40話
新しいコートの裾を揺らしながら、俺はアイゼンの中心部へと足を向けた。
街の中央には、意図的に区画を分けられたかのように四つの大きな石造りの建物が鎮座している。一つは兵士たちの出入りが激しい兵舎、もう一つは戦後の処置にあたった治療院だろう。残る二つでは大人が子供たちに熱心に何かを説いている姿が見え、どうやら学校の役割を果たしているらしい。
ぐるりとその一帯を一周した後、ふと思いついて街外れにあるライラの丸太小屋を訪ねてみることにした。
のどかな風景に溶け込む丸太小屋。その木のドアを叩くと、顔を出したのはアカリだった。
「あれ、サトウさん、どうしたの? ……その新しい服。似合ってるじゃない」
「ちょっと時間ができてね。コートの着心地を確認がてら散歩してたんだ。ライラさんはいるか?」
「奥にいるわよ。私は今、ライラさんの身の回りのお世話中」
そんな会話をしていると、奥から「アタシを年寄り扱いするんじゃないよ!」と、屋根が震えそうなほど威勢の良い声が飛んできた。あの時、「年だから手伝いが欲しい」と言っていたのはどこの誰だったか……。
「上がってもいいかな?」
「ええ、どうぞ。お茶くらい淹れるわ」
アカリに促されて居間に通され、俺はライラに挨拶を済ませて腰を下ろした。アカリが台所へ向かうのを見送りながら、俺は切り出す。
「前に言っていた面白い話をしに来ました。あと、いくつか聞きたいことがあって」
「ほう、面白い話ね。いいだろう、まずは聞きたいことから答えようじゃないか」
俺は先ほど見てきた街の中央の建物について尋ねた。
「中央の四つの建物、あれは兵舎、治療院、学校、それと議会ですか?」
「ん? ああ、大体あってるよ。ただ、議会ってのは名ばかりでね。みんな好き勝手やってるから滅多に機能しやしない。良くも悪くも『自由都市』さ」
ライラの皮肉めいた笑いに、俺は納得しつつ、気になっていたことを口にする。ちょうどお茶を運んできたアカリにも聞こえるように。
「……アカリ、こっちに来る前は学生だったろ。学校、行かなくていいのかなと思ってさ」
「えっ、私が?」
アカリが面食らった顔をする。ライラが横から口を挟んだ。
「あんた、いくつだい?」
「十七ですけど……」
「ならこの街じゃもう卒業してる年齢だね。学校は十五までさ。そこから先は研究に進むか……、まあ大体の奴は働きに出るのが普通だよ」
なるほど、この世界の成人基準は少し早いらしい。
「あんたらの読み書きや計算を見てりゃ、十分学があるのはわかるよ。元の場所じゃ、それ以上に何を学ぶんだい?」
ライラの問いに、俺は遠い記憶を掘り起こした。
「俺が学生の頃は……三角関数とか微分積分、行列とか。数学で言えばそんな感じですかね」
俺の言葉にアカリが「うげっ」と露骨に嫌そうな顔をする。一方で、ライラは瞳の奥に知的な好奇心を燃え上がらせた。
「へえ、よく分からんが、随分と先に進んでるんだねえ。今度アタシにも教えとくれよ」
「あー……教えられるかな。覚えていればいいんですけど」
苦笑いする俺に、ライラはニッっと口角を上げた。
「タダでとは言わないさ。あんたたちには、知っておいた方がいいことがある。この世界の成り立ちや歴史についてね。暇潰しの先払いだ、アタシが特別に授業をしてやろうじゃないか」
その言葉と共に、ライラの纏う空気が「街の老女」から「数百年を生きる森人」のものへと一変した。俺とアカリは背筋を正し、彼女の物語に耳を傾ける準備を整えた。




