第18話(紅)
「君がどんな経緯を経てその力を手に入れたのかはわからない。しかし、良い気分だったろう? 何もかも思い通りに焼き尽くせる、無敵の力を振るう全能感は」
「だまれ……!」
それでも……クレナは受け入れたくなかった。
クレナがこの力に全能感を感じていたのは、確かに事実だ。しかしそれを頭では理解しても、心の底では認めたくない自分が居たのだ。
――ましてや、この男の前では。
唇が切れそうなほど憤った表情で、クレナは大きく見開いた目で彼を睨む。
黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!――声に出せないほどの感情を視線にして叩きつけても、彼は涼しい表情を崩さない。
「私はね、君を見ていると思うのだよ」
力を得たあの日からクレナの心に芽生え始め、戦いを通して自覚してしまった感情を――受け入れたくないクレナの心を裸にしていくように、彼は言い放った。
「君はあの兄妹を守ることに命を懸けているつもりのようだが……結局のところは、そんな自分に酔っているだけなのではないのかとね」
「……っ」
やめろ……と、否定する筈の言葉がクレナの喉から吐き出されることはなかった。
「君が彼らを気に掛けているのは、君が見た何らかの未来に関係しているのだろう。しかしその未来はここにある現実ではなく、この時代に居る君自身が経験した過去ではない筈だ。聡明な君はそれを理解している。だからこそ、自らを指して「器」などという言葉で誤魔化していた」
あの兄妹を守る為、クレナは彼らの未来の為に行動すると誓っていた筈だ。
この時代に生きてきた「クレナ自身の心」を切り捨て、未来のクレナから受け継いだ想いを成し遂げる為だけに生きると……あの日、そう決めたのだ。
……そう。クレナの心にはこの時代のクレナ自身である「紅井久玲奈」と、未来で勇者として白石兄妹と共に戦っていた「アカイクレナ」の両方の想いが混在しているのだ。
それ故にクレナは未来のアカイクレナから記憶を受け継いだ存在に過ぎず、未来のクレナ自身が死の淵から逆行して過去に帰って来たというわけではない。
だからこそ、クレナはここに居る自分自身の存在を「器」として規定していたのだ。そうでもしなければ未来とこの時代、どちらの自分が「クレナ」なのかわからなくなってしまいそうだったから……それは誰にも言わず、墓場まで持っていく筈だった「クレナ」の弱さである。
そんな「クレナ」の心の恥部を弄りながら、オーディスは嬉々として嘗め回すように言った。
「君は別に、心の底から彼らを守ろうとなど思っていないのだ。君が本当に欲しかったのは、その力を全力で振るう為の大義名分だけだ。そうだろう? だって君は……」
アカイクレナではない、この時代の紅井久玲奈の心。
自分を取り巻く環境の何もかもが嫌で……全て燃えて、灰になってしまえばいいと思っていた「クレナ」。
それは紅井久玲奈が紅井久玲奈として苦しみ続けてきた、自身の心の闇との対面だった。
「君は今まで、人を好きになったことが無いのだから」
彼の語る紅井久玲奈という少女の人物像――それは「クレナ」自身さえ否定することが出来ない事実だった。
「勇者候補の中でも君はお気に入りだったからね、紅井久玲奈の過去はよく知っているよ。君が長い間、優秀な家族に劣等感を抱いていたことも。その劣等感を拭い去る為に、友人さえ作らずひたむきに自分を磨き続けていたことも。……その果てに、何一つ非がない自分を落ちぶれさせていった理不尽な運命を、病室の中で憎み続けていたことも知っている」
……身内自慢になってしまうが、クレナの家族は誰も彼も優秀な人間ばかりだった。
母は今でこそ普通の主婦をやっているが元は国民的な大女優であり、旧姓を名乗れば知らぬ者は居ないほどの有名人である。父は数多くの賞を受賞した売れっ子の作家であり、二人とも目立つことを嫌っている為住処こそ質素だったが、既に我が家には数世代先まで遊んで暮らしていける財産が貯蓄されていた。
そして兄の彗は絵に描いたような完璧人間であり、昔から何でもこなす天才児だった。
