第17話(紅)
幻想世界フォストルディアという世界の概要を一言で表すなら、いかにもゲームや漫画と言ったサブカルチャーの舞台になりそうなファンタジー的な異世界である。
世界各地には魔物が闊歩し、人が持つ当たり前の体機能として魔法がある。一方で科学技術においては地球の先進国よりも幾段遅れており、良くも悪くも各地の町並みは中世時代を彷彿させた。
しかし、このフィクス帝国の帝都ドラボスだけはそんな世界の中にあって、際立って高い技術力を誇っていた。
町並みを見渡してみればビル街やショッピングモールと言った建造物が建ち並んでおり、民家の造りも極めて現代的である。アスファルトで舗装された道路もまた、現代日本と比べても遜色が無かった。
帝国を治める王の居城を始めとして中世的な威容を放つ建造物の姿も多いが、全体の風景はまるでファンタジー世界と現代世界、両方の文化を混ぜ合わせたように混沌としていた。
何故この町だけが現代日本に近いのか……その理由は、この国の恒例行事である勇者召喚にある。
基本的に召喚された地球人がこの世界で行うことは、フォストルディアの中で彼らにのみ目覚める特殊な異能「C.HEAT」によって魔王軍と戦うことにあるが、平和な時代の場合はその限りではない。
かつて帝都の召喚師は地球人の持つ優れた科学力に目を付け、勇者召喚を名目に知恵のある技術者の召喚を行い、彼らの技術を蒐集したことがあったのだ。
尤も風土諸々の都合から全ての技術をこの世界で再現することは出来なかったが、地球の技術者が持つ膨大な知識はこの国に革命的な発展をもたらした。有名どころでは誰でも一定の殺傷能力を得ることが出来る「魔導銃」と言った武器や、国の手軽な移動手段として扱われる「魔導車両」と言った地球で言うところの拳銃や車のようなものが発明されており、今日の道路でも現代日本ほど交通量は多くないものの、多くの乗用魔導車が走り回っていた。
その車両の群れに紛れながら、町を移動する多くの者達とは正反対の方角へ向かっていく一台のトラックの姿があった。
……そう、トラックである。
大型貨物用自動車。
夕日に照らし出される白銀色のボディーは現代日本であればありふれた姿であるが、このフォストルディアでは珍しい外見だ。帝都においてトラックという乗り物は召喚魔法にも応用することが出来る高級車として扱われており、現代日本に最も近しい町並みをしているこの町の中でも滅多に見ることのない希少な車両だった。
そんなトラックが走る道路の上空では、聖地ルディアから攻め込んできたワイバーン乗りの騎士達と帝都の衛兵達が使役する召喚獣が戦っている光景が広がっている。
パニックになりながら蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う住民達の姿を眺めながら、トラックを運転する中年の男がうんざりした調子で呟いた。
「いざ戦いに巻き込まれると、住民達も臆病なもんですね」
自分達の生活している環境でこれほどの騒動が起これば、力の無い住民達が怯えるのも道理だろう。
しかし恥も見聞も無く、女子供を蹴散らしながら我先にと逃げ出していくお偉方達の姿は、控えめに言って見苦しいものだった。
このフィクス帝国が地球から召喚した子供達に強いてきたことを思えば、なお不愉快に映る光景である。
そんな運転席からの呟きに、助手席に同乗する灰色の髪の青年が返した。
「彼らは国に守られている立場なのだから仕方ありません。寧ろ東京に他国の軍隊が攻め込んできたとしたら、この程度の騒ぎでは済まないでしょう」
ため息交じりの息をつきながら目元に掛けたサングラス越しにバックミラーを眺めた後、灰色の髪の青年はシートの背もたれに背中を預けながら淡々と語る。
「しかし普段から守られることが当然だと思われるより、ほんの少しでも戦う者の痛みを知れたのはいい経験です。守られる者の無知は、時に守ってきた者の心を傷つけますから」
「経験者は語るって奴かい?」
「……そんなところです」
微かな憂いを込めた言葉を言い放った後、青年は前方のフロントガラスから見える空の光景に目を移す。
比較的人通りの少ない場所を選んでいるものの、彼らの乗るトラックは戦場からの避難民に混雑した道路で度々停車を強いられている。停めた車の前で貴族の大集団が横切っていく中で、運転手の男もまた戦場の風景を見上げながら待ち時間を潰していた。
「しかし、いい感じに混乱してくれましたね。うほっ、あの騎士、中々イイ腕してるじゃないの」
「ここまで思い通りに動いてくれているのは、僕としては複雑な気分ですがね」
彼らの視線の先で繰り広げられている聖地ルディアの竜騎士と帝都の召喚師達の戦況は、どちらも譲らぬ膠着状態に陥っていた。
