75話
話し合いは終了し、自然と訓練場の両端に分かれる流れとなった。
その後、相手方は話に聞いた通りカケルのみが前に出てくる。まずは彼を打倒しなければならないのだろう。対する俺たちは、両腕に盾を装備したハジメのみが前へ進む形となった。
ふと思い立ち、足元に転がっている石を拾って、カケルのさらに向こうにいる三人が集まっている場所へ軽く投げてみる。山なりに飛んでいった石は、空中で何かにぶつかったような音を立て、跳ね返るように進路を変えて落下した。
「あいつらを先にどうにかしようとしても無駄だ。俺を倒してから攻略方法をじっくり考えるんだな」
俺の行動を鼻で笑うようにカケルが言ってくる。
「確かに。あれが噂に聞いた結界か」
「ハジメのバカ力で何とかなんないかなあ」
「まあ、結局はハジメ頼みってところだな」
そう言いながら、俺は念のため訓練していた『水の結界』を発生させる。
薄く生成した不可視の輪の結界が、アカリと俺を囲う形で展開される。とはいえ、敵はまず目の前のハジメを倒してからこちらの様子を窺ってくるだろうから、この結界は本当に保険のようなものだ。
訓練場の中央へと歩みを進めた二人を眺めていると――唐突にカケルが視界から消えた。
いや、実際に消えたわけではない。
予備動作が一切ない状態からトップスピードに入ったため、目が追いつかずに消えたように感じたのだ。
――速い!
一瞬にして間合いを詰めてきたカケルに驚きつつも、ハジメは巨大な盾を横から殴りつけるように振るう。
しかしカケルはその猛烈な盾の軌道を視界の端で捉え、ミリ単位の精度で難なく回避。攻撃が通り過ぎてガラ空きになったハジメの腕の隙間へ踏み込み、速度重視の鋭い斬撃を叩き込んだ。
一瞬の間に響く数度の接触音。
服の表面が切り裂かれ、中に編み込まれた天竜鳥の白い素材が覗く。
今の斬撃の手応えにカケルは眉をひそめ、ハジメの両手の盾に囲まれる前にバックステップで瞬時に十分な距離をとると、再びゆったりとした足取りで近づき始めた。
「速っ……速くない!?」
「ああ、速いな。ただ、速いことよりもあの盾の攻撃をあの位置でかわしたことのほうが……」
「経験の差かなあ。やっぱり分が悪い?」
緩急をつけて相手の視界から消えるような動き。
攻撃の軌道を完全に見切る目と、それを最小限の動きでかわす体捌き。
まさに幾多の戦場を潜り抜けてきた歴戦の戦士の動きだ。
じっと待って相手の行動を窺うのは不利だと察したのか、ハジメはガードを固め、タックルを繰り出すように突進した。
だが、優雅に動いていたカケルは接触する直前、滑るように側面に移動する。
あまりの緩急の差に、ハジメには敵が消えたように見えたのだろう。突進の衝撃がないことに焦ってブレーキをかけ、まるで突然真っ暗闇に放り出されたかのように動きを止めてしまう。
しかし、カケルはすでにハジメの死角である背後に回り込んでいた。
そのまま首筋、脇腹、そして膝裏へ向けて三度の斬撃を叩き込む。
最初の斬撃こそ露出していた首元に微かな切り傷を与えたものの、続く斬撃は服の内部素材が見事にその衝撃と刃を吸収してみせた。
「お、おお……!」
ハジメは感嘆の声を漏らしながら、背後にいるカケルのほうへ振り向く。
「この服、本当にすごいな……!」
必殺の斬撃を三度も浴びせたにもかかわらず意に介していない状況に、カケルが呆然と立ち尽くす。それをよそに、ハジメは自らの装備の性能に純粋に驚いていた。
「すごいのはお前の体だよ。頑丈になるとは言ってたが、そこまで頭の悪い硬さなのか……」
あまりのタフさに、俺はツッコミを入れずにはいられなかった。