クレナこと紅井久玲奈は、そんな嘘みたいに恵まれた家庭で育ってきたのだ。誰もがそんなクレナの生まれを羨んでいたし、妬まれもした。
しかし他でもないクレナ自身が、その家庭に馴染めていなかったのである。
「辛かったろう、何をやっても家族の姿がチラつき、一個人として認められない日々は。悔しかったろう、どれだけ自分を磨いても遥か彼方にあった兄の背中は。諦めてそういうものなのだと認めてしまえば、いくらでも幸福を享受することは出来た。しかし、君にはそれが出来なかった。紅井久玲奈という誇り高い少女は、自分の実力だけで愚民の上に立たねば気が済まなかったのだ」
紅井久玲奈は天才的に優秀な家族の中で、彼らと比べれば目立った長所の無い平凡な人間だった。
家族のことを尊敬はしていた。大切にも思っていた。しかしそれと同じぐらい、自身が平凡であるが故に彼らの背中を追い掛ける日々を苦痛に感じていたのだ。だから優しくて立派な筈の家族に対して、クレナはずっと愛情を抱けないでいた。
しかし家族から才能を受け継がなかった一方で、紅井久玲奈は人よりも自尊心が高く、支配欲が強い人間だったのだ。
そのきっかけが何だったのかは覚えていない。しかしクレナは昔から表面上こそ取り繕っていたが、何かにつけては周りの者を従えたがる獰猛な支配欲を持っていたことを覚えている。
実の家族に対するそういった欲求は特に強く、両親にこそ巧妙に隠していたものの、三つ歳上の兄には常に対抗心を剥き出しにしてはやんわりと対処されていた記憶だ。
「初めて幼い頃の君を見た時、私は驚いたよ。君は平和な世界に生まれながら、誰に教わったわけでもなく支配者の素養を持っていた末恐ろしい子供だった。そんな傑物をいつの日かこの手で従えられると思うと、我が事ながらゾクゾクしたものだ」
しかしそんなクレナは中学入学から程なくして訪れた理不尽な事故に巻き込まれ、挫折を味わうことになった。
重傷を負ったクレナはもはや兄や両親達を追い掛け追い抜き支配するどころか、その辺の一般人にすら劣る惨めな姿に成り果ててしまったのだ。なまじ元の自尊心が高かったが故に、それは致命的な挫折となった。
「不幸な事故によって君の心が折れてしまった時は失望したものだが……今はどうだ? 君は地球の誰よりも大きな力を手に入れ、その気になればいつでも支配者になれる存在になった。まさしく今の君は、あの時私が思い描いていた女王そのものだ!」
たった一度の、それもトラック同士の衝突という何一つ自分に非が無い事故によって、それまでクレナが積み重ねてきたものが何もかも失われたのだ。
まともに外を出歩くことすら出来なくなったクレナは敗北者となり、対抗心を抱いていた兄や両親から憐れみを受け続ける存在に落ちぶれていった。
――そして、そんな日常を急変させたのが、未来のクレナから受け継いだ記憶だった。
クレナは降って湧いたその奇跡によって復活を成し遂げ、浄化の炎という全てを焼き払う力を手に入れた。
どんなに優秀な人間であろうとたどり着けない領域に立ち、周りを見下ろす。それはまさしく、事故が起こるまでのかつてのクレナが目指していた理想の自分だった。
「君もまた、心の中では今の自分を気に入っている。圧倒的な力を得た自分に酔いしれているのだ」
圧倒的な力を自由に振る舞い、己の充実感を満たしていく……なるほど、確かにその点に関して言えば、クレナとゼン・オーディスはそっくりである。
そこまで看破されてしまえば、受け入れざるを得なかった。
「……わたしのことを、よくしっている」
伊達に長年異世界召喚に携わってはいないようだと、クレナはオーディスの彗眼を讃える。
彼に自分の過去まで見られていたと思うと吐き気がするが、彼から見た紅井久玲奈の人物像には何一つ異論は無かった。
憤りを消した表情で力無く呟いたクレナの姿に満足したのか、オーディスが微笑を浮かべながら言う。
「理不尽な事故で受けた屈辱は辛かっただろう? だが、今の君ならチキュウの王にだってなれる。その力で人々を服従させ、どんな命令もし放題だ。理不尽な屈辱を与えてくれた世界に、存分に復讐することが出来る」
