55話:天人の葛藤
「これは、ご丁寧に。私はガストン・ベルモンドと申します。私たちとしても、あなた方が無事であることにほっとしております」
ガストンが商人の顔になり、一歩前に出て丁寧に頭を下げる。すると、スイ・セイは驚きの声を上げた。
「ベルモンド? ……もしや、アイゼンのベルモンド商会の?」
「ええ、そこで会長をしております。天人の方々にはいつも手紙の配送などで大変お世話に……」
「そうでしたか……。私はとてつもない幸運に巡り合ったのですね」
深い感銘を受けたようにそう呟くと、三人の天人は手を組み、天の神に祈るように、感謝を捧げるようにして空を仰いだ。
別の世界から来た俺にとって、大きな美しい翼を背負った人間が厳かに天に祈りを捧げる光景は、まるで神話や絵画の一節が目の前に投影されているかのように神秘的に感じられた。
「しかし……その幸運の代償として、この惨状は……本当に残念です」
祈りを終えたセイは視線を落とし、破壊された荷馬車を見つめて痛ましそうな表情を浮かべる。だが、それに対してガストンの表情は驚くほど明るかった。
「なあに、こうして天竜鳥の素材が手に入るのです。総合的に考えれば、むしろ幸運だったのかもしれません。怪我人はおりますが、命を失った者もおらず、荷物もすべてが駄目になったわけではありませんから。ただ、これだけの巨体と物資です、我が商会の足だけでは運搬が……。厚かましいお願いですが、アイゼンに救助と増員の連絡をしていただくことは可能でしょうか?」
「何を言いますか。もちろんです、それくらいお安い御用です!」
セイは力強く頷くと、すぐに振り返って後ろの天人に鋭い指示を出した。
「シン、急ぎアイゼンへ救助の連絡を。怪我人が出ていること、そして天竜鳥を打ち取ったことも含めて正確に報告するのだ」
「了解しました!」
シンと呼ばれた天人は即座にその場から離れると、滑らかに加速して背中の翼を広げた。短い助走だけで体がふわりと浮き上がり、翼を一度大きく羽ばたかせる。それだけで、彼は吸い込まれるようにして遥か上空へと一気に上昇していった。
その、明らかに現代の物理法則を無視した軽やかな挙動。前にリナが「天人は無意識に風の魔法を使っている」と話していたのを思い出し、俺は改めてこの世界の神秘を実感する。
飛び立つシンの姿を全員で見届けた後、セイが再びこちらに向き直った。
「この程度の伝令では、我々は到底あなた方への恩に報いたとは感じられません。何か、他にお力になれることはないでしょうか?」
「ふむ……。今回、この天竜鳥を仕留めたのは、そこにいるサトウ殿なのですがね」
「彼が……一人で?」
「ええ。我々も彼がいなければ、今頃どうなっていたことか……」
「素晴らしい……!」
驚愕に目を見開いた後、セイの顔に柔らかく深い感謝の表情が浮かぶ。彼女は一歩、俺の方へと歩み寄ってきた。
「まさか、たった一人で空の王者を仕留めるとは。サトウ殿、我々はあなたに報いたい。望むものはありますか?」
「そう言われましても……俺個人としては、この天竜鳥の珍しい素材を得られただけで、十分に満足してしまっているので」
天人の真摯な言葉に少し困り、顎に手を当てて考える。何か今の自分たちに本当に必要な情報はないか……と思索を巡らせていると、ふと一つの妙案が思い浮かんだ。
「そうだ。例えば……王国と、今まさに北側で対峙している勇者たちの動向を探ってもらう、なんてことは可能でしょうか?」
「王国と勇者の動向、ですか……」
俺の提案に、セイは一転して少し難しい顔を浮かべた。
「……難しいですか?」
「我々は仕事柄、様々な国との手紙の配送を行っています。当然、あの王国とも取引がある。ですが、その王国の明確な内情や軍事的な動きを他者に伝える行為は……」
「……難しいでしょうな」
セイの言いづらそうな言葉を引き継ぐように、ガストンがそっとフォローを入れる。
「アイゼンと王国の現状を知ってくださっているからこその葛藤ですね。無理を言ってすみません」
ひと時の、気まずい静寂が平原に流れる。
その時、後ろに控えていたもう一人の天人が、おずおずと声を上げた。
「セイ隊長。少し発言よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「我々が各地の街へ手紙を配達する際、受取人や地元の方と、ちょっとした世間話をすることがあります。例えば、最近の天気や野菜の出来栄え、あるいは『不思議な旅人たちの噂』など……そういった、他愛のない『世間話』です」
その言葉に、セイの目がわずかに見開かれる。
「なるほど……、ただの『世間話』か」
「はい」
二人の意図を瞬時に察したガストンが、ニヤリと商人の笑みを浮かべて会話に混ざった。
「確かに、『世間話』は旅の配達員にはよくあることです。不思議な旅人の話も、格好のネタでしょう。もし、そんな不思議な旅人たちが、なぜか前線から離れて『大勢でどこかへ移動していた』なんて奇妙なことがあれば、噂好きの者なら誰かに話さずにはいられませんからな」
「確かに。それは『世間話』としては、大変興味深い話題となりましょう」
セイもまた、悪戯っぽく微笑んだ。
「こんな不穏な時期ですから、これから私たちベルモンド商会は、各地との活発な手紙のやり取りが増えるでしょうな。むしろ、出す機会が多くなりすぎて、天人の方々をお待たせしてしまう時間が増えるかもしれません」
「ええ、そんな時には『世間話』で退屈な待ち時間をつぶすのが一番です」
ガストンがスッと右手を差し出す。その意図を完璧に理解したセイが、しっかりと、その手を握り返した。
「今後とも、我がベルモンド商会の手紙の配送をよろしくお願いいたします」
「もちろんです。仕事が増えることは、我々天人の一族にとっても大変喜ばしいことです」
そして、二人は互いに握った手を親しげに振り合い、これ以上ないほどに晴れやかな笑顔を浮かべ合うのだった。




