68話
三人が歩き出してすぐ、側方の藪がガサガサと激しく揺れ、鋭い獣の鳴き声が響いた。
「おっと……」
茂みから勢いよく飛び出してきたのは、飢えた狼型の魔獣だった。しかし、俺は慌てることなく余裕を持ってバックステップを踏むと、流れるような動作で腰の短剣を抜き放ち、一閃して綺麗に切断した。おそらく、ハジメが抱えているグレートボアの血の匂いに釣られて、その肉を目当てに襲いかかってきたのだろう。
「あ、すみません、お手をかけさせてしまって」
グレートボアのあの巨体を丸ごと一頭分担ぎ、両腕が完全に塞がっている状態のハジメが、申し訳なさそうに声をかけてくる。
「いや、元はと言えば肉を持って帰ろうって言い出したのは俺だしな。むしろ、今の一連のとっさの動きが実戦で確認できてラッキーだったよ。というわけで、ハジメ、これからも囮役をよろしく」
「ええっ!? オレ、いつの間にか囮役に任命されてるんですか!?」
不満そうに声を漏らすハジメをよそに、俺はもう一度、先ほどの自分の身体の動きを脳内で振り返ってみる。
「ふむ。全く問題なさそうだな……」
「何が?」
「んん? ああ、この新しい防具のことだよ。さっきの急なステップでも、身体のどこにも突っかからず、動きの邪魔にならなかったからさ」
ハンマーの一撃を防いだだけでなく、一瞬の回避運動においても、今までの私服の時と変わらない――いや、自分が理想としてイメージした通りのキレで動くことができた。
「いいなあ、本当に。あたしも早くマイ防具がほしい」
「もう聖職者風っていう案はあるんだろ? デザインさえ決まれば、あの腕のいい二人なら、案外早く仕上がるかもしれないぞ」
「だといいなあ……」
物欲しそうにアカリがぼやく。
「サトウさんたち、後ろで何かありましたかー? 大丈夫ですかー?」
前方から、異変に気づいた先行のミラから心配そうな声がかかった。
「大丈夫だ! 気にせずそのまま先に行ってくれ。こっちで簡単に処理しちゃうから」
「わかりました!」
そんな会話を交わしながらも、手早く狼の処理を開始する。
と言っても、胸から腹にかけて縦に一気に切り開き、能力の水を大量に流し込んで内容物を一瞬で洗い流しつつ、魔石を確保。綺麗になった内臓はその辺の森の奥へと投げ捨てて完了だ。そうして軽くなった狼の胴体をひょいっと上に放り投げ、ハジメが担いでいるグレートボアの山の上に器度よく乗せる。
「ハジメ、これもついでに頼む。ただ道端に放置するのも防犯上あれだっただけだから、この狼の素材は好きにしてくれ」
「本当に人使いが荒いなあ……。まあ、オレの筋力ならこれくらいどうってことないですけど」
その後は少し足早に移動し、彼女たちの後ろ姿に追いつく頃には、ちょうど鬱蒼とした森を抜けたところだった。
森さえ抜けてしまえば遮るものもなく、アイゼンの巨大な城門へは特に何の問題もなく無事に到着した。門番の衛兵に確認を取り、活気ある街中へと入り、そのまま一同は冒険者ギルドへと直行する。
「無事、依頼も完全終了だな」
「はい! サトウさん、皆さん、本当にありがとうございました」
ギルドの受付前で、リーダーのミラが深く頭を下げて礼を述べる。
「なに、俺たちの手助けが必要ないくらい見事な立ち回りだったさ」
「ほんとほんと。私たち、ただ後ろについて歩いていっただけだからねー」
「オレなんて手が塞がってて、逆に邪魔になっていないか心配だったくらいですよ」
そんな礼儀正しい彼女たちの真摯な対応に、むしろこちらのほうが恐縮してしまう。
「そんなことないっス。後ろにお三方がいてくれるっていう安心感が、全然違ったっスから」
「うん。やっぱり、万が一何か問題が起きても、この人たちなら何とかしてくれるっていう信頼があるからこそ、思い切って戦えたんだよね」
「ええ。ですので、私たちはこれからも今回の成功に慢心せず、一歩一歩確実にやっていきましょう」
「そうっスね!」
初めてのリベンジを見事にやり遂げた直後であるにもかかわらず、彼女たちは浮かれることなく、しっかりと自分たちの現在の実力を見極めているようだ。その様子に頼もしさを感じる。
「それじゃ、これで一旦解散だな」
依頼品の提出も無事に終わり、俺たちが別れを告げて商会へ帰ろうとした、まさにその時だった。背後から低く硬い声がかけられる。
「ああ、すまないが……君たち『大人組』の三人は、ちょっとこちらへ来てくれるかな?」
冒険者ギルド長のスウェインさんが、いつの間にか音もなく俺たちの後ろに立っていた。その声には、単なる確認という余地を超えた、有無を言わせない圧の強い強制力がこもっている。
「うぉっ!?」
「ちょっと、急に後ろから驚かさないでよ!」
ハジメが短く声を上げ、アカリが心臓を押さえながら文句を言う。
「いや、驚かせるつもりはなかったんだ。すまない」
スウェインさんはそう形式的に謝罪すると、手元にある一枚の豪奢な封筒をひらひらと振ってみせた。
「実は、君たち宛てに『手紙』が届いていてね。その内容について、至急話し合いが必要になったんだ」
「手紙、ですか?」
「俺たちに? 一体誰から……? この世界でオレたち宛てにわざわざ手紙を送ってくる人なんか、心当たりがありませんけどね」
ハジメが怪訝そうな顔で呟く。
俺の場合、海洋都市へ行っていたため、そこで出会った人間からの連絡という可能性もなくはない。だが、あそこのタイショーが御用なら、わざわざ手紙なんてまどろっこしい手段は使わず、能力を使ってちょっと出かける程度の感覚で直接ここにきそうな気がする。
「まあ、その辺の詳しい事情は奥で話そう……」
スウェインさんの視線がチラリと周囲の一般冒険者たちに向けられる。どうやら、このロビーでおおっぴらには口にできない内容のようだ。
となると……可能性は一つしかない。王国側からの接触か。
「……まあ、わかりました。場所を移動しましょうか」
俺は最悪の展開を頭の隅で想像しつつ、静かに承諾した。
「ハジメ、これどうします?」
アカリがハジメの担いでいる大量の肉の山を指さす。
「ひとまずギルドに一時預かりしてもらえば?」
「それもそうか」
ハジメたちも素直についていく意思を固め、素材の処理についてスウェインさんに確認を取る。
「もちろん、それくらいはギルドで引き受けるさ」
スウェインはすぐに手近な職員を呼びつけ、裏の倉庫への素材保管の手配を迅速に行わせた。
「さあ、こっちだ」
促されるまま、俺たち三人はギルドのカウンターの脇を通り、一般人は立ち入り禁止となっている奥の厳重な部屋へと案内された。
スウェインさんが重厚な木製の扉をゆっくりと開ける。
その部屋のなかに一歩足を踏み入れた瞬間、場の空気が一気に張り詰めた。
そこに置かれた大きな円卓の周りには、ガストン商会の会長をはじめ、衛兵局の幹部やこの街の有力者ともいえる重鎮たちがずらりと机を囲み、極めて険しい表情で座って俺たちの訪れを待っていたのだった。




