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凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
十章 忌まわしき因習

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第四十三話 果てしない夜空

「ここは陸軍の屯所だ。さっきまで軍医の先生があんたを診てくれていた。もう大丈夫だから、安心して休みなさい」

「お心遣いは有難いんやけど、あたしは村に戻らんと……」

「村って、蛇ノ目村かい?」


 みさをは、こくりとうなずく。


「どうして蛇ノ目村に戻りたいんだ?」

「はるが眠ってるからや。蛇淵沼に……」

「蛇神が眠ってる禁足地か!?」


 思わず幻十郎は身を乗り出した。


「そうや。はるは、蛇神さまの生贄にされてもうたんよ。あたしは嫌やって言うたのに、主人は名誉なことやからって……」


(はる……戸沢はる! 十二年前に神隠しに遭った戸沢はるのことか!)


「あんたは、戸沢さんだね?」

「そう……戸沢……。はるを贄として差し出したんで、戸沢家は安泰やって言われたけどなぁ。新しい子は授からんし、主人は後悔して苦しんで、とうとう首を吊ってもうた。それであたしは村を出たんや」


 ぽろぽろと、みさをの瞳から涙がこぼれ出る。


「それから旧都に出て働いたけど、女ひとりでは生きていけん。色街でやっていける年でもないし、すぐに物乞いに身をやつしてもうて……。去年から桜町に来たんも、少しでもはるのそばにいてやりたかったからなんよ」

「あんた、数日前に村に帰ったね?」

「なんでか自分でもわからん。気づいたら村におった。外から入ってくる者には厳しい村やけど、こっちが物乞いやから警戒が緩んだんやろか。するすると蛇ヶ森の前まで行けたんよ」


 容姿があまりに変わりすぎている。戸沢みさをだと気づいた村人はいなかっただろう。


「この森の奥に行けば、はるに会える――。辛抱たまらんなって、森に入ろうとしたら、たちまち若い衆に囲まれてな。それから……蛇好神社の神主もおった」

「泉久葉か……」

「あの神社はほんまにいかがわしいわ。あたしがまだ村にいたころは父親の葉蔵が神主やったけど、村の者を言葉巧みに操って……。息子の代になっても変わっとらんのか」

「どういうことだい?」

「若い衆を使って、あたしを殴る蹴るさせたんよ。『禁足地に入ろうとする不届きものを懲らしめろ』いうてな」


 まさに、喉から手が出るほど欲しかった証言だ。閉鎖的な村の支配構造の頂点に、泉家がいる――。みさをは、それを言っているのだ。


「若い衆のなかには、大野さんとこの清兵衛がおったわ」

「清兵衛……?」

「はるは面倒見よくてなぁ。涼風さんとこのお嬢さんとか、清兵衛とか可愛がっとったのに……」


(琴音さんのことだな)


「その清兵衛が、あたしやと気づかんと蹴ってきよった。あまりに惨めやったで。蛇皮川にかかる橋のとこに打ち捨てられて、這うようにして桜町に戻ったんや」


 言い終えると、みさをは微笑んだ。


「お医者さまに怪我を治してもろて、また村に戻るで。あそこには、はるがいるんやから……」

「安心しろ。今度は、私もついて行ってやろう。誰にもあんたに手出しはさせん」

「おおきに。おまえさん、強そうやもんなぁ。心強いわ……」


 みさをは視線を天井に向けると、いまにも折れそうなほど細い腕を伸ばした。

 その手は、天井ではなく、果てしない夜空を掴もうとしている。

 ふいに箒星が現れた。その長い尾に乗っているのは、可憐な娘だ。きっと戸沢はるだろう。


「すぐ会いに行くからな。お父ちゃんといっしょに……」


 不吉なハレー彗星であっても、その願いを叶えてくれるだろうか。

 いや、叶っただろう。

 刹那ではあったが、幻十郎は見た。

 親子三人、仲睦まじく夜空を駆けていくのを――。



   ◆



 四月十八日、月曜日――。


 朝から青々とした空のもと、琴音は風を受けていた。

 艶やかな髪がそよぎ、真っ赤なリボンがゆれる。海老茶の袴も大きく膨らむ。


 琴音は父から借りた自転車を漕いでいた。

 いつもは人力車で運ばれていくだけだった畦道を、自らの足を動かして進んでいく。こちらのほうが気楽で、よほど性に合っている。


 本来なら爽やかな女学校までの道行きも、気持ちは沈み込んだままだ。


(まだ完全には決心がついていないのかしら)


 今日の帰り、地蔵堂の前で自分は神隠しに遭う。そして蛇神への捧げものになる。

 すべては由松のため。もう覚悟は決めたはずだ。……なのに。

 このままどこか遠くまで漕いでいきたい衝動にかられる。


「琴音お嬢さま! おはようございます!」


 田圃で作業している村人たちが、いつもより元気よく挨拶してくる。琴音の心の内の逡巡(しゅんじゅん)を読んだわけでもあるまいが。

 誰も、琴音が人力車に乗っていないことには触れてこない。はなから車夫の栄八は存在しなかったかのように……。


 琴音も笑顔で挨拶を返しながら、自転車を走らせる。

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