第14話(紅)
――時は、少し前に遡る。
神巫女奪還作戦の概要は、多数の部隊が囮になって敵兵を足止めし、その間に少数の部隊で王城に侵入。神巫女を連れ去るという単純なものだった。当然ながら圧倒的に数が少ないこちらは時間が経てば経つほど不利になっていくことになり、スピードが命の作戦である。
しかし聖地の民も、神巫女を攫われてからロアが帰ってくるまでの間に遊んでいたわけではない。クレナの与り知らぬところで行われていた作戦の前準備は、思いのほか周到に整えられていた。
何でも騎士団の話によればフィクス帝国の帝都「ドラボス」には聖地ルディアと通じているルディア教徒が何人か居るらしく、その信徒達が偵察の任務を引き受け、前もって現地調査を進めていたらしい。
そんな彼らの調査によると神巫女ロラ・ルディアスは現在帝都の王城にある地下室に幽閉されていることがわかり、それならば帝国の地下水道を通れば隠密にその場所まで移動することが出来るのではないかという話になった。
地下水道にもフィクス帝国の衛兵は配置されているが、地上と比べればその防衛網は遥かに緩い。
故に作戦は成功率の高さ鑑みた結果、地上ではガルダ団長達の大部隊が敵の目を引きつけている隙に、少数の部隊が地下水道を渡って帝都の王城に侵入するという内容に定まったのである。
そしてクレナを交えた会議の翌日、作戦開始の日が訪れる。
総勢500人のルディア教徒達は聖地ルディアの賢者による「転移魔法」により、フィクス帝国領において最も隠れ信徒の多い「クーラ村」という村へと転移した。
「転移魔法」とは術者が転移先の座標を理解している限りどんな場所にも一瞬で移動することが出来るという破格な性能を持った高等魔法であり、未来のクレナも幾度となく世話になったことのある魔法である。そのような便利な魔法があるのなら、このような回りくどい作戦など立てなくても全員で王城まで転移すればいいのではないか?と思う者は居るかもしれないが、当然ながらそう上手くはいかない。
帝国領では常に、魔物除けの結界と同時にテロ対策として転移封じの結界が張り巡らされているのだ。
そんな中でも帝国領にあるクーラ村に転移することが出来たのは、ルディア教司祭でもある村長の計らいにより一時的にその結界が解除されたからである。
「どうか神巫女様を……ロラ様をお助けください」
奪還作戦に参加するメンバーに対して、深々と頭を下げる村長の姿は印象的に映った。
このことを帝国にバレれば村が焼き払われる可能性とて高いだろうに、村の人々はそれを承知の上で神巫女ロラ・ルディアスの救出作戦に加わってくれたのだ。
……帝国にもまともな人は居たんだなと、未来の記憶には無かった殊勝な存在を見て内心驚きながらそう思ったクレナだが、彼らだけでフィクス帝国への憎しみが衰えることもあり得ない。
オーディスは抹殺。召喚師は殲滅。帝国は壊滅。クレナの中でこれは決定事項だった。
今回の作戦における拠点となったクーラ村から帝都ドラボスまでの距離は、日本で言うところの愛知から東京ぐらいの長さだ。
クーラ村は存在さえ明るみにされていないほどの田舎かつ自然に囲まれた小さな村だが、この村の下にある地下水道は帝都までつながっているらしい。そこで、王城の下に至るまでの道先案内人は、聖堂騎士団のガルダ団長が金で雇った現地協力者「ゲレーロ」と「ペゲーロ」という盗賊兄弟が引き受けてくれた。
彼らは他の協力者達のような敬虔なルディア教徒ではないが、報酬を与えれば払った金の分だけは働いてくれる信用の置ける俗物だというのがマキリスの談である。
事実、彼らによる道案内は完璧なものであり、クーラ村という辺境の村の地下水道から始まって帝都の地下水道に至るまでの道中はタイムロスがほとんどなく、速やかに移動することが出来た。
――そんな盗賊兄弟を含めて、全員で八人。
不愉快な臭いの漂う地下水道を渡り、王城まで進んでいく救出部隊の中に、紅井クレナは居た。
「いやな、くうき……」
身体強化魔法によって乗用車程度の速さまで移動速度を強化しているクレナ達だが、警備の目を掻い潜りながら数時間を掛けてコソコソと移動するのは正直言って彼女の主義には合わなかった。
クレナとしては単騎で帝都に乗り込み、防衛網なんてものは強行突破する気満々だったのだが、力任せなその策はガルダ団長やマキリスによって止められたのだ。どうにもクレナのことを創造神ルディアが遣わした天使か何かだと思っている節のある彼らは、彼女の身を危険に晒すことも彼女の力に頼りすぎることも不本意な様子だった。
そんな彼らの考えだが、クレナも理解はしている。敬虔なルディア教徒である彼らには、たとえ神巫女の為とは言え、たった一人のチキュウ人に頼り切ることは認められないのだろう。
