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凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
十章 忌まわしき因習

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第四十四話 疑念

 鬱蒼とした蛇ヶ森の前を通るときは、なるべく森を見ないようにした。あとで嫌でも入って行かねばならぬ森だ。


 しばらく進むと、蛇好神社に続く長い階段が見えてきた。いつもの癖だろう。頂上の鳥居を見上げたが、祝詞を捧げているはずの久葉たちがいない。琴音の胸に、暗い不安が広がる。


 視線を前に戻した琴音は、ぎょっとしてハンドル操作を誤りかけた。久葉と香世、沙世はなぜか、階段の最下段の前に立っていたのだ。


「これはこれは、琴音さま」


 久葉は朗らかに声をかけてきた。


「おはようございます。いい天気やねえ」


 その声には、素通りを許さない強い力がこめられている。琴音は自然と自転車を止めていた。


「おはようございます、皆さま」


 琴音はぎこちない笑みを浮かべて三人に挨拶したが、久葉を挟んでいる双子の姉妹は相変わらず無表情で、押し黙ったままだ。


「今日は自転車ですか。ああ、栄八さんは怪我して入院してるんやったね。大変ですなあ」

「ええ……」


(どの口がそれを……)


 自ずと、琴音の眼差しは鋭くなる。


 いま、確信できた。女学校の校舎で襲ってきた式神が発した声は、やはり久葉のものであると――。

 それに琴音が勘づいていることや、軍人に話してしまったこと。久葉が気づいていないわけがない。それでも素知らぬ風情で話しかけてくる薄気味悪さに総毛立つ。


「ああ、ご存知ですかね。大野さんとこの清兵衛が村を出たそうで……」

「えっ、清兵衛さんが!?」

「農作業が嫌になったんやろか。最近の若い男は堪(こら)え性がありませんからな」


 そんなはずはない。清兵衛は働き者だ。いきなり何もかも放りだして出奔するのは不自然だ。


「まあ、男が消えても騒ぎにはなりませんが、年若い娘さんが消えたら、そうもいきませんわ。……よう決心してくれはりましたな」

「はあ……」

「蛇神さまもお喜びですよ、琴音さん」


 ここで初めて香世が口を開いた。続いて、妹の沙世が説明する。


「琴音さんには、二日間、神社で精進(しょうじん)潔斎(けっさい)していただきます。身も心も清め、蛇神さまにお会いする準備をするのです。私と香世でお手伝いしますから、何なりと申しつけてください」


 二人の優美な容姿は見分けがつかぬほどにそっくりだ。いつも香世は赤い花簪、沙世は青い花簪をつけているので、かろうじて間違えずに済むのだが。


「……わかりました」


 琴音がうなずくと、久葉は恍惚の表情で呟く。


「つまりは二十日の夜――不吉な箒星が最接近する瞬間に、貴女は蛇神さまに捧げられます。なんとも奇縁なことですなぁ」


 久葉は黒い霧を発してはいない。


(どうして、この男にかぎって見えないのかしら……?)


 吐き気を催すほどの嫌悪を覚える男だというのに……。琴音の異能を跳ね返すほどに、この男の呪力は強いのか。心の奥底に封じ込めた悪意は如何(いか)ばかりか。

 そして何故、この男が蛇神と意志疎通できるのか。泉家の血筋とはいえ……だ。


 一刻も早く久葉から離れたかった。


「あの……」


 ハンドルを握りなおした琴音を見て、久葉は気品のある顔に人工的な笑みを張りつける。


「長々と呼び止めてすんませんなぁ。ほな、行ってらっしゃい」

「行ってまいります……」


 ペダルを漕ごうとした琴音だが、ふいに左側から「琴音さん」と声をかけられ、身体を仰け反らせた。


 香世が立っていた。久葉たちは琴音の右側にいたはずなのに……。久葉と目を合わせているときも、両隣の香世と沙世は視界の端に捉えていた。一瞬で、自転車と琴音の身体の向こう側に移動したのか。


「肩に塵(ごみ)がついておりますよ」


 香世は琴音の左肩をはらった。髪に挿した赤い花簪が微かにゆれる。


「あ、ありがとう存じます……」


 香世と至近距離で向きあったのは初めてだが、女の琴音でさえうっとりするほどに美しい。だが、その瞳には何ら感情を映してはいない。まるで人形のようだ。沙世も同様であろうが。


 そして、栄八も同じ目をしてはいなかったか。


(まさか、自分の妹たちも式神に造り替えた……?)


 恐ろしい疑念を抱えたまま、琴音はふたたび自転車を走らせた。

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