19話
「ガストンさん、俺が見た光景と、ここまでの道のりから逆算すると……あの大軍がこの都市に到達するには、よほどの強行軍でない限り五日から十日はかかるはずです」
俺の言葉に、ガストンは「……貴重な情報だ。防備を固める猶予が少しでも分かるのは大きい」と深く頷いた。
それからの数日、俺は城壁の補強作業に志願した。重い石材を運び、土を練り、職人たちの指示に従って汗を流した。
泥にまみれ、肩を腫らしながらの作業。だが、その合間に「いざ戦が発生した際に、自分が目立たず潜り込める場所」や、城壁の構造的な弱点を冷静に確認して回った。
正直に言えば、俺が本気を出せば数千、数万の軍勢を殲滅することなど容易い。自分がかつて「勇者」として召喚された身であることを告げ、そしてこの理から外れた能力を全開にすれば、敵軍を一人残らず消し去ることだって可能だろう。
だが、攻めてくる兵士たちの多くは、国王や教会に扇動された、それぞれに帰る家や家族を持つただの人間だ。欲望のままに他者を傷つけていた盗賊とは違う。
(……できることなら、死人は出したくない。)
それに、自分のこの異常な能力が周囲に知られれば、今の温かな人間関係が壊れてしまうのではないか、みんなが自分を怪物として見て離れていくのではないかという恐怖もあった。
だからこそ、俺は「王国側が戦意を喪失し、諦める方法」を必死に考え続けた。
作業中も、「あんた、よく動くな!」「助かるぜサトウ!」と、周囲の男たちが笑って背中を叩いてくる。
その手の温かさを感じるたびに、やはりこの人たちを見捨てるわけにはいかないと、決意が岩のように固まっていく。
(そして、どうしようもない時は……)
たとえ扇動された兵であろうと、何も知らずに戦わされている元同郷の勇者であろうと――この街を住民を壊そうとするなら、その時は殺す。
その最悪の覚悟だけは、胸の奥底に隠し持っておくことにした。
* * *
アイゼンに辿り着いてから七日目の朝。
監視塔からの鐘の音が、空気を震わせて鳴り響いた。
「来たぞ! 王国軍だ!」
地平線の向こう、うっすらと土煙が上がり、白銀の鎧の波が押し寄せてくる。
城壁で作業していた人々、槍や弓を携えて訓練に励んでいた市民兵たちが一斉に動きを止める。ついにその時が来たのだ。皆、緊張に顔を強張らせながら、それぞれの配置へとついた。
俺は城壁の隅、人目に付かない場所へ移動し、静かに集中を高めた。
「まずは……挨拶代わりだ」
俺は上空の一点に意識を集中させ、大量の水を「追加」し始めた。
晴天だった空に、突如として不自然なほど重く黒い雲が渦巻く。
長旅と強行軍で疲弊しきった王国軍の頭上へ、俺は狙い澄ました局所的な大雨を叩きつけた。
滝のような豪雨が軍勢を直撃し、視界を奪い、足元の地面を一瞬で泥濘へと変えていく。行軍の速度は目に見えて落ち、重い鎧を着た兵士たちの士気が、冷たい雨とともに削られていくのが遠目にも分かった。
お前たちが神の名のもとに戦いを行うのならば、俺は神に与えられたこの「コップ一杯の水」で、お前たちに戦うことの無意味さを刻み込んでやる。




