第十章 嵐の前 三
十章 嵐の前 三
わたしが考えていたより、カンスケは手早く死神との戦いの準備をしてくれていた。決戦ぎりぎりになって、ようやく準備完了になるかなぁと考えていたが、すでに準備万端だ。ただ、そうではない人が隣に座っている。ガンジイだ。ここに全員が集合する前に、カンスケとマリアさんにわたしのことを相談してみたが、結果は分かっていた通り、どうしようもない、だった。
「無の力に干渉するのは、おれには不可能だ。ママはどう?」
「同じく不可能です。レイレイさんは、その力をどう扱うつもりなのですか?」
「心配しなくていいですよ。死神との戦いが終わったら、わたしは自分をこの世界から切り離します。だけどこの世界に存在するようにするんです」
ざっくりとしたことしかあえて言わなかったが、それがわたしの計画だ。無の力に、あえて自分を呑み込ませる。ただしそれを、わたしが操作できるうちに実行する。
「まず無の力を使って、わたしの魂と、この世界の境界を無にします。ですがそれは、わたしがこの世界に影響を与えることが出来なくなるだけで、次元情報上はわたしはまだこの世界に存在していることになりますよね」
「別次元へ、自身の魂をシフトするということですね」
「そしてわたしは、自分という存在を消滅させます。正確にいうと時間という概念を無にします。わたしは時間が消えた空間の中で、永遠に存在することになる」
それが解決策。死神に一度勝ったとしても、宇宙の意思は新たな死神を用意して、またこの世界を消滅させようとしてくる。でもそもそもの話、死神は無の力に定められた人間を利用することでそれを達成する。わたしが一切干渉不可の次元に移動してしまえば、死神といえどこの世界を消滅させることが出来なくなる。
「そして宇宙の意志でさえも、わたしに干渉することは不可能になります。無の力と宇宙の意志は同位体ですからね。一つの世界の中に、無の力を持つ魂が二つ同時に存在することは不可能ですから」
「やっぱりきみは自分を犠牲にして、この世界を守る人柱になるつもりだったみたいだね」
そういうことだ。簡単に言ってしまえば、わたしが生贄になることで、この世界は守られることになる。死神はこの世界に侵攻する意味がなくなる。新たな無の力の持ち主が産まれてくることもなくなる。宇宙はこの世界を危険だと判断して消滅させようとしているけど、それが絶対不可の状況をつくることが出来る。
「しかし私はそれを止めたいと言っているのだ。麗冷が犠牲になるなど許さぬ」
「いるよね、ガンジイみたいな自分は犠牲にするけど、人を犠牲にするのは嫌がる人」
「そんな話はしておらぬ」
「わたしがその、ガンジイみたいな人なんだよね」
ガンジイはわたしの顔をじっと見つめ、その後顔をそらした。そして深く長く息を吐くと、顔をうつむかせたまま、こう言った。
「私は決めた」
「なに?」
「そもそもの根本を解決する方法を、我らは見つけておらぬ。宇宙の崩壊を乗り越える方法をだ」
「まあねぇ」
「死神も、闇の勢力も光の勢力も、そして我らも、目標は同じなのだ。宇宙の崩壊を乗り越えること。それを為す方法がないというのに、麗冷が犠牲になる理由がどこにあるのだ」
「……そんなの、わたしが消えた後でみんなが見つけてくれればいいよ」
なんでガンジイがこんなことを言い始めたのか分からなかったけど、話を合わせた相槌を打っておいた。わたしの本当の計画は、ガンジイにしか話していないし、他の人に話すつもりもない。その計画が成功すれば、宇宙の崩壊を乗り越えることが出来る。この前全部話して、ガンジイはそれを知っているはずなのに。
「私はもう、崩壊を乗り越えることを諦めた。それを決めたのだ」
「……え?」
カンスケの目がすっと真剣なものに変わった。マリアさんの作った笑顔も消えた。ガンジイは本気だ。わたしを止めるために、適当な言葉をつくろっているわけじゃない。
「駄目だよ。ガンジイはずっと、太陽を探して旅を続けてきたんでしょ」
「あぁ。全ての人間が、自由に生きられる世界を実現する為に」
