23話
長い静寂が場を支配した。
実際にはほんの数十秒だったのかもしれないが、俺には永遠のように長く感じられた。
やがて、その沈黙を破ったのは、城壁の内側から漏れ聞こえる負傷者の救助を呼ぶ喧騒だった。その音だけが、現実感を伴って耳に届く。
時間が経ってもぴくりとも動かない爆炎の勇者の死体に、王国兵たちのざわめきが強まっていく。恐怖に支配されていた街の人々の声は、次第に戸惑いへ、そして「倒したぞ!」という狂喜の叫びへと変わっていった。
そんな歓喜の声を横目に、俺はただ大地に伏した勇者の骸を見つめていた。
この後、彼はどうなるのだろうか。
家族や仲間を焼かれた街の人々の怒りに晒され、無惨に八つ裂きにされて晒し者にされるのだろうか。
たとえ殺しを楽しんでいた狂人だったとしても、かつて同じ世界の空気を吸っていた者がそんな末路を辿るのは、どうしようもなく忍びなかった。
「……せめて、土に還れ」
俺は静かに能力を発動した。
彼の肉体は音もなく澄んだ水へと置換され、乾いた大地へと静かに染み込んでいく。跡形もなく消え去ったその消失に、双方の兵からは悲鳴に近い動揺の声が上がったが、俺にはもう関係のないことだ。
名前も知らない、言葉も交わさなかった赤の他人。
けれど、かつて同郷だった彼の最後を思い、俺は炎の残滓ではなく、沈みゆく夕日によって赤く染まった空を眺めた。視界が滲み、一筋の涙が頬を伝って落ちた。
日が沈む。
王国軍は、ぬかるみに足を取られ、勇者を失った絶望的な疲労から逃れるように、じりじりと後退を始めた。このまま、戦意を失って国へ帰ってくれないかと願わずにはいられない。
だが、夜襲の可能性は捨てきれなかった。
街の兵たちは城壁にかがり火を焚き、極限の緊張感の中で夜の備えを始める。俺もこの場に残ることにした。もし夜襲が発生し、対応できないような事態だけは絶対に避けなければならない。
夜の帳が下りる。
今頃、街の中は負傷者の治療で戦場以上の修羅場になっているだろう。水蒸気爆発のような爆風で吹き飛ばされた城壁の兵たちは、炎で焼かれなかったことにより奇跡的に軽傷で済んだかもしれない。だが、直撃を受けた者もいるだろう。
俺には、彼らの傷を癒やすことはできない。
ただ、自分にできることをするだけだ。
暗所でも鮮明に映し出すこの魔法の望遠鏡を覗き込み、俺は一人、闇に包まれた敵軍の監視を続けた。何か動きはないか。微かな異変も見逃さないよう、乾いた瞳を凝らす。
そうして、眠気と戦いながら数時間が経過した頃。
レンズの向こう側、微かな動体反応が網膜に引っかかった。
(人……か?)
倍率を上げ、ピントを絞る。
映し出されたのは、一人の女性の姿だった。
いや、見覚えがある。あの召喚された広間にいた少女だ。
聖女。
彼女は物陰に身を潜め、祈るような手つきでこちらを伺いながら、音もなく城壁の方へと移動してくる。軍勢を動かすわけでもなく、ただ一人で。
その瞳に宿っているのは、敵意か、それとも別の何かか。
俺は短剣の柄を握り直し、夜風に紛れて忍び寄る「聖なる影」を、じっと見据え考える。




