第13話(紅)
ルディア大聖堂の最深部――本来ならばロラ・ルディアスが創造神ルディアの神託を受け取る「神託の間」のさらに奥へ入った地下室には、聖なる力に覆われた「神器の間」があった。
真紅の不死鳥の姿が描かれた広間の床の上には三つの台座が設置されており、その内の二台には二つの「神器」が収まっている。
右端の台座に収まっているのは「聖槍バルディリス」――引き抜いた者に天上の騎士「神騎士」の称号を与える奇跡の槍だ。
そして中央の台座に収まっているのは「聖剣ヴァレンティン」――引き抜いた者に希望の存在「神勇者」の称号をもたらす究極の剣だった。
その傍ら、左端の台座にはかつて「聖杖サーフェイト」という杖が収まっていたが、その杖はロラ・ハーベストという少女が引き抜いて以降彼女が「神巫女」の称号を承った今、空席になっている。故に今現在この「神器の間」にある神器は聖槍と聖剣の二種のみであったが、二つ神器が放つ存在感は尚圧倒的だった。
相応の身分でなければ入室することさえ許されていないその「神器の間」には今、聖剣ヴァレンティンが収まっている台座の前で拝むように片膝をついている一人の青年の姿があった。
紫色の長髪を後頭部で一本に結んだ青年の名はマキリス・サーバエル。聖堂騎士団の副団長にして、やがては団長の座に就く男であるとクレナの未来知識にはそう記憶されていた。
「勇者よ……お導きください。かつて私に希望を教えてくれた、その光で……」
部屋の前に立ちながら室内の様子を窺っているクレナの目に気づかぬまま、マキリスは台座に収まった聖剣ヴァレンティンに対して一心不乱に祈り続けている。
遥か昔、創造神ルディアと戦いを繰り広げた邪神を滅ぼしたと伝えられている神勇者の剣は、それ自体が神の如く特別な存在なのだ。彼がその神器に対して並々ならぬ執着心を抱いていることもまた、クレナは未来知識から知っていた。
(この時代でも、同じか……)
アカイクレナの辿った未来では、どんな手を使ったのやらマキリスはその剣を引き抜き神勇者の称号を手に入れた。
そんな彼はクレナの前に現れて、覚悟を決めた目でこう言ったのだ。
『召喚勇者というまがい物ではなく、私という真の勇者が生まれた今、君達の役目は終わった。魔王軍もフィクス帝国も私が滅ぼす。だから君達は……君は何もせず、私の示す未来を見ているがいい』
敵は全て自分が滅ぼす。だから君達はもう、戦わなくて良いのだと。
魔王軍も人類軍も関係なく、目に映る全ての者に対して徹底的な武力介入を行っていく姿はどれほど頼もしく、痛々しく、虚しかったことか。
こうして聖剣に祈る彼の姿を見ているだけで、クレナの脳裏には未来における彼の生き様と死に様、両方が映し出されてきた。
『愚民どもよ、聞け! 我が名はキメリウス! バアル七十幻魔の一柱にして、真の勇者となった者――聖剣ヴァレンティンの名の下に、世界に光をもたらす男だ!!』
戦力差など構うものかとばかりに彼は世界を相手に反逆し、最後は志半ば魔王に敗れ息絶えていった彼――出来ることならば、未来で辿ったのと同じ末路にはしたくないとクレナは思った。
未来のクレナは最後まで彼の想いに報いることはなかったが……それでもマキリス・サーバエルという男は、この世界で数少ない恩人なのだから。
……尤も、それ以上に今のクレナが執着しているのは怨敵であるゼン・オーディスの命、ただ一つだった。
そんな、決戦前の一幕である。
フィクス帝国の帝都「ドラボス」に聳える王城。その地下にある薄暗い大広間の中に、聖地ルディアの神巫女ロラ・ルディアスは幽閉されていた。
太陽の如き紅色の法衣を纏った金髪の少女は、その大広間の中心で両手を組み、祈りを込めるような姿勢で座り込んでいる。周囲にはそんな少女を守るように、何人たりとも寄せ付けない透明で強固な防壁が張り巡らされていた。
その姿はまさに聖女と呼ぶべき神秘的なものだったが、彼女のそれがせめてもの抵抗であることをゼン・オーディスは見抜いていた。
「オーディス様!」
「神巫女はいつからこうしている?」
「この封魔の間に入れてから、ずっとです……食事にも手を付けず、あのように眠り続けています」
「ふむ……」
二日ぶりにオーディスがこの広間に入り、神巫女の見張りを任せていた衛兵達に訊ねると、彼らは緊張を隠せない表情を見せて応対する。
そんな彼らの報告を聞きながらも、爬虫類めいたオーディスの目は防壁の中で死んだように眠っている神巫女の姿を分析していた。
