58話:感動の夕食
「ふう、やっと到着か……」
アイゼンの堅牢な門をくぐり、俺は大きく息を吐きながら馬車から地面へと降り立った。
救援部隊と合流した後は、道中の宿場町で一泊を挟みつつ、これといったトラブルもなく順調に旅が進み、夕方近くになってようやく見慣れたアイゼンの街へと戻ってくることができたのだ。
王国軍の不穏な動向については、旅の間も馬車の中でガストン、冒険者ギルド長のスウェイン、そして救援部隊を率いていた防衛部隊のリーダーを交えて緊迫した話し合いが何度も行われていた。
特に天人との間で結んだ『世間話による情報共有』については、今後は軍事・防衛的な観点も考慮し、基本的にはギルド長であるスウェインが窓口となって対応していくことなどが取り決められた。これなら俺が余計な政治に巻き込まれる心配も減るため、非常にありがたい。
また、道中あれほどスウェインが目の色を変えていた天竜鳥の扱いに関しては、あの巨体を個人の場所へ置いておくわけにもいかないため、いったんは冒険者ギルドの巨大な倉庫で一括保管し、その後にディルバードさんを交えて三者でじっくり話し合いの場を設けるという流れで落ち着いた。
こちらとしては、頼まれている頑丈な防具分の素材さえきっちり手に入り、無事に製作されれば何の問題もない。むしろ、最高級の保存環境を持つギルドの倉庫を無償で提供してもらえるのは好都合だった。
俺はディルバードさんへ天竜鳥の質を説明するため、素材の一部である少量の骨や鱗の破片をあらかじめいくつか確保し、手元の手提げ袋へと収める。
「さてと……」
次に、荷馬車の奥から、今回の海洋都市への旅で俺が個人的に譲り受けたり購入したりした、ずっしりと重い三つの大きな麻袋を取り出した。
そのうちの一つ、海洋都市で手に入れた頼まれ物の『干物』が詰まった袋を、ちょうど馬車から降りてきたアカリに向かってひょいと投げて渡す。
「ほら。アカリ、約束の干物だ」
「おおっと! ちょっと、いきなり投げないでよ、危ないなぁ。……でも、ちゃんと覚えててくれたんだ、ありがとね!」
アカリは文句を言いつつも、嬉しそうに袋を胸に抱きしめた。
「それと、これだ」
俺は残った二つの大きな袋を、誇らしげに彼女の前に掲げてみせる。
「何、その重そうな袋?」
「米だ」
「コメ……? え? 米!? 本当にっ!?」
アカリの目が文字通り皿のように丸くなる。
「ああ、しかもただの米じゃない、新米だ」
そう言って、俺は麻袋の紐を緩め、白く美しく精米された中身を彼女に見せてやった。
「うっそ、本当だ……。本物の白いお米だ……」
「この世界にも米が存在していたのですか……」
アカリの後ろから降りてきたハジメも、信じられないといった様子で袋の中身を覗き込み、驚きの声を漏らしている。やはり元の世界が同じ国なだけあって、米に対する執着と感動は一入なのだろう。
「さて、というわけで、今日の夕食はその干物と炊き立てのご飯ってのはどうだ?」
「いい……! それ、もの凄くいい! 今すぐ食べたい!」
アカリがこれ以上ないほど激しく同意する。
「あの、オレも……その仲間に加わっても?」
それがアカリへのお土産であることを気に病んでか、ハジメがおずおずと遠慮がちに確認を取ってきた。
「当ったり前じゃない。こういう故郷の味は、みんなでワイワイ食べた方が美味しいに決まってるのよ。のけ者なんか作ったら、せっかくのご飯の後味が悪くなるでしょ!」
アカリが笑って言うと、ハジメはホッとしたように表情を緩めた。
「場所はどうする? どこか店でも借りるか?」