数の面ではホームグラウンドである召喚師達の方が圧倒的に優位なのだが、連携や個々の戦闘技術といった面においてはルディアの騎士達が彼らのそれを大きく上回っているのだ。
不利な条件でもルディアの騎士達が帝都の召喚師達に押されていないのは、やはり実戦経験の違いだろう。国土を覆う厳重な結界に普段から守られ、魔王軍との戦いを避けてきた帝都の召喚師達は、神巫女奪還に決死の覚悟で臨んでいる騎士達に気持ちに面でも圧されていた。
彼らの姿を見た灰色の髪の青年は、ルディアの民を相手にするに当たって最も恐ろしいのは聖堂騎士団ではなく、やはり神巫女ロラ・ルディアスの人を惹きつけるカリスマ性だろうと改めて認識した。
「騎士達は、お姫様を取り返せましたか?」
「……ええ、作戦は順調なようです。王城に潜入した騎士達は、数分ほど前にロラを連れて脱出しています。今しがた、地下水道で帝都の兵達と鉢合わせてしまったようですが」
「おいおい、それはマズいんじゃないかい?」
「いえ、問題ありません。ロラ自身が立ちはだかる障害を排除していますから」
「……頼もしいお姫様ですね」
「まったくです」
灰色の髪の青年がサングラスの下で両目を閉じながら魔力を放ち、この帝都に存在する全ての人々の動きを読み取る。
「探知魔法」――生命が持つそれぞれの気配を読み取るその魔法は、魔法文明が浸透しているこのフォストルディアにおいても完璧に扱える者は少ない。何故ならそれには緻密な魔力操作と、膨大な情報を受け止めるだけの情報処理能力が要求されるからだ。過去にはこの魔法を使った結果、脳に異常を来してしまった者も少なくない。
しかし過去に度重なる「実戦」の中で幾度となくこの魔法を扱ってきた青年には、そのような高度な魔法さえ呼吸をするように扱うことが出来た。
そしてその「探知魔法」によって感知した気配が、彼の頭脳に重要人物達の動向を教えてくれた。
「あの子はもう、放っておいても大丈夫でしょう。問題はロラよりも……彼女だ」
「彼女?」
騎士達が行ったロラ・ルディアスの救出は、ほぼ完了したと見える。王城から連れ出された彼女は仲間と共に地下道を通って逃走している最中であり、その過程では神巫女の真価を発揮し無双の限りを尽くしている。
青年の「経験則」としてその気になったあのじゃじゃ馬は、フィクス帝国の召喚師が束になろうと抑え込める存在ではない。召喚師の中で唯一対抗しうるのはゼン・オーディスぐらいなものであり、そのオーディスの気配も今は王城内に張り巡らされている封鎖結界の中にあった。
「まさか、君まで邪神に導かれていたとはな」
彼が最重要人物である神巫女を放置してまで王城に留まった理由を、灰色の髪の青年は知っていた。探知魔法により、彼は今や懐かしいとさえ思えるその気配を感知していたのだ。
封鎖結界に中で召喚師ゼン・オーディスと対峙している燃え盛る炎の如き苛烈な存在は、青年にとって今回の「事象」における一番の懸念材料だった。
「……そこに居るのか、クレナ」
真紅の髪と目を持つ、生前の自分を最も苦しめた女傑の姿が脳裏に浮かぶ。
彼女が今、あの王城の中に居る。その事実は彼にとって、決して見過ごすことが出来ない「あり得ない歴史」だった。
ほんの少しの間意識を失っていたクレナが目を開けた時、その身に感じたのは氷河地帯のような寒々しさだった。
……力が入らない。
青龍の放った冷気の一撃により、クレナが携えていた炎の剣は消滅し、この両腕は完全に凍り付いている。そして凍ったのは腕だけではなく、下を見れば首から靴のつま先まで完全に氷の中に封じ込められていた。
背中もまた彼女の一撃で出来たのだろう、この謁見の間の床から天井に掛けて伸びている氷の柱の中に埋め込まれており、今のクレナの身体はまるで氷で作られた十字架に磔にされているような状態だった。
そんな屈辱的な体勢をしたクレナを嘲笑うように、オーディスが彫りの深い顔を歪めて言った。
「良い眺めだな、紅井クレナ」
「オー……ディス……!」
豪奢に着飾られたこの謁見の間は、今や見渡す限りが氷点下の白い世界に塗り替えられていた。
床も壁も天井もオブジェも、ありとあらゆる場所が氷に覆われており、冷え切った空気がクレナの身体で唯一凍らされていない頭部の肌へと突き刺さってくる。
こんな氷如き、すぐに浄化の炎で溶かしてやるとオーディスを睨み、クレナは今一度身体から「C.HEAT」を発動しようとするが……冷たい氷に覆われた肢体はピクリとも言うことを聞かず、「C.HEAT」どころか魔力を行使することすら出来なかった。
「……っ……!」
「良い目だ。勇者の氷に囚われながら、戦意も怒りも失っていない。しかし迂闊だったな。その怒りの大きさが、冷静さを損なわせたのだ」
「うる、さい……!」
……クレナの炎がただの炎ではないように、この身を覆う氷もまたただの氷ではないようだ。
