26話
扉を開けた先に広がっていたのは、まさに凄惨な戦場の延長線だった。
いや、今もここで戦いは続いているのだ。生と死の境界線の上で。
立ち込める血の匂いと、焼けつくような熱気の残り香。入り口のすぐ側で治療にあたっていた一人の女性が、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。俺は慌ててその身体を受け止めたが、彼女の顔は土色で、極限の疲労が刻み込まれていた。
「代わるわ」
アカリが硬い声で言い、すぐさま治療を交代する。
横たわっていた負傷者は熱波の至近にいたのか、肌全体が赤く熱を持ち、あちこちに酷い打撲痕のような腫れがある。アカリがその傷口にそっと手をかざした。
最初は何も変わらないように見えた。だが、数秒と経たぬうちに負傷者の肌の色が瑞々しさを取り戻し、膨れ上がっていた打撲痕が吸い込まれるように消えていく。
「……終わったわ。次」
「スゴ……」
思わず声が漏れた。魔法というよりは、時間を巻き戻しているかのような鮮やかさだ。「聖女」という肩書きが、伊達ではないことを突きつけられる。
「次、行くわよ!」
俺は抱きかかえていた女性を空いた椅子に座らせ、飛ぶように移動するアカリを追いかけた。
次に彼女が足を止めたのは、一人の獣人の前だった。
状態は先ほどよりも遥かに酷い。全身が炎症で赤く腫れ上がり、特徴的な獣耳は焼けただれて消失し、剥き出しの皮膚には巨大な水ぶくれが幾重にも重なっている。炎の直撃を間近で受けたのだろう。
「酷い……っ」
アカリの瞳に涙が浮かぶ。だが、彼女はそれをぐっと堪え、震える手をかざした。
先ほどと同様に赤みが引き、水ぶくれが収まっていく。そして、驚くべきことに消失していた耳の組織までもが、魔法の光の中で元の形へと再生していった。
「マジかよ……」
改めて、その「異常なまでの治癒能力」に背筋が凍るような思いがした。もし彼女が、あのまま王国軍の陣営に留まり、前線の兵士たちを際限なく治し続けていたら……。この街の防衛戦は、今頃取り返しのつかない結末を迎えていたかもしれない。
「良かった……」
俺の戦慄を余所に、アカリは心底ほっとしたような表情を浮かべた。
「さあ、どんどん行くわよ!」
彼女は袖で涙を拭うと、迷いのない足取りで次の負傷者の元へと向かっていった。
* * *
空が白み始め、窓から薄明かりが差し込む頃。ようやく大方の負傷者の治療に目処がついた。
広場や通路を埋めていた苦悶の声は消え、穏やかな寝息が支配する静かな空間へと変わっている。
「お疲れさん。あんた、大したもんだね」
一晩中治療を行っていたアカリに、現場を取り仕切る老女が労いの言葉をかけた。
それを合図にしたかのように、周囲にいた人々――動けるようになった負傷者やその家族たちが、次々とアカリに頭を下げ、お礼の言葉を口にする。
「……怪我を治すと、お礼を言われるんだね」
アカリが、呆然とした様子で小さく呟いた。
「あっち(王国)では治すのが当たり前で、誰も何も言ってくれなかったから……」
そんな寂しい独り言に、一晩中「助手」として走り回っていた俺は、疲れた顔に苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、なかなかブラックだな……」
「あんた、やるじゃないか。どうだい、うちで働かないかい?」
老女が唐突にアカリをスカウトした。そのあまりに直球な誘いに、アカリは目を丸くして戸惑っている。
「まあ、返事は今すぐじゃなくていいさ。まだ子供なんだから、遊ぶのを優先したっていい。むしろ、この街じゃ遊ぶのも仕事みたいなもんさね」
老女はガハハと豪快に笑うと、治療所の奥を親指で指し示した。
「疲れただろ。ベッドは空けておいてある。さっさと寝ちまいな」
朝日が差し込む治療所。アカリはその光を眩しそうに見つめながら、初めてこの街の一員として受け入れられた実感を噛みしめているようだった。