「うーん、うちでいいんじゃない? 私へのお土産だし、料理ならライラさんも絶対に文句言わないと思うな。むしろ、こんな珍しい食材を見せたら『アタシにも一口寄こしな!』って大喜びで食いついてくるんじゃないかな」
「確かに、あり得るな」
ライラさんの豪快な性格を思い浮かべ、俺とハジメは同時に苦笑した。
「それじゃあ、俺はいったん護衛最後の用を済ませてくるから、それが終わったらライラさんの家に向かうよ」
「了解! 美味しくご飯が炊けるように準備して待ってるね!」
アカリとそんな約束を交わし、今後の予定の連絡や物資の積み下ろしを行うため、俺は一度彼らと別れた。ガストン商会へと戻った後は、海洋都市から運んできた荷物の運び出しや引き渡し作業を行う。それらの慌ただしい用事がすべて終わってから、「今日はライラさんのところで夕食を食べるから」とリナに伝える。彼女に笑顔で見送られ、俺は大事に新米の袋を抱えて宿を出た。
その道中、街の片隅にある露店に立ち寄り、夕食の汁物の具材になりそうな根菜と、良い出汁の取れそうな干し肉もいくつか購入していった。
ライラの家に到着し、玄関の鉄製のノッカーを軽く鳴らす。すると、待ってましたと言わんばかりに、勢いよく扉が開け放たれた。
「遅いよ! もう竈の準備はバッチリできてるからね!」
「すまんな、待たせた。ついでにちょっと買い出しもしててさ」
苦笑しながら中に入り、抱えていた米の袋と、途中で購入した根菜、干し肉を机の上に並べる。あたりを見回すが、家主の姿が見えない。
「ライラさんは?」
「なんか急に呼び出されてギルドに行ったよ。これからのアイゼンの今後について緊急の話し合いだってさ」
「そっか……。天人の話もあったし、これからまた色々と大変になるかもしれないからなぁ」
「……また、戦争になるのかな?」
アカリの表情に少しだけ陰が差す。
「ならないと良いなあ。まあ、俺たちが今ここで考えても仕方のないことだし、まずは飯を作ろう!」
俺が努めて明るい声でそう言って台所に向かうと、そこにはアカリが用意してくれたらしい、サイズ的にもちょうどいい立派な土鍋が据えられていた。
「あ、ご飯はその土鍋を使って炊いて。この世界に炊飯ジャーなんて便利なものはないからね」
「そりゃそうだ」
俺は袋の紐を解き、新米を三合ほど土鍋へと移して、手際よく米を研ぎ始める。その様子を後ろから覗き込んでいたアカリが、感心したように声を上げた。
「っていうか、サトウさんって料理できるの?」
「独身の社会人をなめんなよ。ブラック企業に勤めてたって、休日は自分で作ってたさ。まあ……外に出歩く気力すら湧かなかったから、消去法で自炊してたってのもあるが……」
「ちょ、ちょっと! そういう重い話はやめてよ! これから楽しいご飯が待ってるってのに!」
「おっと、すまんすまん。まあ、水加減はこんなもんかな」
土鍋に移した米に対し、指の第一関節あたりを基準にして、少し多めの水を注いで全体を浸す。
米に水を吸わせている間に、水を入れた別の鍋を隣の竈に置き、先ほど買ってきた干し肉と細切りにした根菜、そして塩などを追加して火にかける。
「ま、こんなもんか」
スープが沸騰する直前で一度鍋を火から外し、いよいよ本命の土鍋を竈の中央へと設置した。
「はじめチョロチョロ、なかパッパ、だったかな……」
記憶の片隅にあるフレーズを呟きながら火加減を吟味し、薪の位置を調整して最初は火力を少し抑える。そして全体に火が通ってきたタイミングで薪を少量追加し、一気に火力を上げた。
「さっきの変な呪文は何?」
不思議そうにアカリが尋ねてくる。
