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ブランクアームズ -BloodRhizome-  作者: 秋久 麻衣
-冬の先に行こう-
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二人の季節


 氷の重装、《ブリードウィンター》は一歩二歩と歩み寄ってくる。それだけで充分なのだ。レリクトを凌駕するのはレリクトのみ。そして、あの冬は現存するレリクトの中で最上位の存在だ。

 近付いただけで、否。近付かずとも、その勢力は拡大し……いずれ世界すらも凍らせる。

 《ブレスデイズ》レリクスは下がらない。いや、下がれないのだろう。外装の各所には霜が降り、凍り付きつつあるからだ。

「立ち回りと技だけで俺を圧倒するのは大したものだが。俺の本質はこれだ。この冬を前にして、一体何が出来る?」

 最早これは攻撃ではない。ただの災害だ。リンは何も言わず、必死に耐えていた。

 《ブリードウィンター》は歩き続ける。近付く度に冷気の圧は増し、《ブレスデイズ》が凍り付いていく。

「冬は……止められないんだよ」

 止まるわけにはいかない、止まってたまるかと、氷怨の唯は言い続けてきた。それはきっと本心からだろうが、それが全てではないと、今なら分かる気がする。

 止められない。迫り来る冬を前にして、その冷たい季節をただ受け入れることしか出来ない。

「……それは、そうでしょ。だって」

 リンが口を開く。

「冬は止める為にあるんじゃない。越えていくものだと思うから」

 死を連想するほどの寒さを前にして、それでもリンは力強く答える。

 同時に《ブレスデイズ》の外装、灰結晶の軽装が煌々と輝く。耳飾りが特徴的なヘルム、胸当てに肩鎧、小手に腰布、脛当て……それら全てが、真っ赤な極光に満ちていく。

 ああ、リンの炎だと唯はその本質を見抜く。理不尽と不条理を、死と怒りを知って尚、それでも平凡と日常を愛した人の、純粋な感情。

 そうだ。君は君だから、その道を行くんだ。

「唯。一瞬だけでもいい。私と一緒に」

 炎は消えない。輝く灰結晶の軽装が、《ブレスデイズ》の氷を溶かす。

「冬の先に行こう」

 《ブレスデイズ》が走り出す。冷気の圧をものともせずに、それが当然のように駆け出していく。

 冬が焼け落ちることはない。ただ陽光に照らされ、ゆっくりと土草に染み込んでいくように、《ブレスデイズ》の道を開けていく。

「な……出力は、いや、そもそもこのレリクトは!」

 氷怨の唯は、《ブリードウィンター》は狼狽える。

「凌駕出来る筈がない、何故だ!」

 氷怨の唯は疑問を口にする。それもそうだろう。《ブレスデイズ》は強力なレリクスではない。出力で言えば《ブランク》よりマシといった具合であり、《バーンデッド》や《ブラスデッド》には到底及ばない。その《バーンデッド》の炎すら、冬を焼き払えなかった。