「フォストルディアの民として誇りを持つ」――自分達の世界は自分達で守っていくのだというのはルディア教の教義の一つだが、それは聖地ルディアの民が最も犯してはならない大切な教えなのだ。
クレナ個人としても、彼らのその考えは召喚勇者達に何もかも押し付ける帝国よりは幾分好感が持てた。
「そう言わないでください、クレナさん。この作戦は、貴方が居て成り立つんですから」
クレナが日本語で呟いた悪態に対して、ロア・ハーベストがおだてるような世辞を返す。そんなもので自分の機嫌を取ったつもりだとすればお笑い種だとクレナは内心嘲るが、この場において唯一日本語のわかる彼の存在は、話し相手として役に立たないでもなかった。そんな彼もまた地下水道から王城へ侵入しようとする神巫女救出部隊の一員であり、姉である神巫女救出に重要な任務を分け与えられていた。
「そうそう、こんな薄暗ぇ場所を命がけで渡る仕事、嬢ちゃんみたいな子が傍にいねぇとやってらんねーよ。下水の臭いがきつかったら言ってくれ。俺様から溢れ出る心地良い香りをかがせてやるぜ」
「うるさいぞ兄者。そろそろ警備がきつくなる。ボリュームを落とせ」
「あいよ、弟者。それはそうと嬢ちゃん、これが終わったら一緒食事でも……」
『黙っていろ』
「ありゃ……こいつは手厳しいぜ。顔に似合わずきっついんだから、HAHAHA」
この部隊は基本的に、帝国側に顔の知られていない人員によって構成されている。
それでいてフットワークの軽い若い顔ぶれが多く、クレナ以外は全員男性の為かクレナの背中に突き刺さる視線は少々鬱陶しいものだった。クレナとしては重要な任務をこんな連中に任せて大丈夫かと思ったものだが、人事を決めたガルダ団長の人を見る目は確からしく、ここを任されたメンバーには案内人の盗賊兄弟を筆頭に優秀な者は多かった。尤も元々クレナが居ない計算で準備していたのだから、それも当然なのかもしれない。
ロアはクレナありきの作戦だとおだてたが、最初にクレナが団長から受けた役割はこの地下水道ではなく、地上の大部隊に入って陽動を手伝ってほしいというものだったのだ。しかし、クレナは自分からその申し出を断ってこの部隊に加わったのである。
王城に侵入出来るこの部隊の方が、クレナにとって都合が良いからだ。
ならば自分からこの場所に入ったクレナが文句を垂れるのは筋が通らない話だが、それはそれとして地下水道の移動が不愉快なものは不愉快なのだ。クレナは本当なら浄化の炎で下水諸共全て浄水してやりたいところだったが、そうすると潜伏が台無しになる為にこうして我慢している。
クレナ自身としてはそれほど綺麗好きな性格のつもりではないのだが、このじめじめした空間がこうも不愉快なのはもしかしたら未来のクレナの記憶に何か、下水道に対して嫌な思い出があるからなのかもしれない。なんとなくくだらない記憶のように感じたので、わざわざ思い出す気にはならなかったが。
「そろそろ、団長達も帝都の近くまで着いた頃でしょうか……」
「ワイバーンのスピードだもんなぁ……一度乗ってみてぇな」
ここからは把握出来ない外の様子を思い、心配そうに呟いたロアの声と、応対する盗賊兄弟の兄ゲレーロの声がクレナの耳に入る。
時計が無いのでわからないが、クレナ達が地下水道に入ってから随分と時間が経つ。今頃地上では聖堂騎士団を筆頭とした大部隊が帝都に対して堂々と立ち回っているだろうと想像出来た。
ガルダ団長やマキリス副団長らが率いる地上の大部隊は、主にワイバーンに乗って空中行動に当たっている。ここに居るロア少年も地球ではカードから召喚したワイバーンに乗っていたものだが、聖地ルディアの騎士の多くは基本技能としてワイバーンに騎乗して戦う術を身に着けているのだ。
聖地ルディアの土地は周囲がルディア渓谷というワイバーンの住処に囲まれており、その土地柄上、住民達はワイバーンとの関係が深いのだ。
その関係は魔物と人間とは思えぬほど友好的なものであり、騎士達はさながら騎手と愛馬のようなパートナー関係を築いていた。
それ故に彼らは皆、ワイバーンへの騎乗による空中移動が得意なのである。
尤も、帝国の空はこの地下水道よりも遥かに厳しい防衛網が敷かれており、まともに進軍したところで王城どころか帝都にたどり着く前に迎撃されるのが濃厚であったが、大部隊の役目は進軍ではなくあくまでも囮だった。
ワイバーンに乗った騎士達の編隊の存在は、こちらから注意を逸らすには有効なプレッシャーになるだろうと見込んでいる。
『マキリスが居る以上、下手は打たないだろう。お前は姉を助ける方法だけ考えろ』
「は、はい……」
下水道を走り進みながらもロアは地上担当の大部隊への心配を隠せない様子だが、クレナからしてみればガルダ団長はともかくマキリス・サーバエルの強さは未来知識からよく知っている。勇者の剣が絡むと周りが見えなくなる残念なところはあるが、今の彼ならばそんな一面が露呈することもあるまい。