「この「封魔の間」に居ながら自ら代謝を抑え、仮死状態になりながらもこの結界を維持しているのか……なるほど、これが創造神ルディアの神巫女。強かなものだ」
数日前、王命の下にフィクス帝国から神巫女ロラ・ルディアスを攫ったオーディスは、彼女を王城に招き入れると主君である王と対面させた。
王がロラに要求したのはやはり神巫女たる彼女のフィクス帝国への従属であったが、彼女は頑なにそれを拒み、それどころか「頭が高いぞ老いぼれ! 私を解放しなければ、やがて目覚める神の炎がこの国の全てを焼き尽くすことになる!」と凄んでいたほどであった。
聖女の鑑と言えるほどの美しさと気品を併せ持った神巫女が放つ予想外の威圧感は、長年この国を治めてきた帝王にも劣らない苛烈さだった。これにはオーディスも驚き、十六の小娘とは思えない気丈な姿には敵ながら感心したものだ。
通常であればそのような反抗的な人間は召喚獣や召喚勇者達のように隷属の魔法を掛けたり、拷問に掛けて心から圧し折りにいくのがこの国のやり方であるが、創造神ルディアという実体の掴めない存在が背後に居る彼女にはさしもの王も慎重だった。今の創造神に物理的な裁きを下せるだけの力が無いことはわかっているが、かのルディア教は世界にも浸透している宗教だ。
フィクス帝国内では禁止されている宗教であるが、国民の中にも隠れた信徒の数は少なくないと聞く。
それ故に神巫女を拉致した今回の件は未だ公にはされておらず、今のところは王宮内の内密の話にされている。
彼女の持つ計り知れない影響力を鑑みたところ、今はまだ彼女をこの「封魔の間」という入室者の魔力を抑え込む部屋に幽閉するだけに留めており、オーディスもまた彼女に手荒なことは出来ないでいた。
「お目覚めください、ロラ様」
一種の芸術品のような姿で眠っている彼女の元へ移動すると、オーディスはその右手に持った杖の先でコンッと彼女の周囲を覆う防壁――結界の壁を叩く。
瞬間、叩いた箇所から亀裂が走り、彼女を守る結界は瞬く間に砕け散っていった。
フィクス帝国の民が召喚魔法に長けているのと同じように、聖地ルディアの民は結界魔法に長けている。特にこの神巫女ロラ・ルディアスの張った結界の強度は非常に高く、術者の魔力を低下させるこの「封魔の間」でも打ち砕くことは困難な筈だった。
その結界を事もなげに破ってみせたオーディスの入室に気づいた神巫女が、ゆっくりとその目蓋を開く。
そして鈴を転がすような声で、神巫女ロラは言った。
「……ルディアの結界を破壊するその力……それは、貴方自身のものではありませんね?」
祈りを込めるように組んでいた両手を解き、ロラは広間の中心から立ち上がってオーディスの目を見据える。
水のように澄んだ紺碧の瞳は彼女よりも頭二つ高いオーディスの姿を間近に見ても臆することなく、周囲に誰一人味方の居ないこの状況の中でも勇ましく見えた。
これほどの強い眼光を持っている者は、魔王軍の脅威に怯え切った帝都の一般人にはまず居ないだろう。そう思えるほどの眼差しは、オーディスにとって好印象だった。
「ええ、これも召喚魔法によって発展した我が国の力の一片。魔王軍の進撃に耐えながらも、我々は着々と力を付けているのですよ」
「愚劣なことを言いますね。その力は、貴方がたが拉致したチキュウの民から奪ったものでしょう」
「これは手厳しい」
フィクス帝国では一年周期で大規模な召喚魔法により、チキュウという異世界から勇者を召喚する儀式が行われる。その中でも実際に魔王軍を倒しうるほど強力な能力を持つ者はほんの一握りだが、それ以外の「使えない」勇者達の存在も帝国では有効に活用されていた。
このゼン・オーディスがいとも簡単に聖地ルディアに入り込むことが出来たのも、今しがた神巫女の結界を破ることが出来たのもその恩恵にある。
「チキュウの民には魔族や人類の張る結界を突破する力があると聞きます。故に、貴方がたの勇者召喚は二つの目的があって行われている」
他国には知られていない筈のフィクス帝国の内情、それを看破した口ぶりで、ロラは言葉を続ける。
「一つはチキュウの民による魔王軍への進撃。チキュウの民ならば魔王領を覆っているあの結界を突破出来るから、貴方がたは彼らを勇者と称して戦いを強要させている」
「正解です。我らフォストルディアの民では、魔王軍の「魔結界」を突破することが出来ない。故に、チキュウの民という召喚勇者の存在は実に有効だった」
暗黒の門を越えて魔界からやってきた魔王軍は、今や世界各地に闇の結界を張り巡らせている。