まあ確かに、トン単位の物質を持ち上げて投げるような腕力があるなら、それを受け止める体にも相当な頑丈さが必要なのだろう。やっぱ神様は頭が悪いというか、加減というものを知ったほうがいい。
「あれ? ハジメって意外に強い? いける?」
「どうかなあ……」
アカリの能天気な発言に、俺は疑問を呈する。
「結局、攻撃が当たらないと勝てないわけだし、よほどのことがない限りじわじわ削り殺されるんじゃないかなあ」
「あー、そうかも。まあ、そこはハジメの日頃の行いを信じよう」
「信じられる?」
「無理かも」
カケルは再び距離をとり、深く息を吐きながら姿勢を低く落とした。
「その首……無敵ってわけでもないんだな」
言葉が終わると同時に、ハジメの右側の首筋を狙ってカケルが急突進を開始する。その桁外れのスピードに鋭い斬撃を乗せる気だ。
カウンターを狙い、ハジメの盾が横一文字に薙ぎ払われる。
だが次の瞬間には、ナイフを持ち替えたカケルがハジメの左側をすれ違いざまに通過し、背後で静かに振り返っていた。
「ぬう……っ!」
ハジメの左の首筋には、先ほどよりも深い傷が刻まれ、血が滲んでいた。
「これは、ヤバいかもな」
ハジメは今のフェイントに全く反応できていなかった。こうなると、同じパターンを繰り返されてなぶり殺されるだけになってしまう。適当に盾を振ったところで、最初の攻防を見れば敵は見てから余裕で回避できるのだ。速度重視の勇者は移動速度だけでなく、その速度に対応するための思考速度も異常なまでに引き上げられているのだろう。
「天はハジメを見放したか……」
「アーメン」
アカリの諦めきった言葉に俺も乗っかる。
「おい外野! こっちは真剣なんだから少しは応援しろ!」
俺たちの呑気なやり取りに、ハジメが必死の形相で怒鳴り返してきた。
「がんばえー」
「まだまだいけるぞー」
「やる気ねえ!!」
せっかくの心のこもった声援も、ハジメには不評だったようだ。
とはいえ、このままハジメがやられるのは困るので、そろそろ本格的に手助けをしてやるとしよう。
俺たちのやり取りを見ていたカケルが小さなため息をつき、先ほどと同じ低い姿勢をとって突進を開始した。
その瞬間――俺はその進行経路とハジメの周囲の空間に向けて、極小の『置換』をばら撒くように連続発生させた。
ハジメが先ほどと同じように力任せに腕を振るい、カケルがそれを事もなげに交わそうとしたまさにその瞬間。
置換の結界を踏み抜いたカケルの足元が一瞬だけ不自然に狂い、その動きがほんのわずかに鈍る。
「ぅおおらぁぁぁぁッ!!」
ハジメの気合の入った怒声と、鈍く湿った凄まじい衝撃音が響き渡った。
ずっしりと重い巨大な盾がカケルの身体を捉え、その身を上空高くへと弾き飛ばす。
「あ……」
アカリが口を開く。
「ヤってしまったか……」
「うん、あれは殺っちゃったね……」
高く舞い上がり、人間の形を保っていないように見えたカケルの身体は、仲間たちが集まる結界のほうへと勢いよく吹き飛んでいった。
だが、彼は上空で何事もなかったかのように人間の形を取り戻し、体勢を立て直し、綺麗な着地を決めてみせる。
「……何があった?」
綺麗に着地したカケルは振り返り、ソウシに確認をとった。
「盾の攻撃を交わしきれずに、ボロ雑巾のようになって吹き飛ばされたぞ」
「そうか。甘く見すぎていたのかもしれたな……」
カケルの呟きに、ソウシは静かに深く頷く。
「ああ。――リン」
「あいよ」
合図を受け取ったリンリンが能力を発動する。
「それじゃ、行ってくる」
「まあ、頑張ってなあ」
強化能力を受け取ったカケルは、自分の身体の調子を確かめるように軽く跳ねると、再び静かな足取りでこちらへ歩き出しのだった。