「あれ? 元の世界じゃ結構有名なコメの炊き方の格言だと思ったんだが。『赤子泣いても蓋とるな』って続くやつだよ」
「どういう意味?」
「はじめは弱火、次に火力を上げて、吹き零れが発生しても美味しく炊くために絶対に蓋を取らずに見守れっていうコメの炊き方の基本さ。……おっと、噂をすればしっかり吹き零れてきたな」
「本当に何もしなくていいの? 大丈夫?」
「そう。あとはこのままじっくりと、炊き上がるのを待つだけ」
そんな解説をしていると、玄関のノッカーが激しく鳴り響いた。
「タノモー!」
外から聞こえてきた大声に、「そんな声を上げるならノッカーの意味がないな」と俺は思わず苦笑する。
「もう、『たのもー』じゃないよ。ハジメね。ちょっと開けてくる!」
「はいよ、頼んだ」
アカリが玄関へと走っていく間、俺は全神経を土鍋の観察に集中させる。正直なところ、元の世界でも土鍋での炊飯なんてやったことがない。だから正確な炊き上がりのタイミングなんて分からないのだ。水分が吹き上がる音が消え、今はおそらくお米が水分を吸収しつつ、余分な水分を蒸発させている頃合いだろう。――よし、あとは匂いを頼りにするしかない。
「サトウさん、こんばんわ。これ、途中で見つけたのでお土産です」
炊き上がりのタイミングを見計らっていたところへ、中に入ってきたハジメが小さな包みを差し出してきた。
「ん? これは?」
「漬物です。といっても、この街の瓜野菜を使った浅漬けですけどね。ご飯に合うかと思って」
「なるほど! 気が利くなぁ、最高だよ」
「じゃあ、私それ切っちゃうね。……あ、いい匂い。本当にご飯の、すごく懐かしい匂いがする」
台所の空気の中に、お米がふっくらと炊き上がる独特の香りと、ほんのわずかに底が焦げたような、香ばしいおこげの匂いが漂い始める。
「よし、そろそろかな」
俺は竈から土鍋を下ろしてそのまま余熱で蒸らしに入り、空いた竈の上に鉄網を張った。ちょうど薪が燃え尽きて赤々と熱を放つ「熾火」の状態になっているため、海洋都市の干物をじっくり焼くにはこれ以上ない最高のコンディションだ。
熾火の一部を隣の竈へと移し、先ほどの根菜スープも温め直す。
網の上の干物からジワジワと脂が滴り、香ばしい煙が立ち上る。それと同時に根菜のスープも温まり、それぞれを手際よく器へとよそって食卓に並べていく。
そして最後に、十分な時間蒸らし終えた土鍋の蓋を、ゆっくりと持ち上げた。
「「「おおー……!」」」
三人の声が完璧に重なった。
ツヤツヤと輝き、一本一本の粒がしっかりと立った真っ白なご飯が、土鍋の中に美しく詰まっていた。どうやら初めてにしては完璧にうまくいったようだ。しゃもじ代わりに用意した大きなスプーンで、おこげを軽く混ぜ込みながら、ちょうどいい椀へとふんわりよそって食卓へと並べる。
「ねえ、なんかこの光景、凄く良くない?」
アカリがしみじみと食卓を見つめる。
こんがりと焼けた絶品の干物に、ハジメが買ってきてくれた瓜の浅漬け、そして湯気を立てる炊きたての白いご飯。汁物は異世界の根菜スープだが、見た目はお吸い物やお味噌汁と言えなくもない。
「いかにも日本の和食、って感じだな」
「ええ……。こんなご飯、本当に久しぶりです……」
目の前の光景に、ハジメの目が少しだけ涙ぐんでいる。やはり異世界で戦いの日々に身を置いていた彼にとっても、この素朴な故郷の食卓は胸に迫るものがあるのだろう。
「まあ、せっかくのご飯が冷めるのはもったいない。それじゃあ、いただこうか」
俺の言葉に二人が深く頷き、皆で一緒に手を合わせた。
「「「いただきます!」」」
アイゼンの静かな夜、俺たちの温かな夕食が始まった。