その結界はフォストルディアの民の魔力を封じ、人々から戦う力を奪っていく恐ろしいものだ。
この世界の人類がこうも魔王軍に圧されているのも、全てはその「魔結界」の力があるが故だ。この結界の前ではどんな強者でも思うように力を発揮することが出来ず、多くの戦士達が無駄死にしていった過去がある。
そこで役に立ったのが、フィクス帝国によって召喚されたチキュウの民だ。
どうにも魔王軍の「魔結界」はフォストルディアの民にのみ効果が働くらしく、異世界の人類であるチキュウの民には影響しなかったのだ。
だからこそフィクス帝国の召喚師は彼らを召喚し、積極的に魔王領へと差し向けている。尤も結果はほとんどが勇者側の壊滅という残念な結果に終わっているが、チキュウがある限り使える駒は幾らでもあるというのが帝都側の認識だった。
それに、呆気なく全滅した召喚勇者達の犠牲も無駄にはならない。その理由をオーディスが語る前に、ロラが言い放った。
「二つ……この国はそんなチキュウの民を解剖し、彼らの力を研究することで結界破りの魔道具を製作したと聞きます。貴方のその杖のように」
「おや、そこまで知っていましたか」
オーディスが今持っている杖には、あらゆる結界を打ち破る効果を持った魔石が組み込まれている。その魔石は召喚勇者達のデータを基にして作られたものであり、召喚した勇者達の何人かを解剖に回したり、研究室に送ることによって先日完成に至ったものである。
この魔道具が量産されれば魔王軍の「魔結界」を破り、人類が反撃に打って出ることも可能だろう。オーディスはあえて言わなかったが、聖地ルディアを襲ったのにはこの魔道具の性能実験を行う目的もあったのだ。
そしてその目的は想定通りの形で達成され、帝国の作った結界破りの魔道具は聖地ルディアを覆う神の結界さえ破ることが出来るとわかった。帝国の手で魔王軍を破った暁には、多くの召喚勇者達の犠牲が無駄ではなかったという美談が後世に語り告げられるだろうとオーディスは想像していた。
そんな彼の顔を、ロラが蔑みの目で見据える。
「この国を魔王軍から守っている結界も、過酷な戦いに耐えられなくなり、心を壊したチキュウの民の身体を媒体にしていると聞きます」
「チキュウの民と言えど、その性能には大きな個体差があります。我々がこれまでに召喚してきた勇者達は、残念ながら大半が能力を発揮することが出来ない無能でしたが、我々はそんな彼らさえ無駄にはしません。彼らというサンプルから得た貴重なデータを基に、今日に至るまで我が帝国は多くの魔道具を生み出してきました」
「貴方がたにとって、チキュウの民は帝国発展の為の生贄か?」
「この世界に召喚された時点で、彼らはチキュウの神から見捨てられているのです。その命を我らの為に役立てることは、寧ろ光栄なのではありませんか?」
フィクス帝国にとって召喚勇者とは、扱いやすい人柱にもなれば有用な研究材料にもなる存在なのだ。召喚獣よりも強い力を持ちながらも、召喚獣よりも従えやすい。召喚自体が難しく手間が掛かるのが難点だが、彼らを召喚すればするほどフィクス帝国が発展を続けてきたことは既に歴史が証明していた。
今はまだ、魔王軍に勝つことは出来ないだろう。しかしこうして着々と発展を続けていけばいつかその力関係は逆転すると帝国の民は読んでおり、オーディスもまたそう確信していた。
「クズ共め」
そんなフィクス帝国の在り方を指して、神巫女ロラ・ルディアスが端麗な顔から盛大に毒を吐いた。
彼女らの崇める創造神ルディアの教義には、「自分の世界は自分で守れ」やら「フォストルディアの民であることに誇りを持て」というものがある。神巫女として最も神に近い立場に就いている彼女としては、異世界の民を都合よく利用する帝国の在り方が受け入れられないのだろう。
しかし悲しいかな、こうでもなければ人類に魔王軍に勝つ手が無いのが現実である。
世界が滅亡するかしないかという情勢にあって、最も有効な手段を取らない方が馬鹿げている。それが、フィクス帝国側の認識だった。
「流石は神巫女様だ……ルディア様から聞いたのですか。我々のことをよく知っておられる。しかしもはや綺麗ごとでは救われないほど、この世界は追い詰められているのです」
「詭弁だな」
フィクス帝国の内情を既に理解している彼女に対して、諭すようにオーディスが語る。
チキュウの民を有効に扱わなかった国がどのような目に遭ったのかは、魔王軍に敗れ、むざむざと支配下に置かれてしまった事実がそれを証明している。
