35話
冒険から戻り、街の門をくぐった瞬間に肌が泡立つような違和感を覚えた。
街の様子が明らかにおかしい。人々が怯えたように身を寄せ合い、騒ぎの中心は王国側の城門の方だという。
「剛力の勇者が暴れてるんだ! さらった聖女を返せって、メチャクチャ言いやがって!」
通りすがりの男の言葉に、俺とアカリは顔を見合わせた。一体どういうことだ。俺たちは顔を隠すようにフードを深く被り、群衆に紛れて様子を見に行くことにした。
破壊された城門から進んだ街中、剛力の勇者がアイゼン側の防衛兵たちに包囲されていた。いや、包囲している兵たちの方が、彼の異様な威圧感に気圧されて距離を置いている。
「何度も言うが、貴様たちが聖女を捕らえ、監禁しているのだろう! 早く彼女を返してもらおうか!」
「聖女など知らん! 我々はこの街を守っていただけだ。監禁など断じてしていない!」
「嘘をつけ! 聖女はこの地で忽然と姿を消した。ならばこの街の誰かが掠め取ったと考えるのが自然だ。単純な話だろう! 悪事を隠すのは良くないぞ!」
ハジメの声は朗々と響き渡り、本気で「自分こそが正しい」と信じ切っている響きがあった。アイゼン側の代表者がどれだけ否定しても、彼は聞く耳を持たない。
「ああ……本当、バカ正直な正義マンだな……」
俺は遠目から彼を見て、改めて確信した。彼は悪意で動いているのではない。自分が「こうだ」と思い込んだ正義を、疑いもせず愚直に執行しようとしているだけなのだ。それがどれほど周囲に迷惑をかけるかも考えずに。
「なあ、これどうする? 下手に顔を出すと……」
相談しようと隣を振り向いたが、そこにアカリの姿はなかった。
「おい、どこ行った!?」
焦って視線を走らせると、彼女は集まった野次馬の間を縫うように、迷いのない足取りで破壊された城門に向かって歩いていた。
「これだから邪悪な神に操られた民どもは救えない! 己の間違いを認め、聖女を差し出せ!」
剛力の勇者が業を煮やしたように拳を固めたその時、凛とした声が響き渡った。
「誰が邪悪な神に操られた民よ!」
城門の前にたどり着いたアカリが、大声で反論した。彼女はそのまま、無残に砕け散っていた巨大な城門の残骸に、静かに手をかざした。
刹那、アカリの能力が発動する。バラバラになっていた木材や鉄帯が、まるで時間を巻き戻すかのように空中に浮かび上がり、吸い込まれるように元の位置へと収まっていく。
数秒後、そこには勇者によって破壊されたはずの頑強な城門が、傷一つない姿で屹立していた。
「ハジメ、あんたね……いい加減にしなさいよ」
「おお! 聖女アカリ! 無事だったのか、こんなところにいたとは!」
剛力の勇者――ハジメがパッと表情を明るくした瞬間、周囲の街の人々からは、割れんばかりのどよめきが沸き起こった。
一瞬で城門を「治した」奇跡。そして、敵対していたはずの勇者が、目の前の少女を「聖女」と呼んだこと。平和な日常が戻りかけたアイゼンに、再び激震が走る。
どよめきが、波のように広がっていく。それは彼女が「聖女」という存在であったことへの驚きであり、同時に、自分たちを蹂躙しようとした王国軍の要であったことへの、隠しきれない不信と非難の混じった声だった。
「彼女、本当に聖女だったのか」
「あの攻めてきた王国軍の……」
「まさか、あの悪魔のような連中の仲間だったなんて」
冷ややかな視線がアカリに突き刺さり、空気がぴりりと張り詰める。だが、その拒絶を切り裂くように、別の場所から力強い声が上がった。
「何言ってんだい! あたしの亭主は、あの夜に彼女に命を救ってもらったんだよ!」
「俺もだ! 城壁補修で潰れかけた足を一瞬で治してもらった恩がある!」
声の主は、あの治療所にいた人々や、復興作業にあたっていた職人たちだった。
「あんた、バカだねえ」
そんな怪我した男にどっと笑い声が上がる。
「でもまあ過去がどうあれ、彼女はもうこの街の住民さ。ライラさんだって認めてるんだ!」
「彼女を追い出すってんなら、まずあたしを倒してからにしな!」
威勢のいい啖呵に、「そうだ、そうだ!」と同調する声が次々と広がり、不穏な空気は一気に感謝と歓迎の渦に飲み込まれていく。
そんな中、どこからか駆けてきた獣人の子供たちが、ボールを抱えたままアカリの元へと近寄っていった。
「ねえ、お姉ちゃん! これ、お姉ちゃんが直したの?」
「……そうだよー! お姉ちゃんがやったんだよー、すごいでしょー!」
子供たちの無邪気な問いかけに、アカリはさっきまでの凛とした表情をどこかへ放り出し、相好を崩した。
(おい聖女、頑張ってるみたいだが……顔、崩れすぎだぞ)
俺は遠巻きに見て溜息をつく。どうやら彼女にとって、可愛い獣人の子供たちの前でシリアスな聖女を演じ続けるのは不可能なミッションらしい。
「すごーい!」「お姉ちゃん、魔法使いさんなの?」
子供たちがアカリの周りを踊るように回り、彼女の服の裾を引く。その平和そのものの光景を、剛力の勇者ハジメは呆然と見つめていた。
他国を「邪悪な神に操られた民」と決めつけ、正義の名の下に侵略を正当化する王国の殺伐とした空気。それとは真逆の、種族を超えて笑い合うアイゼンの日常。
自分が信じていた「正義」と、目の前の「現実」のあまりの乖離に、彼は今更ながらに気が付いたようだった。
「俺は……俺は、なんてことを……」
ハジメは力なく膝をついた。その体が、後悔の重みに耐えかねるように震える。
「……だから言ったじゃない。獣人に悪い奴なんていないって」
(いや、それも極端すぎる気はするが……)
俺は心の中でツッコミを入れつつも、事態の推移を見守ることにした。
次の瞬間、ハジメは地面に額を擦り付けるようにして頭を下げた。いわゆる土下座だ。
「すまなかったぁぁぁーーー!!」
剛力の二つ名は声の大きさにも適用されるのか、鼓膜が震えるほどの大音量での謝罪が城門前に響き渡る。
その後ろで、アカリは獣人の子供たちに囲まれて「はぁ……だから言ったのに……」と、呆れ果てたように小さく呟いた。
たった一人で乗り込んできた剛力の勇者は、その圧倒的な力ではなく、あまりに真っ直ぐすぎる敗北と謝罪によって、アイゼンの人々の度肝を抜いたのだった。




