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追放勇者とコップ一杯の水 -神様はアホなのか?-  作者: ねこ


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46話

「いらっしゃーい!」


 暖簾のれんをくぐるなり、耳に飛び込んできたのは腹の底から響くような威勢の良い声だった。

 店内は昼時を少し過ぎた時間帯のせいか、満席とまではいかないまでもそれなりに賑わっている。香る匂いは、間違いなく酢飯のものだ。


 運よく空いていたカウンターの席に腰を下ろすと、すかさず湯呑みに入った温かい緑茶が出された。ずず、と一口すすると、懐かしい茶の渋みが五臓六腑に染み渡る。


(本当に寿司屋だ……。だけど、何を頼めばいいんだ?)


 品定めをしようと店内を見渡すが、壁にぶら下がった無数の木札には、この世界の文字で見たこともない魚の名称が並んでおり、どれがどのネタなのかさっぱり分からない。

 俺が困惑してフリーズしていると、それに気づいた店員が気さくに話しかけてきた。


「お兄さん、この店は初めてかい?」


「あ、ええ、はい。この街自体、今日初めて来たばかりで……」


「なるほどな。ちょっと待ってな」


 店員はニヤリと笑うと、素早くナイフを握って手元で鮮やかに手を動かした。そして、木製の手皿にぽんと二貫の塊を乗せ、目の前に差し出してきた。


「この街じゃ、生の魚を食えないやつも多いからな。まずはうちの看板メニューでお試しってやつだ」


 差し出されたのは、美しい赤身の切り身が、きゅっと握られた白い粒の塊の上に乗ったもの――どこからどう見ても『スシ!』と大声で主張している料理だった。

 その脇には、コトッと小さな器に盛られた、少し茶色みがかった粉末が添えられる。


「これは……?」


「特製の塩さ。適量つけて食ってみてくれ。もし食べてみて口に合わなきゃ、お代はいただかないから安心しな」


「いや、たぶん大丈夫です。いただきます」


 俺は迷わずスシを手に取り、脇の塩を少しだけ箸の先ですくうようにしてネタに乗せ、一口で口へと運んだ。


 ――美味い。

 口の中でほどける白い粒は間違いなく米であり、絶妙な塩梅あんばいの酢飯だった。これは『寿司のようなもの』ではない。本物の『寿司』だ。

 添えられた塩もただの岩塩ではなく、魚介の出汁と共に煮詰めて乾燥させた、旨味の塊のような特製塩だった。脂の乗った赤身の美味さを限界まで引き立てている。


 しかし、日本人としての本能が、どうしても一つの物足りなさを訴えかけていた。


「どうだい、食えそうかい?」


「めちゃくちゃ美味いです。……しかし」


「しかし?」


「醤油が欲しいですね」


 俺が呟いた瞬間、店員は一瞬目を見開き、それから破顔した。


「ははっ! お兄さん、タイショーと同じことを言うねぇ!」


「タイショー、ですか?」


「ああ。俺っちが経営に行き詰まって店をたたもうとしていた時に、この『寿司』ってもんを教えてくれた恩人さ。おかげでこうして店を続けられている。……まあ、人を選ぶ料理ではあるんだがね」


「やっぱり、生魚を食べるのは危険だと?」


 人を選ぶ、という言葉に、俺は前世の「川魚の生食は危ない」といった知識を思い浮かべた。だが、店員は首を振る。


「いや、今は『冷凍法』――魔法で獲れたてをカチコチに凍らせる方法が確立されたから、安全面はグッと上がったのさ。とはいえ、やっぱりこの世界の連中にとっちゃ『肉や魚は焼いて食うもの』だからねぇ。古い意識は簡単には変わらない。食べてみて無理だって顔をしかめる客は一定数いるのさ。だからこそのお試し品ってわけ」


 店員は、まだ一貫残っている皿を指差してウインクする。


「まあ、うちが商売として成り立っている理由はそれだけじゃない。冷凍法で食中毒が減らせるってのは他の店も知り始めたからな。だが、この『コメ』を使った本物の寿司が出せるのは、世界広しといえど、うちだけさ」


「他には米を使った寿司屋はないんですか?」


「ああ。この辺りじゃ、米を作っているのはそのタイショーくらいしかいないからね。貴重な収穫を、ここにだけ優先して卸してもらってるのさ。……おっと、噂をすれば影だ」


 店員が視線を向けた入り口を振り返ると、ちょうど、陽に焼けた体格の良い中年の男性が、ガラガラと扉を開けて入ってくるところだった。


「よう、大将。奥の席はあいてるかい?」


「タイショーはあんただ!」


 入ってきた中年の男と店員が、互いにガハハと豪快に笑い合う。「あいてますよ」と店員が応じる様子を見るに、いつものお決まりの挨拶のようなやり取りなのだろう。


 その中年の男が、カウンターで固まっている俺の後ろを通り過ぎようとした、その時だった。

 ポン、と気安く肩を叩かれ、耳元で信じられない言葉が落ちてきた。


「よう、兄ちゃん。日本はどうだい?」


 心臓が跳ね上がる。いきなりの言葉に声も出ない。ただ、肩に置かれた男の右手のひらからは、尋常ではない圧がじんわりと伝わってきた。値踏みするような、けれど確固たる意志を持った大人の圧力だ。


「お? タイショーの知り合いですかい?」


 店員の呑気な声に、男はニカッと笑って見せた。


「ま、遠い親戚かもしれんな。同郷だ。奥の席で故郷の話に花を咲かせようぜ。……まあ、俺みたいな『逃げてきた身』としては、今あっちがどうなってるのか知りたくてな。おごるからよ、付き合えや」


 その『逃げてきた』という言葉を聞いた瞬間、俺の全身の警戒がすっと解け、妙な安心感が胸に広がった。この男もまた、王国のあの狂気からドロップアウトした口なのだ。ならば、この誘いに乗らない手はない。


「マジですか。実は、壁に書かれてるネタがさっぱり分からなくて迷ってたんですよ。ごちになります!」


「そうか! それじゃあ……」


 中年の男は、俺が初めて耳にするこの世界の魚のネタをすらすらと告げていき、手際よく注文を終えた。


「承りました!」


「よし、こっちだ」


 男に促され、俺は奥の区切られた個室の座敷へと案内された。カウンターに残していた最後の一貫と、温かいお茶の湯呑みを自分で持って畳に座る。


 引き戸が静かに閉まり、完全な密室になった瞬間、男の纏う空気が鋭く変わった。

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