いつの世も、人は環境に対応するべく進化を続けてきた。自分達の扱う召喚魔法もまた、魔王軍という凶悪な外敵に囲まれた過酷な環境に対応するべく人類が至った新しい進化に過ぎないとオーディスは考えていた。
故にオーディスは自分達が利用してきたチキュウの民に対して何の罪悪感も抱いていないし、躊躇も無かった。
「ゼン・オーディス、お前は何が望みだ? ルディアの神託か? それとも私の持つ聖杖か?」
そんなオーディスを紺碧の目で睨みながら、威勢よくロラが問い質す。
力強い剣幕は神巫女として大切に扱われてきた姫君というよりも、数多の戦場を駆け抜けてきた女傑のようにさえ見える。
「言っておくが、私がお前に攫われてやったのはお前の力に屈服したからではない。お前の力と私の力が全力でぶつかれば、ルディアの地が持たないと思ったからに過ぎん」
自身が敵国のど真ん中に幽閉されているこの状況にさえ何の悲壮感すら感じさせず、「攫われてやった」と上から目線で彼女は言い切る。
まるでこの状況は全て自分の――神の手の中にあるのだと。
その物言いからはどこか、自身と似たものをオーディスは感じていた。
「故に、ここでお前とぶつかり合うことに私は何の躊躇いも無い。お前達は私を攫って聖地ルディアを追い詰めたつもりになっているのだろうが、追い詰められているのはお前達の方だ」
そう言って、ロラはその胸に手を当てて体内から一本の杖を引っ張り出す。
一目見ただけでわかるほどの神聖さに溢れた美しい杖の名は、聖杖サーフェイト。聖地ルディア――このフォストルディアに伝わる伝説の神器の一つである。
その担い手として選ばれた神巫女ロラ・ルディアスは、普段からその杖を自身の体内に封印している。彼女の意思一つで、聖杖はこのように彼女の武器として顕現するのだ。
「国の中枢に私を入れたことを……その血で後悔させてやろうか」
杖の先端をオーディスに差し向けながら、勇ましい表情でロラが叫ぶ。
声は静かであったが、内に秘めた熱情は歴戦の戦士のようだ。
攫ったと思っていた姫君が実は龍だったとでも言うように、力強い眼光がオーディスを射抜く。
その姿は多くの人間と対峙したことのあるオーディスから見ても、虚勢には思えないものだった。
「それが出来るのなら、とっくにやっている筈でしょう?」
「創造神ルディアの御心と神巫女であるロラ・ルディアスの思考を、外道如きに読み取れると思うな」
「それは恐ろしい」
この「封魔の間」に囚われていてもなお強い魔力を放っている彼女の姿に、オーディスの頭には王命とは言え彼女を攫ってきたのは失敗だったのではないかという考えが過る。
この少女は劇物だ。このフォストルディアの民としては、考えられないほどの能力を秘めている。そんな劇物を王城に入れたのは、帝国としてもリスクは大きかった。
今はまだ若く、その力を引き出し切れていないとオーディスは見ているが……このように幽閉して支配した気になっているだけでは、いつか帝国にとって取り返しのつかないことになるのではないかと疑っていた。
……全く持って、近頃は面白い人材が尽きない。チキュウからこの世界に渡って来た紅の少女の存在を脳裏に浮かべながら、オーディスは微笑を浮かべた。
「オーディス様! 敵襲です!」
その時、二人の間に割り込むように第三者の人間が声を掛けてきた。
オーディスに呼び掛けてきたのは、彼の部下である帝国軍人である。
敵襲――その一言で彼は、今しがたこの帝都に襲い掛かって来た事態を把握する。
「……お迎えが来たか。意外に遅かったな」
聖地ルディアの民が、彼らの神巫女を取り返しに来た。
ようやく神巫女の奪還作戦に踏み切ったということだろう。彼らがどんな手で彼女を取り返しに来たのかは割と予想がつくと、オーディスは足元から感じる僅かな気配を一瞥したが、あえて気づかないフリをしながら上階に上がることにした。
「ロラ様、邪魔が入ったようなので私はこれで。出来れば今度は、王城の外でお話したいものですね」
「私がこれから話をするのは我が弟と、紅の騎士だけです。外道は私の前から去りなさい」
「それは残念だ」
一触即発の空気が漂っていた「封魔の間」を後にし、オーディスは階段を伝って王の待つ謁見の間へと歩を進める。
これから始まる異邦人との対局に思いを馳せた彼の頬は、歓喜の笑みに歪んでいた。
――そして、それから程なくしてである。
ロラを捕えていた「封魔の間」が突如下方向から発生した紅蓮の炎に埋め尽くされ、衛兵達の悲鳴が響いたのは。