クレナ達が出陣する前には彼は律儀にもクレナに対して「命を賭して作戦に当たります!」と宣誓していたが、彼は単細胞ではない。意地に引っ張られて引き際を見誤ることはないだろうとクレナは思っていた。
「な、なんか、意外です。クレナさんも、僕達のこと気にしてくれているんですね……」
『……勘違いするな。私の目的を果たす為には、戦力の分析が必要だっただけだ』
出会ってから数日程度しか経っていないマキリスに対して未来知識から信頼を置いているクレナを見て、そんな事情は知らないロアが何やら頓珍漢なことをほざいていたが、クレナはそんな彼を適当にあしらいながら地下水道を進んでいく。
道中では何度か帝国の衛兵に見つかることもあったが、彼らが王城に連絡する前にクレナが動き、素早く背後に回り込んでからの手刀で昏倒させていった。
浄化の炎はこの場所では目立ちすぎる為、魔法で身体強化した物理攻撃で対処したのである。
「いよいよ警備がきつくなってきたな……王城はもうすぐだ。契約通り、俺達はここで上がらせてもらうぞ」
「ここまでご案内ありがとうございました。ゲレーロさん、ペゲーロさん」
「アデュー、お前らも気をつけろよ。この時世、若いもんが人間相手に死んでいくほど胸くそ悪い話はねぇからよ」
王城の下まで近づいてきたところで、当初の契約通り道案内を終えた盗賊兄弟が部隊から抜けていく。
だが、ここまでくれば彼らの案内は必要無い。もっと言えば帝都の地下まで来た時点で、クレナは王城から感じる強力な二つの気配を肌で感じていたのだ。そこに向かっていけば、おのずと王城の下までたどり着く。
気配の一つは神巫女ロラ・ルディアスのものと思われる、誰よりも透き通った聖なる力。
そしてもう一つは次代を越えても忘れる筈の無い、憎んでやまない怨敵の魔力だった。
「クレナさん……?」
もう少し……もう少しで、奴と戦える。
もう少しで、奴を殺すことが出来る。
地球への干渉が出来る数少ない召喚師であるあの男、ゼン・オーディスさえ仕留めれば地球人の異世界召喚は一気に滞る。それだけ、白石兄妹の危険も大きく減るのだ。
召喚師ゼン・オーディスの抹殺。それは大局的に見ても、クレナ個人の私怨から見ても果たさなければならない使命だった。
「よし、ここが目標のポイントだな」
「意外に楽勝だったな。警備の目は、軒並み地上に向いているのかも」
「そんなのは関係ない。俺達で神巫女様をお救いするぞ。何が何でも」
クレナが彼の魔力を感じながら戦意を昂らせている間に、どうやら目的地である王城の真下へとたどり着いていたらしい。
これまでの警備が妙に薄かったのは不気味に思えるが、何はともあれ予定よりここまでは順調な道のりだと言えるだろう。
救出隊の何人かは安堵の表情を浮かべ、何人かはより強張った表情を浮かべている。この場合、正しい反応は後者だろう。
神巫女の救出は、ここからが本番なのだ。
「王城の真下まで着きましたけど……近くに梯子はありませんね」
『飛んでいけばいいだろう。お前の召喚獣に乗せてやれば、ここに居る全員くらい運べる筈だ』
王城の下までたどり着けば、後は簡単だ。
この場から真上――王城の地下室の下部分に当たる、地下水道の天井を見上げる。
そこに入り口が無いのなら、作れば良い。まどろっこしいことをせずとも、あそこに穴を空けれるだけで直に王城へと入ることが出来るのだから。
『入り口は私が開ける。退いていろ』
「あ、はいっ」
ここまで来たのなら、わざわざ気配を消して隠密行動を続ける必要も無い。
クレナは遠慮なく体内の魔力を高めていくと、この全身から紅蓮の炎を解き放った。
「おお……!」
「この真紅の炎……やはりクレナ様は、ルディア様の天使様なんだ……!」
クレナの身体から噴出した紅蓮の炎は柱となって上昇していくと、その勢いのまま衰えることなく地下水道の天井を突き破り、王城の中へと容赦なく突き進んでいった。
傍目からはこれでは地下室の何処かに居る神巫女の身まで焼きかねないと思える光景だが、クレナが標的と定めない限りは浄化の炎が彼女の身を焼くことはあり得ない。
彼女は浄化の炎に焼かれる穢れた存在とは真逆な……神に最も近い聖女なのだから。
故にクレナは、この紅蓮で自分の道を開けることに一切躊躇いは無かった。
『フィクスの守りも案外薄い……いや、誘っているのか……?』
炎を放ちながらクレナは、これまでの数時間の道のりを振り返った。そして思ったのは、やはりフィクス帝国にしては手応えが薄すぎるという不審感だった。
だが、どの道この期に及んで引き返す選択肢は無い。
今一度発動したクレナの「C.HEAT」能力を見て呆然としている救出部隊の面々を他所に置きながら、クレナは飛行魔法で生やした翼を羽ばたかせながら、炎でこじ開けた大穴に向かって先行していった。
 




