布の上でじっとこちらを見ていた。銀白の毛並みに、弱々しい青白い光が静かに走っている。体力はまだ戻っていないらしく、動きは緩慢だった。
まず食事だ。
厨房から肉を一切れもらってきて、目の前に置いた。
ライが匂いを嗅いだ。
一口、齧った。
——それだけだった。
あとは見向きもしなかった。
(食えないのか)
怪我か、それとも好みの問題か。もう一度肉を近づけてみたが、顔を背けた。
しばらく考えた。
まだ幼い。子犬サイズだ。固いものは食べられないのかもしれない。
厨房に戻って、今度はミルクを器に入れて持ってきた。
目の前に置いた。
ライが顔を上げた。
匂いを嗅いだ。
——そのまま、器に顔を突っ込んだ。
ガブガブと音を立てて飲み始めた。さっきの警戒はどこへ行ったのか、夢中になって飲んでいる。器が空になると、顔を上げてこちらを見た。
(……もっとくれということか)
もう一杯持ってきた。また夢中で飲んだ。
「……ミルクか」
思わず声に出た。
俺と同じ雷を操る希少種が、ミルクをがぶ飲みしている。
何か言う気にもなれなかった。ただ、器が空になるのを眺めた。
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飲み終えたライが、満足そうに毛布の上で丸くなった。
青白い光が、さっきより少し落ち着いた色になっていた。
アシュレイはライの前にしゃがんだ。
ライがこちらを見た。「お前は何者だ」と言いたそうな目だった。
「俺はアシュレイだ」
ライが少し首を傾げた。
「ここにいていい」
ライがしばらくじっとこちらを見ていた。
人語を理解しているかどうか、まだわからない。でも——何かが伝わった気がした。
ライが視線を外して、また丸くなった。
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翌朝。
エリーゼがアシュレイの部屋の扉を叩いた。
「入っていい? ライ、慣れた?」
「入れ」
エリーゼが扉を開けた。
ライが顔を上げて、エリーゼを見た。
昨日より警戒の色が薄かった。唸らなかった。
「進歩!」
エリーゼがゆっくりと近づいて、床に座った。手を差し出した。ライが匂いを嗅いだ。噛まなかった。
「……ねえアシュくん、この子って人の言葉わかってると思う」
「わからない」
「わかってると思う」
「なぜ」
「なんとなく」
俺は少し間を置いた。
(……エリーゼの勘は、当たることがある)
何も言わなかった。
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昼前、イザベルが部屋を覗いた。
「名前はどうするの? 早く決めてあげて。名前がないと不安でしょ」
ライを見た。
銀白の毛並み。青白い光。俺と同じ雷を操る、極希少種の魔物。小さいが——格がある。
いくつか考えた。
長い名前は要らない。短く、呼びやすい。
「ライ」
雷から取った。
ライに向かって言った。
「ライ」
ライがアシュレイをじっと見た。
しばらく、間があった。
——尻尾が、一度だけ動いた。
「……気に入ったか」
内心でそう思った。
「まあ! ライちゃん! 可愛い名前!」
イザベルが声を上げた。
「ライ、でいい」
「同じじゃないの」
「……違う」
イザベルが「もう」と笑った。
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夜、執務室で帳簿を広げていると、足元に気配があった。
ライが来て、足元に座った。
「邪魔だ」
動かなかった。
「……そこにいるなら静かにしていろ」
ライが丸くなった。
羽根ペンを動かしながら、ふと口を開いた。
「お前はなぜ森にいた」
独り言のつもりだった。
ライが顔を上げて、こちらを見た。
答えは返ってこない。でも——確かに聞いていた。
「……まあいい。いずれわかる」
ライが再び丸くなった。
足元に温かい重みがあった。
作業を続けた。
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翌朝、エリーゼと並んで庭に出た。ライが後ろをついてきていた。
「ライって結局魔物なんだよね。戦えるの?」
「いずれな」
「一緒に戦う感じ?」
「そういうことになる」
エリーゼが少し考えて、笑った。
「なんか、仲間が増えた感じがする」
「……そうだな」
ライがエリーゼをじっと見ていた。
「まだ警戒してるじゃん」
エリーゼが言った。ライが視線を外した。
「少しずつだ」
「アシュくんと一緒だね」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味」
エリーゼが笑って走っていった。
ライがその背中を目で追った。
俺は何も言わなかった。
(……少しずつ、か)
朝の光が、庭に伸びていた。
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