「その全ての中に、わたしが含まれてないから諦めるっていうの?」
「私が犠牲になるのなら構わぬ。だが麗冷を犠牲にすることは許さぬ」
「めちゃくちゃだよ、言ってること」
ここまでの頑固っぷりを発揮されるとは。無の力を抑えることは出来ないのに。このままこの世界が消滅してしまったら、わたしどころか全員が消えてしまうことになる。それこそ本末転倒だ。宇宙の崩壊が訪れる前に、この世界が消えてしまったらどうしようもないのに。
ここで意外なことに、カンスケがわたしを救う案を出してきた。こいつもどういうわけか、最初からわたしを救う方法を考えていたみたいだ。
「おれもレイレイちゃんの計画には反対。きみ一人に責任を押し付けるなんて間違ってる。一人で全ての人間の罪を背負うような真似なんてさせないよ」
「それじゃ、具体的にはどうすればいいって考えてるの?」
「死神の王と交渉して、まずきみの無の力を消滅させるんだ」
死神の王は、無の力を消滅させる短剣を持ってる。というかそれをわたしに突き刺すために、奴らはこの世界に攻め入ろうとしてるわけだし。
「レイレイちゃんが無の力を死神界に放り込んでくれたおかげで、死神の今の目的はこの世界の消滅ではなく、死神界の維持になってるわけだよ」
「そうだね。わたしが生きてても、無の力に呑まれても、死神界も一緒に消滅するからね」
「奴らはこの世界が、宇宙の崩壊を乗り越えられる可能性に気付いてる。だからさ、消滅の危機を解消して仲間になろうって誘うんだよ。それがおれの考える最善策だ」
わたしの無の力が消滅したら、次にいつその力を持った子が産まれてくるかは分からない。仮に翌日世界のどこかで産まれてきたところで、その子が自我を確立するまで、おおよそ思春期を迎えてから成人するまでの、時間の猶予は確かにある。十数年という短い年月で、宇宙の崩壊を超える方法を見つけられるとは思えないが、その間死神がこの世界を攻撃する理由は確かになくなる。
「これならレイレイちゃんを犠牲にせず、さらに死神の王様っていう尋常じゃない力の持ち主とも協力関係を結べる。まぁ、話し合いの場を設けるためには、結局一度戦わないといけないだろうけどね」
「協力を結べなかったら?死神の目的はこの世界の消滅。次に無の力の持ち主が産まれてくるまで、黙って待ち続けられるかもしれない」
「そのときは、また別の方法を考える。それなら納得出来るでしょ、ガンジイさんも」
「でも、マリアさんは納得してないと思うよ」
マリアさんは静かにうなづいた。カンスケが「うわぁ」と本当に嫌そうな声を出して、顔を手で覆う。
「あなたを止めねばなりません。死神との戦いの後、光と闇は再び戦うこととなります」
「勘弁してよママ。もうやめようよ、そういうの」
「いいえ、魂を分解しエネルギーと変えるあなたの方法。それを許すことは出来ません」
「宇宙の崩壊を超える為には、もう正攻法じゃあ無理だよ。ときには邪道が、唯一の成功に繋がる道になるんだって」
「……カンスケよ。さきほど言ったことだが、私はすでに宇宙の崩壊を超えることを諦めておる」
「ちょっと待ってよ、もう議論がめちゃくちゃだって」
珍しくカンスケの言うことにうなづける。もうこれ話し合いじゃなくなってる。それぞれの意見のぶつけ合いにしかなってない。一番まともなことを言ってるのがカンスケという、世にも珍しい状態になってるなぁ。
「まずガンジイさんはそんなこと言ったら駄目だよ。今まであなたが歩んできた道はなんだったの?みんなが幸せになる世界を目指して、ここまでずっと、六〇年も、一人で歩み続けてきたんでしょ?」
「あぁ、そうだ」
「じゃあそれを手放したら駄目だ。宇宙の崩壊を超えるんだよ、人類の歴史を途絶えることなく繋いでいかないと」
「魔女だ」
「……師匠が、なに?」
「死神の王すら圧倒する力を持つ魔女が、崩壊を乗り越えることを諦めているのだぞ」
