第11話「3枚の手札、宰相の微笑み」
「では——神話級スキルの国家的活用について、本日は皆様のご意見を賜りたく存じます」
ドルフの声は、穏やかだった。
上座から会議室全体を見渡しながら、両手を卓の上で静かに組んでいる。いつもの笑顔だ。目だけが、笑っていない。
周囲の貴族たちが、一様に頷いた。
クロイツ侯爵、フォルスター侯爵、ハルトマン伯爵——全員がドルフの手の内にいる人間だ。議論の形を取りながら、結論は最初から決まっている。
(早く動くな)
俺は内心で確認しながら、卓の上に手を置いた。
「まずは管理案の草稿をご覧いただき——」
ドルフが書類を配り始めた。
その瞬間、俺は静かに手を挙げた。
「一点、確認させてください」
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会議室の視線が、俺に集まった。
ドルフが笑顔のまま「どうぞ」と促した。
「本会議は神話級スキルの管理について議決を行う場と理解していますが——神話級スキルの管理に関しては、魔法学院が国家に対して安全性の保証義務を負っているはずです」
「……それは」
「神話級スキルの保有者に何らかの管理が行われる場合、その内容が魔法学院の定める安全基準を満たしているかを、学院が確認・承認する義務が法的に定められています。言い換えれば——魔法学院の同席なしに神話級の管理を決めることは、安全保証の放棄に等しい」
俺は続けた。
「万一、管理の過程で神話級スキルが暴走した場合、その責任は誰が負うのでしょうか。魔法学院が関与していない以上——宰相府が全責任を負うということになりますが」
会議室が、静まり返った。
クロイツ派の貴族たちが、互いに顔を見合わせている。誰も口を開かなかった。
ドルフが「それは——」と口を開きかけた、その瞬間。
扉がノックされた。
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「魔法学院研究員セレスティア・アムレイン、正式な異議申し立てのため入室を要請します」
凛とした声が、扉の向こうから届いた。
会議室がざわめいた。
ドルフの笑顔が、一瞬だけ固まった。
「……どうぞ」
扉が開いた。
セレスティアが入ってきた。白衣を羽織り、手帳を胸に抱えている。銀髪が室内の光を受けて静かに輝いていた。その紫の瞳は、感情を映さず——ただ、正確に会議室の全員を見渡した。
迷いのない足取りで卓に近づき、魔法学院の公式書状を卓上に置いた。
「魔法学院規定第十七条。神話級スキルの保有者に関する国家的議決を行う場合、魔法学院の安全保証委員会の代表者が同席し、議決内容が安全基準を満たすことを確認・承認しなければならない。この手続きを経ない議決は、法的効力を持ちません」
淡々と、読み上げた。
「本会議において当該手続きは踏まれていません。よって——本会議における議決は無効となります」
沈黙。
クロイツ侯爵が「これは——」と口を開いた。
ドルフが視線だけで制した。
「……なるほど」
ドルフが静かに言った。
「確認が必要ですな」
第一の手札、通過。
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ドルフが「では手続きを確認した上で、改めて——」と場を立て直そうとした。
「もう一点あります」
俺はすかさず続けた。
「本会議は王命の名義で招集されていますが、国王陛下の直接の裁可を示す文書が招集書類に添付されていません」
会議室の空気が、また変わった。
「これは宰相府手続き規定の第三十二条に反します。王命の名義を使用する場合、国王陛下の直筆の裁可状、または陛下の御璽を押した承認文書の添付が義務付けられている。招集書類にそれがない以上——本会議は王命に基づく正式な会議ではないことになります」
「……」
ドルフの表情が、初めて読めない顔になった。
笑顔は崩れていない。ただ——その奥にある計算が、一瞬だけ止まった。
「確認されますか。条項番号まで把握しています」
クロイツ派の貴族たちが、また顔を見合わせた。今度は先ほどより動揺が大きかった。「王命の名義」という後ろ盾があるからこそ、この会議に出席していた人間が大半だ。その名義に瑕疵があるとなれば——関与したこと自体がリスクになる。
ドルフが静かに息を吸った。
「……それは」
「確認なさいますか」
笑顔が、わずかに薄くなった。
