53話:王者の来訪
昼食を取り、海人のダイナミックな歌を聴き、ついでに大量の海水まで浴びてしまったため、俺たちはまっすぐ宿に戻って水浴びをすることにした。
さっぱりして、歩き疲れた体を部屋で休めていると、慌ただしい足音とともにガストンが帰ってきた。
「お父様、おかえりなさい。取引はどうでした?」
リナがすぐに声をかける。
「順調……と言いたいところだがね」
「うまくいっていないのですか?」
「いや、逆だ。取引は滞りなくまとまり、あちらからも十分すぎるほどの支援物資を受け取っている。本当に、十分すぎるほどだ」
「では、何か問題でも?」
「明日にも、急ぎアイゼンに引き返す必要があるだろう。どうも、王国の動きが怪しいようなのだ」
ガストンの表情は硬い。彼は俺の方を振り返った。
「サトウ殿、申し訳ないが早速、荷物の積み替えを手伝ってもらえるだろうか? 何しろ支援の量が多いうえに、残された時間が少ないのだ」
「もちろんです。あまりにやることがなくて逆に心配でしたから、体が動かせるのは助かります。……でも、王国軍の動き、ですか?」
ガストンはいったん動きやすい格好に着替え、部屋の外へ出ながら説明を再開した。
「どうも、王国軍の北上はいったん止まり、前線から勇者を呼び戻す動きがあるようなのだ」
「守りを固める、ということでしょうか?」
「それならそこまで大きな問題ではない。だが……いったんアイゼンという背後の不安要素を取り除いてから、再度北上を考えているとなると話は別だ」
「なるほど。北上で実績を出している勇者という戦力を一度こちらに回して、一気にアイゼンを叩き潰す……その可能性は確かにあり得ますね」
「ああ。本来、我が自由都市アイゼンは王国とまともにやり合えるような規模の都市ではない。先の勝利は運が味方した面が大きいのだ。それを考えると……」
「最悪の事態を想定して、早急に備えを固めるべきですね」
宿の外に出ると、そこには物資が山積みにされた荷馬車が数台停車していた。
「確かに、これは骨が折れそうだ」
「すまないね。明日の朝一番には立ちたいと考えているので、よろしく頼む」
「任せてください」
俺は腕をまくり、すでに始まっている荷物の積み替え作業へと飛び込んだ。
* * *
無事、夜通しの積み替えも終了した翌朝。俺たちは海洋都市の堅牢な城門を抜け、アイゼンへの帰途に就いた。門前では、海洋都市の役人たちが名残惜しそうに見送ってくれている。
「君たちのおかげで、無事に取引ができたよ。ありがとう」
ガストンが御者台から感謝を伝える。
「いえ、あなた方アイゼンの方々は、我が海洋都市にとっても重要な交易相手なのです。王国の脅威に対し、私どもが直接兵を駆けつけることができず、本当に申し訳ない」
「海を使って他の地域との交易を行う立場だ、その微妙な政治的背景は理解しているよ。これだけの物資的支援を受け取れたのだ、本当に感謝する」
ガストンは前方の馬車と、後部の積荷を鋭い目で見回す。
「当然のことです。……よし、確認終わりました!」
城門の長らしき男が、ピシッと敬礼とともに伝えてくる。
「ありがとう、行かせてもらうよ」
「道中のご無事を祈っております!」
そんな会話を経て、馬車は再びアイゼンへと進み出した。
一日目は荷物が増えた分、馬の様子を見ながら細かく休憩を挟んだが、特に問題もなく順調に進み、以前と同じ宿営地で一泊を迎えた。
二日目も、旅は順調そのものだった。
平原に吹く風は穏やかで、アイゼンが王国軍による危機の最中にあるとは到底信じられないほど、長閑な時間が流れていく。
俺は道中、今回の海洋都市での出来事――特に先代勇者であるタイショーと出会ったことや、王国にはまだ未確認の勇者や聖女が八人近く隠れていそうだという情報をガストンたちと共有しながら、馬車を走らせていた。
その時、ふと地面に大きな影が落ちた。
空を見上げると、来る時と同じように、再び天人が空を横切っていくところだった。しかし、前回の小隊とはわけが違う。今度は数十人という、見たこともない大規模な集団での飛行だった。
「何度も不思議なことがあるものだ。まるで、何かに追われているような……」
ガストンが不穏そうにつぶやき、皆で彼らが去っていく南の空を眺めていた、その直後だった。
前方から凄まじい破砕音が響き渡った。
見れば、先頭を走っていた荷馬車の荷台が無残にも一瞬で破壊され、巻き上がる土煙の中に、巨大な翼を広げた羽を持つ巨体が悠然と佇んでいた。
それは、トカゲのような強靭な肉体に、天をも覆うような美しい翼を備えた圧倒的な存在。
「天竜鳥……!」
ガストンが、戦慄を帯びた声でその名を呼んだ。
「これが……」
間近で感じるその巨体、そして周囲の空気を圧迫するような威圧感は、確かに「空の王者」と呼ばれるにふさわしい凶悪さだった。
「そうか、天人たちはこれから逃げていたのか……!」
状況を察したガストンはハッとして、すぐに声を張り上げた。
「全員逃げろ! 荷物のことはいい、命を最優先にするんだ!」
その悲痛な叫びとともに、前方の馬車の護衛をしていた者たちが四方へと散り始める。幸い、天竜鳥の狙いは荷物の中にあった食料のようで、衝撃で御者台から放り出された御者のアルバートも、近くの護衛に抱えられて素早く距離を取ることに成功していた。
「あー……ガストンさん。これ、結構危険な状況ですか?」
俺は馬車の上で、どこか緊張感の欠けた声で問いかけた。いや、むしろ突如として目の前に現れた最高級の「獲物」に対する興奮を、必死に抑えるようにして話す。
「ああ、まずい! あんな化け物、まともに戦える相手じゃない! 果たして全員で逃げ切れるかどうか……!」
その言葉を背に受けながら、俺は静かに馬車から地面へと降り立った。そのまま歩みを進め、天竜鳥へと視線を固定する。
「ガストンさん。これから起こることは――絶対に秘密にしてもらえますか?」
「え? もちろん、もちろんだが……何が起こると――」
ガストンの言葉が終わるか、終わらないかという、まさにその刹那。
何の前触れもなく、天竜鳥の太い首が地面へと落下する。
一瞬のタイムラグを置いて、首を失った巨大な胴体が大きく傾き、激しい地響きを立てて地面へと倒れ崩れる。土煙が舞い、静寂が平原を支配した。能力の発動を終えた俺は、何事もなかったかのように馬車へと向き直る。
「は?」
ガストンが間の抜けた声を上げた。
「ふぅ、うまく護衛の仕事は果たせたようで。……ガストンさん、秘密ですよ?」
「え? ああ、もちろんだが……。……は?」
目の前で何が起きたのか、脳の処理が完全に追いつかないといった様子で、ガストンはただただ呆然と口を開けて固まっている。
周囲にいたリナや護衛の面々も、全く同じようなマヌケな表情で、倒れ伏した空の王者と、その前に立つ俺の姿を交互に見つめることしかできなかった。




