76話
「いやー、見事に治ったね」
「ああ、アカリのチート治癒並みの回復だな」
ぼろ雑巾のように吹き飛びながらも、上空で体勢を立て直し、何事もなかったかのようにきれいに着地したカケルを見て、俺たちはそんな感想を言い合う。
「私、あんな離れた場所からの回復はできないよ」
「とはいえ、服も何もかも元通りになってるしな。傷を治したっていうより、時間を巻き戻してる可能性のほうが高い」
「だよねえ」
身体の損傷だけでなく、切り裂かれた服まで完璧に修復されたその状態は、アカリの『治す』能力と同様、対象の時間をさかのぼらせて元の状態へ戻していると考えるのが自然だった。
そして、その後の彼らのやり取りを注視する。
「……まずいかもしれないな」
「何が?」
「さっきリンリンが動いてただろ。つまり、今までカケルは本気じゃなかった可能性がある」
「それってどういう――」
アカリが言い終わらないうちに、ハジメの右首筋から大量の血が噴き出した。
「グッ……!?」
ハジメは片側の巨大な盾を取り落とし、切れて血が吹き出す首筋を必死に手で押さえる。
「え? なに!?」
「本当に……見えなかったな。ここまで能力が向上するのか」
「今まで、補助なしでやってたってこと!?」
「みたいだな」
今までの緩急やフェイントといったレベルではない。遠くから見守っていた俺たちの目ですら、彼が動き始めてから止まるまで、その姿を捉えることが全くできなかった。
純粋で圧倒的な速度。そして、硬質化したハジメの肉体すら容易に切り裂く破壊力。
リンリンによる『補助』の力とは、これほどまでに劇的なものなのか――。
ハジメは抵抗するように、残ったもう片方の盾を懸命にカケルへ向け構え直す。だが次の瞬間、その手首から先が盾を握った拳ごと綺麗に切り離され、逆側の首筋も深く引き裂かれた。
激しい出血により、ハジメは一瞬で意識を失い、その場に崩れ落ちた。
「あとはお前たちだけだ。素直に負けを認めるなら今だぞ」
圧倒的な力を誇示し、カケルが冷ややかに告げる。
その発言を受け、アカリはのんきにこちらを向きながら問いかけてきた。
「ハジメが負けちゃったけど、どうしようか。勝てる?」
まあ、正直な話をすれば、アカリにとっては勝負に負けたところで「結局は自分たちが戦場に赴くだけ」であり、現地で話し合う時間はいくらでもあるため、この勝負自体にそこまで大きな意味を見出していないのかもしれない。
むしろ負けたとしても、現地で王国軍とは異なる視点を彼らに見せられればそれでいい、とすら思っているのだろう。
とはいえ、このままあっさり負けるというのも後々面倒なことになる。何がって、大人はともかく、街の子供たちの反応がだ。
ハジメとアカリが戻ってこなければ、彼らと親しく交流していた子供たちが深く悲しむことになるのは目に見えている。
「まあ、やってみるよ」
そんなわけで、素直に降参する前にひとまずは勝負を継続することにした。
せっかく色々と訓練を積んできたのだから、試してみたいという気持ちもある。
最悪失敗して死んだとしても、『まあアカリが後で復活させてくれるか』という絶大な安心感もある。やれるだけやってみよう。
ただ、その前に一つ断りを入れておく。
「ちょっとアカリにはエグいことを頼むかもしれないから、その辺よろしく」
「え?」
首をかしげるアカリにひらひらと手を振りながら、俺はカケルのほうへとゆっくり歩みを進めた。
「降参か?」
余裕に満ちた表情でカケルが問いかけてくる。
「いや、続行だ」
「愚かだな」
その言葉が終わると同時に、カケルの姿が完全に視界から消え去った。
本当に緩急がどうこうという次元ではない。どこにいるのかすら全く判別できない超絶的な速度だ。
しかし――
「なっ……!? 何をした……!?」