カンスケが閉口した。お姉ちゃんはこの世界の超人と、死神全員を同時に相手にしても、たぶん余裕であしらってしまう。そのレベルの魂の持ち主が、崩壊を乗り越えることは放棄しているのだから、カンスケの言う通り正攻法では絶対無理。正攻法では。
「私は一度、この宇宙が崩壊するという事実を知ったときに、歩みを止めそうになった。その私を再び動かしてくれたのは、麗冷だ」
「あー……。初めてミニちゃんと会ったときの、あの地下の研究所のこと?」
「いつか必ず崩壊を超えられるはずだと、麗冷が信じさせてくれたから私は再び歩めたのだ。だが、それは人には不可能であることが確定してしまった」
「だからってあっさり諦めるなんて、ガンジイらしくないよ。お姉ちゃんにこっそりなんか言われたの?」
「魔女が死神の王との戦いを我らに見せたのは、魔女も麗冷の計画に反対しているからではないのか」
……どうなのかな。お姉ちゃんは結局わたしをどうするつもりなのか分からない。というか今分かった。ガンジイが突然こんなことを言い始めた理由。それはわたしが宇宙の崩壊を超える方法を、ガンジイに教えてしまったからだ。
しまった、失敗だった。わたしの本当の計画を実行出来れば、わたしが犠牲になれば全部うまくいく。死神との戦いも終わるし、闇と光が戦う理由もなくなる。それは逆説的に、わたしが犠牲になる以外に宇宙の崩壊を乗り越える方法がないってこと。お姉ちゃんですら諦めているのだから。だからガンジイはわたしを救うために、宇宙が崩壊しても仕方がない、なんて言い始めてしまったのか。
「もう収拾つきそうにないし、この話はまた今度に持ち越しだね。そろそろみんなが集合してきそうだし」
「おれが思うに、収拾つくことはないだろうけどね」
「親子げんかが続く限りはね」
「ママもさぁ、少しは譲歩してよ。お互い目標は同じなのにさぁ」
「ならばあなたがそうすればいいのです」
これはもう四人での話し合いじゃない。二対二での根競べになってる。カンスケとマリアさん。ガンジイとわたし。ちょっとガンジイと二人だけで話してこようかな。もう少し時間はあると思うし。ガンジイにそう提案し、席を離れることにした。適当に通路を歩いて空き部屋を見つける。ここは工作室かな、機械をいじるための道具が色々と置かれていた。
「わたし一人のために、今までの旅路を無駄にしないでよ」
「……世界を取り巻く状況は、あまりにも複雑化しておる」
「ほんとにねぇ」
「死神、闇と光、宇宙の意志。そして宇宙の崩壊。闇に閉ざされたこの世界と太陽。闇人、闇の扉、黒炎石。要素を上げ始めるときりがない。食料の生産や物資の確保。土地の奪い合いまで多岐にわたる」
「それをぜーんぶ一気に解決する方法を、この前教えたでしょ。わたしの本当の計画をさ」
「麗冷一人が、犠牲となる計画をな。私の声が聞こえておるのか、子よ。お前の原点はそのようなものであったか?」
……わたしが旅をしていた理由。それは強くなりたかったから。自分が救いたいと思った人を、ちゃんと救える強さが欲しかったからだ。
「お前は無の力という、人の手に余る力を手にし、己の原点を忘れておるのだ。無の力に呑まれておる。その力に頼りたくないと、お前自身が言っていたはずだ。しかし近頃のお前は、常にその力に頼っておる。お前は自らの意志で犠牲になることを選んだのではない。無の力にそうさせられておるのだ。だから私は、お前を犠牲にする計画に賛同出来ぬと言っておるのだ」
「……わたしはいつの間にか、無の力に利用されてるってこと?」
「そうだ、お前がそれに気付いておらぬだけだ。己の意志で犠牲を選んだと、そう思い込まされておるだけだ。宇宙の意志に利用されておるのだ」
……言われてみれば、確かにそうだったかもしれない。最近のわたしは、ずっと無の力をどう使うか、それしか考えていなかった。
「ここまでの旅路を思い出すのだ。私と出会った頃のお前は、己の心身を鍛えることに懸命であった。今の自分の腹を見てみろ、どうなっておる」
服をめくって、自分のお腹を見てみた。……起伏のない、華奢でなだらかなお腹だ。