「……確認が必要ですな」
第二の手札、通過。
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「手続きについては追って——」
「では」
俺は被せるように言った。
「国王陛下に直接確認をとらせてください」
会議室の空気が、完全に変わった。
「陛下からは直接の召喚状を頂戴しています。宰相府を経由せずとも、陛下に上奏できる立場にあります。王命の名義に関する疑義については、陛下に直接ご確認いただく方が——確実かと思いますが」
ドルフが設計した構造の核心を、正面から突いた。
「宰相府が主導し、国王の名義だけを借りる」——その前提が、今この瞬間に崩れた。
国王に直接話が届けば、ドルフが何を言おうと関係ない。裁可を取っていなかった事実が陛下の耳に入る。それだけで、この会議の正当性は完全に失われる。
クロイツが「それは——」と口を開きかけた。
ドルフの視線が、静かに動いた。
クロイツが黙った。
しばらく、沈黙が続いた。
ドルフが、ゆっくりと口を開いた。
「……本日の議事は、一旦保留とさせていただきます」
第三の手札、通過。
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貴族たちが、ぞろぞろと退室していった。
誰も俺に話しかけなかった。視線だけが飛んできた。好奇と、警戒と——少しだけ、畏れが混じった目だった。
クロイツ侯爵が退室する際、俺を一瞥した。
何も言わなかった。ただ、その目に浮かんでいたものは——侮蔑ではなかった。
俺は静かに立ち上がり、セレスティアと共に会議室を出た。
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会議室に、ドルフ一人が残った。
貴族たちの足音が廊下を遠ざかっていく。
ドルフは上座の椅子に座ったまま、動かなかった。
笑顔が、消えていた。
卓の上に、セレスティアが置いていった公式書状がある。魔法学院の封蝋が押された、正式な異議申し立ての文書だ。
ドルフは静かに、今日の手札を整理した。
一つ目。魔法学院の法的異議。
セレスティア・アムレインは魔法学院から派遣された研究員だ。神話級スキルの調査という名目で王都に来ている。その彼女が今日、学院の代表として動いた。
(学院が動いたのか、それとも——あの少年が動かしたのか)
おそらく後者だ。セレスティアは優秀だが、政治的な動きをするタイプではない。誰かが彼女に、法的な根拠を示して協力を求めた。
二つ目。国王への直通。
レオナルドが直接召喚状を出した。それは知っていた。ただ——あの少年がそれを「手札」として使ってくるとは、想定の外だった。
(謁見の場で、既に布石を打っていたか)
十五歳の田舎貴族が、王都入りの初日から次の手を用意していた。
そして三つ目。
手続きの瑕疵。
ドルフは卓の上に指を置いた。
王命の名義に対する裁可の欠落——あの指摘は、宰相府の内部書類にアクセスできる人間にしか出せない情報だ。条項番号まで把握していた。
(誰が教えた)
外部から調べられる情報ではない。
ドルフは会議室の窓の外を見た。
王都の空が、白く曇っていた。
宰相府の内部書類にアクセスできる人間。条項まで熟知している人間。かつあの少年に、父親の罠の瑕疵を教える動機を持つ人間。
絞り込んでいくと——一人しかいない。
「……ルーカス」
ドルフは静かに呟いた。
笑顔は、なかった。
しばらく、動かなかった。
それから——ゆっくりと立ち上がり、会議室を出た。
廊下を歩く足音が、静かな宰相府に響いた。
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入口を出ると、エリーゼが立っていた。
俺の顔を見た瞬間、ぱっと駆け寄ってきた。
「終わった? 大丈夫だった?」
「終わった」
「よかった——!」
エリーゼが胸の前で手を組んだ。心底ほっとした顔だった。それから、俺の顔をまじまじと見て言った。
「怪我とかない?」
「会議だ。怪我はしない」
「でも心配だったんだよ」
「……ありがとう」
エリーゼが目を丸くした。
それから、じわじわと笑顔になった。
「アシュくん今、ありがとうって言った」
「言った」
「珍しい」
「……そうか」
エリーゼがくすくすと笑った。
後ろから足音が近づいてきた。