死角となる背後へ突き抜けたと思い、アカリのほうを確認していた俺のすぐ後ろから、困惑と苦悶が混ざった声が響いた。俺は落ち着いてそちらへ向き直る。
俺の足元を中心に、周りの地面はうっすらと湿った色を見せていた。俺の全身を包むように展開させた『水の結界』だ。
「そんなことより、その手の傷は大丈夫なのか?」
彼が手にしたナイフは跡形もなく細切れに砕け散り、握っていた手は赤く染まって、無事なほうの手で激痛に耐えるように固く押さえられていた。かなりの出血だ。
「ソウシ、頼む!!」
よほど焦っていたのだろう。この土壇場で、カケルはあっさりと仲間の名前を叫んでしまった。
これで、今まで不透明だった回復役の正体がようやく確定した。
この戦いにおいて一番の難関は、『時を戻す能力者が誰か』を特定することだった。
戦闘前線に立つカケルと、強化付与を行ったリンリンはひとまず除外できる。そして山登りの際、リンリンが軽いノリで能力を使おうとしたとき、ソウシが苦々しい顔をしていたのを俺は見逃さなかった。あれは切り札である能力者の正体が暴かれることを警戒しての態度だったのだ。
それまで、ソウシとシオリのどちらがその時戻しの能力者なのか絞り込めずにいた。
仮に結界の能力者をを先に無力化したとしても、時間を戻されて対策を講じられれば元も子もない。最悪、話し合いの前にまで時を戻され、そこからいいように工作を仕掛けられるかもしれない。
時を戻すとはそれほどのアドバンテージがある。
だからまずは真っ先に、時間を戻す能力者を無力化する必要があったのだ。
しかし今、カケルが自らの傷を癒やすためにその名を呼んだ。
こうなれば、勝機は十分にある。あとはどこまで時間が巻き戻されるかという問題だけだ。
「ソウシ! ……ソウシ!?」
傷の回復がないことに疑問を覚えたカケルが背後を振り向くと、そこにはすでに倒れ込んでいるソウシの姿があった。
「こんな大事な局面で心臓発作とはな……何とも不運な奴だ」
置換を用いて、ソウシの心臓と脳の内部をごっそりと消失させ、能力を使わせる間もなく無力化した俺は、すっとぼけて気軽にそう言い放つ。
「貴様ぁっ!!」
激昂したカケルが無事なほうの拳で殴りかかってくるが、やはり俺の全身を覆う水の結界に阻まれ、その腕も先ほどと同様に細切れに破壊された。
「クソっ――」
絶望の言葉を最後に、心臓からの血の供給が失われたカケルは地面倒れ込む。
俺はその横を何事もなかったかのように通り過ぎ、ゆっくりとした足取りで、結界が張られた四代目たちの陣地へと歩を進めた。
「こ、こっちに来ないでください……!」
まるでこの世の恐ろしいバケモノでも目撃したかのような顔で、シオリが悲鳴にも似た声を張り上げる。
その悲痛な声を無視して足を進めると、唐突に見えない透明な壁に顔面からぶつかった。
「痛った……」
ぶつかった額を指でなでながら、もう片方の手で空間に存在する結界の感触を確かめる。
やはり、ソウシが『時戻し』で、シオリが『結界』の能力者だったわけだ。これで完全に確定した。
その事実を確認したのとほぼ同時に、シオリが意識を失って倒れ、見えない壁が跡形もなく消え去る。
結界があった位置を通り抜けた腕を戻し、俺は残された最後の一人へ向けてさらに足を進めた。
「さて……どうしますか? 降参しますか?」
呆然と座り込むリンリンの目の前に立ち、静かに確認をとる。
「何言うとんねん」
そう言うと、彼女はいつも通りの気さくな笑顔を浮かべて力強く宣言した。
「降参するに決まっとるやろ」
「ありがとうございます」
リンリンの潔い返答に心底ホッと息を吐き、俺は振り返ってアカリを呼ぶ。
「おーい、終わったよー! 回復頼むー!」
「……えっぐ」
遠くで成り行きを見守っていたアカリは、引くのを通り越して何とも複雑なものを見るような顔をしていた。