「ムクに宣言しておったはずだ。腹の筋が割れるまで鍛錬を続けると。己を鍛え続けると。そのお前はどこへ消えてしまったのだ」
「……わたしは……」
「今のお前は、麗冷ではない。無の力に呑まれた、誰でもないなにかだ。貴様は一体誰なのだ」
わたしは、レイレイだ。ガンジイがくれた名前だ。そう記録されている。この個体の名称はレイレイであると、本人が認識している。記憶、人格、思考、それは全て保管され、こうしていつでも再現可能だ。レイレイなら、この質問に対しこう返答するはずである。
「大丈夫、わたしはレイレイだよ。ちゃんとわたしのまま」
「違う、貴様は誰かと聞いておるのだ」
想定外の返答。当人物は、この個体の名称をレイレイと認識しているはずである。検索し、応答する。適切な文言を選択、最適な回答パターンを形成。
「ガンジイ、人はそのときによって、いつでも同じ自分でいられるわけじゃないよ。経験の中で、考え方が変わるのは当たり前のことでしょ?」
「麗冷ならばそう答えるであろう。何度も同じことを言わせるな。貴様は誰だ。私はそう問うておるのだ」
再び想定外の返答。当人物は、この個体をレイレイと認識していない。返答不可。
「……ならば問いを変えよう。麗冷は、もういないのか?」
返答不可。
「ただ事実を答えればよいのだ。麗冷は、どこにおるのだ」
質問概要の理解完了。適切な返答を出力。
「その質問に対する、適当な返答は存在しません。あなたがレイレイと認識している人格は、統合意識の内部に保存されており、個としての形状はすでに存在しませんが、そこに存在していることは事実です」
「……貴様を打ちのめせば、あの子は戻ってくるのか?」
「その質問に対する、適当な返答は存在しません。あなたがレイレイと認識している人格は、統合意識の内部に保存されており、個としての形状はすでに存在しませんが、そこに存在していることは事実です」
「もうやめなさい、それになにを聞いたところで無駄よ」
私の背後から、魔女が現れた。この者ならば分かるはずだ。麗冷はどこへ行ってしまったのか。あの子はまだこの世界に存在しているのか。その返答によっては、魔女といえど無傷では帰さぬ。
「この子の体は、宇宙の意志に操られているわ。本来であれば無の力にすでに呑まれ、この世界は消滅しているはずなのよ」
「麗冷が生きているのかどうか。私が聞きたいのはそれだけだ」
「生きているわ。でもこれは……。これは本当に、私も予想していなかった事態なのよ」
「何故こうなったのだ」
「私はこの子が、この舞台の狂言回しだと考えていた。それがこの子の役目だとね。主役はあなたのはずだった。でも違った。この舞台の主役はこの子だったのよ」
この者の遠回しな比喩にはうんざりだ。強引にでも答えを聞かせてもらう他あるまい。
「麗冷はどこにおる。どうすればこの子は戻ってくる。それだけを答えればよいのだ」
「あの子がそれを望むまで帰ってこないわ。私にも干渉は無理。あの子は今、宇宙の意志と一体化しているのよ」
「……麗冷がそれを望み、実行しておるのか」
「そう、この子自身の意志でね。この子があなたに話した本当の計画は、この子が考えたものよ。宇宙の意志に操られて、利用されたわけではないのよ」
「……今麗冷は己の体を、宇宙の意志に操らせておるというのか。麗冷がそうさせておるというのか」
「そうよ。そもそもの話、宇宙の意志という呼ばれ方をしているものに、人格や思考は存在しないわ。この宇宙を存続させる為のシステムに過ぎないのよ。雨が降ったり、風が吹くことや、火山が噴火することと同じ。それは意志によって引き起こされるものではなく、ただそうなっているだけなのよ」
さきほどよりは要領を得た回答ではあるが、まだ不明瞭だ。なぜこうもはっきりと答えを提示せぬのだ、この者は。
「宇宙の意志もあなた達と同じ。決して崩壊を望んでいるわけではない。存続させ続けることを願っている。あの子は今、その方法を宇宙の意志に提示し、承認を得ようとしているのよ」
「……承認が得られたなら、麗冷は戻ってくるのだな」