 その《ブレスデイズ》が、冬などものともせずに駆け寄ってくる。氷怨の唯からすれば、それこそ理不尽と不条理が満載の光景だろう。

 だが、他でもない唯は分かっていた。リンの炎は今この瞬間、怒りに満ちてはいない。

 《バーンデッド》の炎が、理不尽や不条理に立ち向かう怒りの炎ならば。

 《ブレスデイズ》の炎は、平凡と日常を愛す慈愛の陽光だ。

「構えなさい、唯」

 走りながら、《ブレスデイズ》は右義手型アームドレイターにレリクト・シェルを装填し、フォアエンドをスライドする。

「く……!」

 《ブリードウィンター》も走り出す。レリクト・シェルを鷲掴みにし、幾つか零れようとも構わずそれを機械の顎に放り、咀嚼する。

「それでも、俺は! らああああッ!」

 冷気の圧が増す。全身の冬を右手の拳に集約させながら、《ブリードウィンター》は一直線に駆ける

「貴方の手は」

 《ブレスデイズ》もまた一直線に駆ける。右手の拳に、レリクトが集約していく。

「私が掴むよ」

 二騎が交わる。《ブリードウィンター》は右ストレートを放ち、《ブレスデイズ》もまた右ストレートを放った……かに見えた。

「な、にを」

 氷怨の唯が呟く。《ブレスデイズ》は《ブリードウィンター》の右ストレート、その拳を右の手の平で受けていた。防御、ではない。ただ受け止め、そっと握り締める。

「さ、一緒に」

 《ブレスデイズ》は左の手の平を伸ばし、両手で《ブリードウィンター》の拳を包む。

「冬の先へ、行こう」

 《ブレスデイズ》の外装が、灰結晶の軽装が。一際強く発光する。

 その極光は《ブリードウィンター》すら巻き込み、広がっていく。

 冬が凍り付いていく。いや、極光を携えた灰結晶が、冬を絡め取っていく。

 それらは混ざり合い、溶け合い、二騎を中心に据えた蕾へと姿を変える。

 季節の移ろいが止められないのと同じように。

 蕾もまた、そうあるのが当然のように咲き誇る。

 灰結晶の花弁が開く。冬の冷たさは、もうどこにもない。巨大な灰結晶の花は、陽光に照らされて霧散、燐光の花びらとなって降り注ぐ。

 二騎の外装もまた、燐光の花びらとなって空を舞っていた。







 膝を付く音が響く。氷怨の唯が、両膝を付いたのだ。彼の右義手型アームドレイターが、朽ち果てるように外れ、砕ける。

 唯は黙ったまま、最果てへと辿り着いた自分を見据える。リンは深く息を吐くと、氷怨の唯に合わせてしゃがみ込む。

「……やっぱり、リンには。敵わないな」

 目を伏せたまま、氷怨の唯はそう呟く。リンは氷怨の唯の頬に……機械に置き換わってしまった場所に触れ、顔を上げさせる。

「当たり前でしょ。忘れてるかも知れないけど、私は貴方よりも年上なの」

 いえ、とリンは苦笑する。

「生きてきた年月を加味すれば、今は貴方の方が年上なのかしら」

 しかし、氷怨の唯は小さく首を横に振る。

「いや……俺はずっとあの冬にいた。たぶんきっと、それは。生きてきた、とは言えない」

 小さな声で、氷怨の唯はそう言う。仲間を全て失い、それでも戦い続ける道を選んだ時に。彼の時間は、そこで止まってしまったのだろうか。

「そう、かしら」

「そう、だと知ってる」

 がくり、と氷怨の唯の身体が沈む。倒れた訳ではない。付いた膝が、足が、地面に埋まっていくのだ。地面はノイズが走るように揺れ、明滅している。

 リンは手を離し、この世のものではない裂け目から一歩離れる。

「……こうも分かりやすいのか。次元の、狭間だ。負けたと感じさせられた。それだけなのにな」

 そう言っている間にも、氷怨の唯は次元に沈んでいく。理屈は分からない。だが、肌で感じるのだ。

 彼は負けた。繰り返してきた時間の連なりは、到底一人の人間に成し遂げられることではない。それを可能としたのは、狂人にも等しい強靱な意志……だが、彼は負けた。負けたと感じてしまった。

 強靱な意志は砕け、ただの片羽唯がそこに残る。これは、きっとそれだけの話なのだ。

 氷怨の唯は、リンをじっと見据える。

「命ってのは、重いな。みんなの命は、あまりにも。俺には重すぎた」

「私は。命の本当の重さを知ってる」

 リンは言葉を続ける。

「凄く軽いの。命に重さなんてないんだよ。命は空気と一緒で。生きていくのに必要で、大事だけど。どうしようもなく軽いんだ」

 リンは一歩踏み出す。次元の裂け目を踏まないように近づける限界まで近づき、しゃがみ込んだ。

「ならどうして、命は重いなんて勘違いを、貴方はするのか。どうしてだと思う?」

 氷怨の唯は、力無く首を横に振る。考えも付かない、という意味だろう。

「貴方が抱えてくれたから、私達の命は重くなった。捨てずに、最期まで持っていてくれたから」

 リンは目一杯手を伸ばす。次元の裂け目に阻まれても尚、その小さな指が機械の頬に触れる。

「もういいんだよ。がんばったね」

 風が吹く。灰結晶の花びら、その燐光が、空に吹き上げられて消えていく。

 風の先を、ここにいる誰もが見上げる。

 その時、青空の向こう側に。見知った流星が煌めいた。遠く離れていても分かる。あれは、エイト達の流星だ。彼等も勝利を手にしたのだろう。まだ少し時間は掛かるだろうが、流星はきっとここへ辿り着く。

 それが、もう一人の唯にも分かったのだろう。張り詰めていた糸、最後の一つは。その流星によって解き放たれた。

 もう一人の唯が、僅かであっても笑い、呟く。

「……春の空か」 

「ええ。おやすみなさい」

 リンは立ち上がり、一歩二歩と下がっていく。

 もう一人の唯はただ目を閉じる。そのまま、されるがままに沈んでいく。

 やがて彼の身体は、次元の狭間へと完全に落ちていった。空間の歪みが、ノイズがかき消えていく。

 地面にあったはずの裂け目は、もうどこにもない。

 空を見上げる。そこにはまだ、灰結晶の花びらが、太陽の光を受け煌めいているように見えた。

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