「……おまえは、わたしに、なにをさせたい?」
クレナにとって人生の汚点であり、紅井久玲奈の心の闇である過去の話を掘り返してまで彼が勿体つけている本題を問い質す。
ここまでの語りは全てクレナ自身の心を丸裸にした後で、何かを求めたがっているからなのだろうとクレナはこの男の性格から推測していた。
そしてその推測通り、質問を受けた彼は自分の意図が伝わったことを嬉しそうに……表情から笑みを消して言い放った。
「私と来い、紅井久玲奈」
クレナの目を真剣に見つめるオッドアイの瞳からは、この男のものとは思えない誠意が感じられた。
今までのように人を見下しきった顔ではない。対等な目線から、真っ直ぐにこちらを見つめて言ったのだ。
「私は君を、これまでのチキュウ人達のように扱う気は無い。同志として、共に二つの世界を従えようではないか」
「……なにを、いう」
「君に魅力を感じた。率直に言うと、君に惚れ込んでいるのだよ。何なら友好の証として、フィクス王の首とこの国をくれてやってもいい。私は本気だよ?」
その目を見る限りは、演技には思えない言葉だった。彼はこのフィクス帝国の召喚師として仕えている立場だが、別段王に対して忠誠を誓っているわけでもフォストルディアの人類の未来を憂いているわけでもない。そのことは、クレナも未来の自分から得た知識で知っている。
この男は、一貫して身勝手なのだ。
ただ自分が充実出来ればそれでいいだけの狂人。そんな彼の琴線に、紅井クレナという歪な存在が触れたのだろう。
彼がその気になれば今すぐにでも王を殺し、この国を掌握した上でクレナに支配権を渡すことだって出来る。元来それが出来るだけの強者であり、そんな行動を起こすことがありありと想像出来る人格破綻者なのだ。
言葉通り彼が本当にクレナを気に入ったのなら、今口にしたことを実行する可能性も高いだろう。
「君も気づいているのだろう? その力を得て私と同じ怪物になってしまった君はもう、支配者となる以外にチキュウで生きていく道は無いのだ」
「オーディス……」
かつて自分が欲しかったものの為に、彼に身を委ねてみるのも、選択肢の一つなのかもしれない。
いずれにせよ氷に身を囚われ、抵抗する力を失っている今のクレナが返せる答えは一つしかなかった。
「ばかか、おまえ」
たとえこの世界がひっくり返っても、お前と組む未来などあり得ないと。
クレナは心から見下した侮蔑の目で彼を睨みながら、そう吐き捨てた。
「……なに?」
全身を蝕む氷の冷気によって身も心も冷え切った今、クールダウンは終わりだ。
クレナは怪訝そうな顔をするオーディスの前で、彼が動き出すより早く口を開き、声を放つ。
その声はクレナの胸元の内ポケットに収納している、一枚の魔道具に向けた言葉だった。
「でてこい」
「……ッ!?」
瞬間、クレナの胸元から眩い閃光が広がっていく。
それと同時――光の中から飛び出してきた鋭利なツノによってクレナの上半身を覆っていた氷を突き破りながら、白い天馬がこの広間に顕現した。
大きな翼を広げた天馬は咆哮を上げて旋回すると、その前足でクレナの四肢を磔にしていた氷の柱を乱暴に砕き割り、落下していくクレナの身体を背中で受け止めながら広間の宙を飛び回っていく。
それまでの動作に掛かった時間は三秒弱。オーディスなら十分に対処できる時間であったが、白い天馬の姿を茫然と見上げる彼の表情は、驚愕の色を浮かべていた。
「次元幻馬だと!? 馬鹿な……邪神の眷属が何故……?」
クレナのことを見ていたと言っていたが、クレナがロアから半ば強引に預かっていたこのカードの存在は失念していたのだろうか。……いや、それにしてもオーディスらしからぬ動揺である。
「フィアルシアが目覚めたと言うのか……!」
憎ましげに天馬の姿を睨むオーディスを警戒しながら体勢を整えると、クレナは翼の動作の妨げにならない位置に腰を下ろしながら天馬の背中に跨る。
しばらく氷に囚われていたからか、無惨にもクレナの着ていた那楼高校の制服は上下共に内側まで染み込んで水浸しになっていた。身体強化の魔法さえ使えば水分を含んだ衣服程度大した重りにはならないが、相手はあのゼン・オーディスだ。念には念を入れることにしたクレナは全身から放った浄化の炎によって、可能な限りその水分を蒸発させておいた。