おそらくこの氷には身体の動きだけではなく、封じた者の力そのものを奪う効果があるのだろう。物言わぬ先輩勇者の成れの果てが手にした「C.HEAT」は、絶対的な封印能力だったらしい。
それはクレナに対して、憎たらしいほどに効果的な力である。
魔力行使も出来なければ魔法による身体強化も出来ず、こうやって囚われている間のクレナは無力な小娘に過ぎない。それでもクレナの戦意は微塵も衰えていないが、今この身を蝕んでいる状況は最悪に近かった。
「このまま結界を解いて君を王に差し出せば、私の役目は終わるのだが……それはあまりに面白くない。そんな格好をさせて申し訳ないが、ここはもう少し私と話をしようではないか」
「はなし、だと……?」
「そうだ、せっかく同類に会えたのだ。君との語らいを終わらせてしまうのは惜しい」
今やこちらの力は完全に封じられ、片や敵は三人の戦闘人形が健在の上、それらを操るオーディスは全くの無傷だ。
クレナを磔にした氷の柱の傍らでは玄武と呼ばれた黒髪の少年が待機しており、オーディスの命令一つで彼の持つ大剣がクレナの首を撥ね飛ばすだろう。
敵に命を握られた、絶体絶命の状態……この状況を打開する方法を探りながら、クレナは内心の焦燥を悟られないようにオーディスを睨んだ。
「どう、るい? なんの、ことだ……?」
「おやおや、生の声は随分と可愛らしい」
「こたえろ」
「ふふ……そう急ぐな」
青龍の氷により翻訳魔法すら使えなくなったクレナは、不服ながら情けない喉から放った肉声で問い返し、それがオーディスの嘲笑を買う。
世界最高の召喚師は日本語にも堪能とでも言うのか、彼はクレナの肉声が放つ言葉の意味をはっきりと理解している様子だった。
そして彼自身も流暢な日本語を使いながら、生理的に受け付けられない目でクレナの姿を見下ろしながら続けた。
「流石の私も、君のように未来まで見たわけではない。しかし君の在り様はこの私と、実によく似ているのだよ」
クレナを指して「同類」と言った言葉の意味を、クレナが身動き出来ないことを良いことに無防備で近づきながらオーディスが語る。
「狭い世界の中で誰にも辿り着けぬ異常進化した力を持ち、気に入ったものに対して執着が強い一方で、それ以外のものには一切心を開かない」
オッドアイの瞳が間近からクレナの顔を見つめ、その口がこちらの相槌も待たずにまくし立てる。
確定事項を叩きつけるように放たれたそれは、有無も言わせない一方的な言葉だった。
「おまけに自分よりも劣る存在を力で捻じ伏せ、屈服させることに快感を見出す性癖までそっくりと来ている。ほら、やはり似ているではないか」
「…………」
似ているだと? 私と、お前が?
いつも上から高みの見物を決め込んで、人を弄ぶことに生き甲斐を感じるような男と私が似ている?
聞き捨てならない物言いに、クレナは無言の睨みを返す。そんな彼女に対して、オーディスは諭すように続ける。
「魔法の無い地球でその力を使っていた君の姿は、私もここから見ていたよ。あれは実に素晴らしいものだった。今まで親切にしてくれた人々の記憶や認識を躊躇いなく改ざんする姿も、戦意を失ったキラーマンティスを惨殺する姿も、姉の救出を健気に懇願する少年の頭を足蹴にする姿も……全て君が、地球の誰よりも強いからこそ出来る在り方だ」
「……なにが、いいたい?」
確かにクレナは、地球の者達では抗う術の無い魔法の力を惜しげも無く行使してきた。それが褒められたものではないことは、クレナ自身も理解している。
クレナはネチネチとまどろっこしい言い回しをする彼の口を今すぐにでも封じてやりたかったが、身体に力を入れようとすればするほど、この身を覆う氷はクレナの全身に虚脱感を与えていった。
そんなクレナを前にして、オーディスはなおも語り続ける。
「この世界に来てからもそうだ。君は聖地ルディアの民に対して、あえて創造神ルディアを彷彿させる力を見せつけただろう? 自分のことを創造神の天使なのではないかと疑わせることで、君は手っ取り早く立場を得た。信用を得る為に必要な過程を省略し、その力で民の心を一人占めだ。彼らから送られる畏敬の眼差しは、君の自尊心をさぞ満たしてくれたことだろう」
「……だまれ」
こんな男の言葉に耳を傾ける必要など、どこにもない。頭ではそれをわかっている筈なのに、クレナの心に彼の言葉は染み込むように入り込んできた。
それは違う……と、クレナの喉から出掛かった反論が発せられることはない。
……彼の言い放った指摘は、正確な分析だったのだ。
今のクレナがこうして堂々と外に出られるようになったのも、未来のクレナから受け継いだこの力あってのものだ。目的の為には人を超えたこの力が必要だと思った。だからこそ、クレナはこの力を行使することに躊躇いを持たなかった。
……そしてこの力を使うことで思い通りになっていく現実に、心の内で充実を感じていたこともまた事実だった。