「得られなくてもよ。安心しなさい、どちらにせよこの子は帰ってくるわ。ただ私達には、それを待つことしか出来ない」
「承認が得られたならば、麗冷が犠牲になることが決定したということになるのか」
「そうね、あなたや仲間達にとっては、そうならない方がいいでしょうね。私にとっても。だって、そうなってしまったらもう、この子を止めようがないもの」
魔女ですら触れられぬ場所に、麗冷は行ってしまったのか。私が早く気付いていれば、それを止められたのか。止めようがないことであったのか。
「よく気付いたわね。あなた以外に、この子がここにいないことに気付いている人はいないわ。カンスケやマリアでさえも」
「止められねば、意味がない」
「あなたの声は届いているはずよ。この子を揺さぶり戻そうとしたのでしょう?でなければ『宇宙の崩壊を諦めた』なんてあなたが言うわけないもの。協力するわ。この子がやろうとしていることには、私も反対だもの」
魔女はそこまでを言い、姿を消した。この歳になってもまだ、己の無力を痛感させられる。あの子は自らの意志で、自分を犠牲にしようとしておるのか。それは何故か、答えは一つだ。我らが無力だからだ。あの子の他、宇宙の崩壊を乗り越えることの出来る力を持つ者がおらぬからだ。あの子は信じなかったということだ。私を、皆を、カンスケやマリアですら、魔女ですら、信用に値しないと判断したのだ。
宇宙の崩壊を乗り越える為には、自分が犠牲になる他ない。あの子は、そう決断したのだ……。
「ガンジイ、さっきからずっと怖い顔してるね」
「……」
「そろそろ戻ろう。もうみんなが集合してくる頃だろうし」
麗冷のふりをした肉体がそう言い、私はカンスケとマリアの元へ戻った。その後すぐに麗冷の友のソノコとダンデが戻り、明も少々遅れて戻ってきた。後はムク達の戻りを待つのみだ。麗冷がここにおらぬことを、皆に伝えるべきか。皆でこの子を救う方法を検討すべきか。……いや、ならぬ。目先に死神との戦いが控えておる。麗冷と親交の深いムクやソノコが、戦いに集中出来なくなる。それを踏まえ、あの子は誰にも話さず一人遠い場所へ行ってしまったのか。
現在のところ、あの子が本当に企てておることの全貌を把握しているは私だけか。魔女もそうであろうが、どこまで信用出来るものか……。さきほど協力するとは申し出たが、それが真である保証がない。
救わねばならぬ。子を犠牲にして得た安寧に、なんの意味があるというのだ。そのようなことは、私のような老いた者がすべきこと。これからの歴史を紡ぐ若人がすることではない。老人が支配する世に未来はない。枯れた葉は土へと還り、若き芽を育む為の土壌となるべきなのだ。
私はお前が、新たな歴史の中に咲く花となることを望む。なんとしてでも、子の未来を守らねば……。
わたしの意識、魂は、宇宙の意志というサーバーに接続されている。突然自分がここに移行してきたわけではない。前々から少しずつ、データの移行作業は進んでいたんだ。小分けにしてゆっくりと、私という存在は上位次元へと転移し、ついに全てがここに在る。これはたぶん、お姉ちゃんにも想定外の事態だろう。わたしも狙ってここにいるわけじゃないんだ。いつかここに来るかもしれないなとは考えていた。そして実際そうなっただけだし。
無の力に、宇宙の意志に吞まれていくわたしは、まだ自分の人格を保ってここに存在している。自分の魂の一部に、無の殻をつくっておいたから、まだ自分を保てている。保険にやっておいたことが、役に立ってくれたな。それにしてもすごいな、ここは。あらゆる情報が記録されていて、うかつに触ろうものなら、わたしなんて一瞬で溶けてしまうだろう。
ここには姿形なんてものはない。空間とか色とか匂いとか、そんなものもない。感覚的には、SNSなんかを見ているときに、ひたすら情報が更新され、次から次へと新しい映像だの文章だのが出てくるのに似ている。段々と頭がぼうっとしてきて、ただ目の前に流れる情報を、なんの思考もなくただ眺め続ける感覚。情報の大海原、もしくは宇宙空間に放り込まれたような浮遊感だ。