「ふう……」
身体中に纏わりついていた不愉快な感覚が無くなったところで気を取り直し、クレナは天馬の上から飛び降りる。
飛行魔法によって真紅の翼を展開したクレナは、自らの力で宙を舞いながらオーディスの姿を見下ろした。
氷の束縛から解放されたことにより、クレナの気分はさながら籠から飛び立った一羽の鳥だ。
再び魔力行使が出来るようになったことで、クレナは身体強化の魔法と同時に翻訳魔法を発動して彼に言い放った。
これまで彼が語った「クレナ」に対する認識には、幾つも指摘してやりたい点があったのだ。
『お前は致命的に、私のことを勘違いしている』
「勘違い、だと?」
『兄さんや両親に対するわだかまりなんてとっくに消えているし、今でもプライドが高い自覚はあるがお前が言うほどナルシストのつもりは無い』
彼は紅井久玲奈の人物像を的確に分析していたが、それを「クレナ」と結びつけるのは正しくない。
孤独でプライドが高く、表面上はまともなふりをして獰猛な支配欲を心の内に隠し持っていた紅井久玲奈なら、確かにオーディスとの共通点が深い。
しかし「紅井クレナ」はもはや未来のアカイクレナ本人ではないように、この時代の紅井久玲奈でもないのだ。
どちらでもあって、どちらでもない。我ながら人間なのかどうかすら怪しく思っているが、二つの心を持っているからこそクレナは過去と未来、どちらの自分の姿もある程度客観的に見ることが出来た。
だからこそ、言える。
『確かにこの時代の紅井久玲奈は、未来の私ほどあの二人を愛しているわけじゃない……だが、彼らを守りたいと思う「クレナ」の気持ちは、お前如きに何を言われようと揺らぎはしない』
ここに居る「クレナ」が起こした行動の全ては、たった一つの感情に帰結しているのだと。
『確かに私も、今さら自分が地球に馴染めるとは思っていないし、圧倒的な力で怪物を捻じ伏せた時こそ充実を感じていたのも事実だ』
事故前までの紅井久玲奈では、見つけられなかった感情だ。
『だが私は、それでも地球人だ。未来でも過去でもない紅井クレナは、地球人としてお前を否定する』
それは、皮肉にも異世界召喚を経たことによってアカイクレナがやっと見つけることが出来、過去を見つめ直した今の「クレナ」が便乗して理解することが出来た初めての感情だった。
今の「クレナ」の根幹を為しているそれこそが、「愛」という感情である。
彼は紅井久玲奈に対して、人を好きになったことが無いと指摘した。
しかし過去の久玲奈がそうでも、未来のアカイクレナの記憶を受け継いだ「クレナ」は、その感情をはっきりと理解している。
だからこそクレナは、クレナ自身の心でオーディスを憎んでいる。彼女が生まれて初めて好きになった白石兄妹達未来の人々を苦しめた、彼の全てを滅ぼしたかったのだ。
『私は……異世界召喚を許さない』
何もかもが空っぽだったアカイクレナに、人を好きになることを教えてくれた人達のことが……今ここに居る「クレナ」も同じように好きになっていたのだ。
オーディスには知る由もない事実だった。
「……君なら、私の同志になれると思ったのだがな」
はっきりと口にしたクレナの拒絶に対して、オーディスが心底落胆した様子で返す。
そして次の瞬間、これまでには感じなかった彼の「殺気」と、暴力的な魔力の高ぶりを感じた。
「……残念だよ、クレナ君。フィアルシアとのつながりと言い、君は危険な存在だ。捕獲はしない。王命に逆らうことになるが、ここで消えてもらう」
「しぬのは、おまえだ」
待機していた三人の戦闘人形がオーディスの元に集い、再び向き直る。
長話は終わりだ。しかしこれまでの彼との語らいは、「クレナ」にとっても無駄なものではなかった。
死んでいったアカイクレナの後悔でも無力だった紅井久玲奈の支配欲も関係なく、純粋なクレナ自身の心で彼を殺せるのだから。
紅井クレナはその力の使い方に対して、ある意味で誰よりも純粋だった。
次回からフィア編に戻ります