セレスティアだった。手帳を抱えて、いつもより少し早足で歩いてくる。
俺はセレスティアを見た。
「助かった」
セレスティアが少し立ち止まった。
「……研究対象を失うわけにはありませんから」
「わかっている」
「本当にわかっていますか」
「わかっている」
セレスティアが「……そうですか」と言って、手帳を開いた。何かを書き込んでいる。顔が、わずかに赤かった。
エリーゼがセレスティアを見て、にこりと笑った。
「一緒に何か食べに行かない?」
セレスティアの手が止まった。
「……データの整理が」
「少しだけでいいから」
セレスティアがエリーゼを見た。
しばらく間があった。
「……少しだけなら」
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宿の近くの食堂は、小さくて落ち着いた店だった。
窓際の席に三人で座った。
エリーゼが迷いなくスープとパンを頼んだ。セレスティアは品書きをじっと見てから、同じものを頼んだ。俺も同じものにした。
しばらく、三人で黙って食べていた。
「セレスティアさんって、魔法学院ずっといたの?」
エリーゼが聞いた。
「……十歳から。スカウトされて入学しました」
「すごい。天才じゃん」
「天才という言葉は正確ではありません。努力の結果です」
「でも十歳でスカウトって、普通じゃないでしょ」
セレスティアがスープを一口飲んだ。
「……友人はいませんでした。研究ばかりしていたので」
さらっと言った。
本人は何でもないことのように言っていたが——その一言の重さを、エリーゼはちゃんと受け取ったらしかった。
「そっか」
エリーゼは余計なことを言わなかった。
ただ「そっか」と言って、パンをちぎった。
セレスティアが、エリーゼを横目で見た。
何かを言いかけて——やめた。代わりにスープを飲んだ。
俺はその光景を、黙って見ていた。
(悪くない組み合わせだな)
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食事の後、宿に戻りながら俺は言った。
「明後日、王都を出る」
エリーゼが「そっか」と頷いた。
驚いていなかった。わかっていたのだろう。
セレスティアが足を止めた。
「……そうですか」
俺はセレスティアを見た。
セレスティアはしばらく俺を見ていた。それから手帳を取り出して、俺に差し出した。
「これを持っていってください」
「……何のためにだ」
「道中で気づいたことがあれば書き込んでください。魔法に関することでも、スキルの挙動でも。次に会ったとき、返してもらえれば——それがデータになります」
俺は手帳を受け取った。
「……次はいつ来ますか」
セレスティアが静かに聞いた。
「わからない」
「そうですか」
それ以上、何も言わなかった。
帰ろうとしなかった。ただ立っていた。
エリーゼがセレスティアの肩をぽんと叩いた。
「また会えるよ」
「……根拠のない発言は好きじゃありません」
「根拠あるよ。アシュくんはまた王都に来るし、セレスティアさんは絶対まだ研究したいことあるでしょ」
セレスティアが黙った。
否定しなかった。
「……そうですね」
小さく、そう言った。
表情が、少しだけ和らいでいた。
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その夜、ゴードンが封書を持ってきた。
「アシュレイ様。どちらからかは——差出人の名前がございませんでした」
受け取って、封を開けた。
中身は短かった。
一文だけ、書いてある。
『王都を出るのは正しい判断です。ただし——次に来るときは、もう少し私を困らせてください。』
俺はしばらく、その一行を見ていた。
(困らせる、か)
思わず——口元が、わずかに動いた。
「どんな手紙?」
エリーゼが覗き込んできた。
「なんでもない」
「絶対何かある顔してる」
「なんでもない」
俺は手紙を折り畳んで、上着の内側に入れた。
エリーゼがむっとした顔になった。
それから「まあいいけど」と言って、自分の荷物の整理を始めた。
俺は窓の外を見た。
王都の夜空に、星が出ていた。
明後日、ここを出る。
次に来るときは——もっと大きくなって来る。
それだけは、決めていた。
カクヨムで先行公開しています。
頑張って執筆していきますので面白い、続きが気になると思っていただけた方は応援して頂けると嬉しいです。




