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凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
五章 従順な執事

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第十九話 露草書房

 幻十郎としては、大いに不満であったのだが……。


 帝都の特務第四小隊から無線で指示があり、幻十郎は能登少尉と組んで、蛇ノ目村について情報を集めることになった。


 ――能登少尉は帝都の呉服屋の三男坊、八神中尉はその執事として行動を共にせよ。


 その指示に、幻十郎はため息が出た。


「隊長め、楽しんでるな……」


 ほくそ笑んでいる第四小隊の隊長・有馬(ありま)仁(じん)の顔が思い浮かぶ。


 有馬は二十七歳で、階級は少佐だ。平隊員であったころ、悪しきあやかしの討伐任務の際に左目を負傷して失明した。今はその左目を、厳(いか)めしい眼帯で覆っている。任務となると言動は荒っぽくなるが、情に厚い一面があり、部下からの信頼を集めている。

 幻十郎たち別働隊の者に対しても、本隊と分け隔てなく接する男だ。


 第二小隊の成田曹長らから蛇ノ目村の調査を引き継いだあと、幻十郎は能登と軽く打ち合わせた。諜報活動の方針や偽名を決めると、

「じゃあ、これから暫(しばら)くは八神のことを菊地と呼ぶからな。ご主人さまに忠実で、口答えを一切しない従順な執事という設定でよろしく頼むよ。今回は〝変化〟する必要もなかろう」

 と茶化すように言った能登は、口笛を吹きつつ旧都の繁華街に消えた。活動費が支給されたので、お互いに扮装を用意することになったのだ。能登は呉服屋で値の張る着物を仕立てるだろう。


「私は……執事なら洋装だな」


 洋服店で背広一式をあつらえると、寸法直しに数時間かかるとのことで、繁華街の店をいくつか冷やかす。

 それでもなかなか時間は潰れない。


「行ってみるか……」


 旧都になったとはいえ、廃(すた)れてしまったわけではない。市街地は、帝都の銀座あたりと比べても遜色(そんしょく)ない華やぎである。


「凶星がやってくる! この世の終わりや! 助かりたかったら、これを肌身離さず持っとかなあきまへん!」


 ハレー彗星の騒動に便乗して、おかしげなお守りを売りつけようという魂胆だろう。胡散臭い男が街頭で声を張りあげているが、真剣に耳を傾けている者もいる。

 その中には、あやかしも混じっていた。もちろん悪意を持たず、ただそこに立っているだけだが、幻十郎にしか見えていない。


 不吉な箒星がやってきたあと、この世が破滅する行く末を見通せるというなら、何故に目の前のあやかしが見えぬのか。


 幻十郎は人混みをすり抜けて、一軒の古本屋にたどり着いた。


 ――露草(つゆくさ)書房


 建物は古めかしいが、掛かっている看板はまだ新しい。

 やや躊躇(ためら)ったあと、幻十郎は店に足を踏み入れた。古い書物特有の匂いが鼻先にただよってくる。

 店内は狭苦しい印象だが、蔵書の数はそれなりで、きちんと整理されて書棚に並べられている。店主の几帳面な性格がうかがえる。


 先客が二人いて、詰襟の男子学生が洋書を、初老の男が詩歌集を、それぞれ熱心に読んでいる。

 幻十郎は二人に紛れるようにして、適当に手に取った小説を読む振りをした。そして、ちらりと奥を見やる。

 奥まった帳場に鎮座(ちんざ)している店主は、眼鏡をかけた痩身(そうしん)の若い男だ。手元の書物に目を落としたまま、仏像のように動かない。


(ずいぶんと痩せてしまったな)


 店主は、幻十郎のよく知る男である。

 初老の男が何も買わずに店を出たあと、男子学生が洋書を買っていくと、店内は店主と幻十郎の二人だけになった。

 しばらく沈黙が続いて……。


「いつまで客の振りをしてるつもりだ」


 冷たい声色に、どこか呆れと、幾分の気安さと。


「気づいていましたか」


 幻十郎は苦笑して、本を手にしたまま、店主――八神啓治(けいじ)に近づいた。


「久しぶりですね、兄さん」


 幻十郎が声をかけても、啓治は短く「ああ」と応じただけだ。


「元気そうじゃないですか。店も繁盛してるよう……とまでは言えないか」

「ハレー彗星の騒動のせいだ。街中が浮ついてるよ、まったく。読書どころじゃないんだろう。商売あがったりだ」

「それはそれは……店にとっても凶星ってわけですね」

「そんなことより、書生にでも化けてるのか?」


 幻十郎の身なりを見て、啓治は皮肉めいた調子で尋ねる。


「いや……そういうわけじゃないんですが……」


 言いつつ、幻十郎は二階へと続く階段に視線を送った。


「義姉(ねえ)さんはいますか? 挨拶しておきたくて……」

「ああ……春子は身重でな。田舎に帰しているんだ」

「そいつはめでたい!」


 啓治の固かった表情も、ようやく緩む。


「産まれる頃に、店を休みにして迎えに行くことになってる」

「すぐに母さんに電報を打ちます。知ったら大喜びでしょう。父さんも……」

「そいつはどうだかな」

「喜びますとも。初孫じゃないですか」


 幻十郎は言いつつも、父が喜ぶ姿は想像できなかった。

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