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分水嶺〜群馬の片田舎〜  作者: 木村空流樹


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52 あやめの分水嶺

「かあさん。仕出しの弁当の最終確認が来たよ」


 待合室のおばあちゃんの親戚に挨拶をしている母にあやめは話掛けた。


「えっ、もうそんな時間?」


 母は慌てて葬儀場の玄関に向かった。


 あやめは受け付けを任されている。おばあちゃんの友達がいっぱい来ている。もう既に待合室は座る席がない。


「あやめちゃんだべ?薬玉さんから聞いてるだべよ。大きくなってて可愛い子だべな……。最後は側に居てやったんだべ?いい子だべな……」


 おばあちゃんの友達は年齢が若い。一番年上がおばあちゃんだったのだろう。


「薬玉さんはあやめちゃんとやすこさんを心配してただべよ……」


 訪問者はハンカチで涙を拭っている。


 群馬の知り合いは皆知り合いで顔見知りだった。群馬の人は手を振りながら挨拶をしている。


「恐れ入ります。こちらにお名前を……」


 字が大きく書かれた弔問書を見ながら、おばちゃんの友達が連なっている。


 群馬で知らないおばあちゃんの日常だった。

 おばあちゃんは幸せだったのだろう。


 遠くから喪服ではない父が歩いてくる。


「あやめ……。やすこの実家に行ったら、葬儀場だって聞いて……。こんな時ぐらい話してくれてもいいじゃないか……。とおさんなんて背広のまま来ちゃったよ……」


 あやめの父が受付に立っている。


「もう話す事じゃないから……。」


 あやめは声を飲み込んだ。


 この時が自分の分水嶺だと思った。とおさんとかあさんどちらを選ぶか……。どちらと生活するか……。どちらの言葉を信じるか……。


「俺にだって関係してるだろ?やすこの母親何だから……」


「もう関係ないよ。とうさん……。私はかあさんと共に生きる。これまでと同じく養育費をかあさんに渡して下さい。これは娘としての権利だから……。とおさんの裏切りを許す事は出来ない……」


「待ってくれ。やすこにだって悪い所があるんだ。俺だけが加害者じゃないんだよ……」


「帰って……。おばあちゃんに会わせたくない!」


 母が慌てて受付に来て、父の腕を引っ張った。道路の奥まで引っ張って行く。


「あなた……。なにしに来たの?」


 母の言葉は聞こえなくなった。父と母は喧嘩していると遠目に見て分かった。


 あやめは受け付けに戻った。

 とおさんの常識の無さに呆れた。もう関係が壊れている家庭で父は何を守ろうとしているのか?あやめには分からなかった。


 耳元でカンカンカンカンと鳴る。


 ああ、おばあちゃんも応援してくれていると思った。あやめのせいではない。父が浮気した事は、父の責任である。それを母とあやめが悪いと言う父の無神経さを恨んだ。


 一匹のとんぼが目の前を旋回する。


 あやめの手に止まると、あやめの顔を見るようにじっと止まっている。


 心配はいらない。とまた頭の上を旋回し、手に止まった。

 三度同じ行動をする。


 母に加勢するように母の方へ飛んで行き、二人の頭の上を旋回していた。


「おばあちゃん……?」


 あやめには姿を変えておばあちゃんが助けに来てる気がする。


 だって、あやめを見ていた。


 とんぼが出て来てから、父と母は落ち着いて話をしているようだった。


 母が帰って来る。


「帰ってもらったわ……。調停以外では会う事は拒否してきたから……」


 あやめは安心して頷いた。


 後ろからおばあちゃんのお友達が顔を出した。


「やっとやすこさん決心が付いたのね?薬玉さんも喜ぶわよ。やすこさんが群馬に帰って来るのを心待ちにしてたから……。」


「母はどこまで話されているんですか?」


「噂はね。どこにでもあるのよ。それにこんな事、私達の時代には当たり前だったんだから、大丈夫よ。」


「やすこさんが頑張ってるの知ってるだへ。小さい頃から我慢強い子だったべね。だから、気にする事じゃないべ」


「もっと凄い事なんていくらでもいるべ。皆話さないだけだべ」


「大丈夫だべ」

「大丈夫だべ」


「ご心配をお掛けします……」


 おばあちゃんの親戚が近付いてくる。


「事情は知らないけど、やすこちゃん達が帰ってくるなら我々も手助けするよ。家の修繕も材料費だけでやるからさ……。おばあちゃんにも言ってたんだけど、良いって言ってたんだよね。もっと強く言えば良かったよ」


 親戚のおじさんが泣いていた。


「皆、二人を歓迎するだべ」

「大丈夫だべ」


 おばあちゃん達は口々に声を揃えた。


 母の肩にはあのトンボが止まっている。頭を頷くように動かしていた。

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