それにしてもガンジイは、わたしがここにいることによく気付けたな。わたし自身もしばらく自分がどこにいるのか分からなかったのに。だからって、宇宙の崩壊を乗り越えるのは諦める、なんて。そんなこと言い出されたら違和感しかないよ。カンスケとかマリアさんに怪しまれるかもしれないのに。なんにせよ、この状況を利用させてもらおう。宇宙の意志が、わたしの計画に賛成してくるかどうか。正確に言うなら、わたしの計画を実行しても、この世界は崩壊せずに成立し続けられるのか、その確認作業だ。
だけどガンジイに言われたことはもっともだったなぁ。最近はずっと、無の力をどう扱うかばかり考えていたな。わたしがそれに吞み込まれないためでもあるから、仕方なかったことだけれど。でも腹筋がつるっつるになっていたのはショックだ。元々筋肉が付きづらい体質なのは分かってるけど、少しさぼっただけで退化するなんて。ムクは喜ぶだろうけどなぁ。
……エラーか。今やろうとしている計画を実行すると、この世界の定数が崩れてしまう。全部が真空崩壊してしまうのか。なら方法を改善しないと。死神との決戦の前にここに来られてよかった。自分の脳の中だけでこれのシミュレーションをするのには、尋常ではない負荷がかかる。ここならプログラミングさえ打ち込んでやれば、それが成立しているのかを、宇宙の意志が自動で返答してくれる。この宇宙を形成しているシステムが、それが可能であるかどうかを判定してくれる。
さっきからあれこれ試しているけれど、これ、この宇宙全部を崩壊から救うのは無理だな。さっきからエラーが出てるのは、こちら側の都合ではなく、向こう側の都合になってる。どうしようかな、救えてこの世界一個だけか。宇宙のほぼ全ては見殺しにするわけか。だったらもう、諦めた方がいいのかな。おとなしく自分という一人の人間に出来ることを受け入れて、この命を全うするか。それに納得出来るのか……。
わたしは強くなれたのだろうか。旅を始めた頃、ロイさんとアリーンさんを救えなかったから、わたしは強くなりたいと願うようになった。そのために自分が出来る努力もしてきたつもりだ。自分が救いたいと思った人を、救える強さを求めた。結局わたしは腹筋すら割れない子供のままだが、人間には余る力を与えられてしまった。自分が努力して得た力ではない、宇宙の勝手で与えられた無の力。この力を利用すれば、この世界だけは救える。でも、そこまで大げさなことをする必要があるのか、疑問にも感じてきてる。過去のガンジイの村を見たりもしたけど、結局人間は愚かだという考えが深まっていく一方だ。
だったらもう人間を、ではなく、自分が大切に思える人だけ救えばそれでいいんじゃないかな。自分を犠牲にして世界全部を救うなんて、そんなことまでしなくていいのではないだろうか。でもガンジイは、全ての人を救いたいと思ってるんだよなぁ。救ったところで、自由に生きられる世の中になったところで、ほとんどの人間は愚かなままだろうけどなぁ。
どちらの選択を取るのか、ここが最後の分かれ道だ。自分を犠牲にし、この世界を崩壊から守るのか。無の力を放棄し、一人の人間として生きて死んでいくのか。無の力を消滅させるだけなら、カンスケが言っていた通りに、死神の王を利用すれば可能だ。わたしはただの人間に戻る。無の力も闇視も使えないただの人に戻る。でもその、ただの無力なわたしを救おうとしてくれている人たちがいる。
宇宙の崩壊を乗り越えることは、わたしの計画を実行する以外に不可能だ。この場所に来てそれが確定した。カンスケやマリアさんがなにをしても、死神の王と協力関係を結ぼうが、お姉ちゃんの力に頼ろうが無理だ。でもわたしなら、この世界だけは崩壊から守り抜ける。
自分が努力して得る強さを追求するか。努力せずに与えられた超能力で世界を救うか。人として生きるか、人を捨てるか。
……園子と話したいなぁ。ガンジイが何を言うかは分かり切ってるし。自分ではもう決められそうにないや。もうあっちに戻ろうか。
次回へ続く……




