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ブランクアームズ -BloodRhizome-  作者: 秋久 麻衣
-冬の先に行こう-
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君の我儘


 混乱の跡が色濃く残った街を、唯とリンは歩く。通りの向こうから見えた人影に、唯は手を挙げて挨拶をする。

 同じように手を挙げたエイトと視線を交わしながら、二組のチームは合流を果たした。

「無事、終わったようだな」

「そっちこそ。ほんと大変だったけど」

 エイトの言葉に、唯はそう返す。もっとも、そんなことはわざわざ言わなくても分かるだろう。何せ、お互い満身創痍といった様相だ。

「目的は達成、といった感じですね。ですが、あのドクターの確保には失敗しました。まあ、普通にそれどころじゃなかったので」

 元凶となったドクターのことだろう。実際の所、確保しても仕方がないだろう。縛って冷凍庫に入れる訳にもいかない。

 みんなで並んで歩きながら、思い思いに口を開く。

「《ディメンシャード》は宇宙で完全に粉砕した。類似品を作るには、相当手間が掛かるらしい。しばらくは安泰と言える」

「宇宙! 見た見た、エイトが打ち上げロケットみたいに上がってくの見たよ!」

 エイトの報告に、唯はそう返す。

「さすがエイトというか。普通宇宙で戦ったりしないもんな」

「……いや。宇宙で戦った経験なら、君が一番最初に体験しているが?」

「……あー、確かに。成り行きだけど」

 以前、プラトーの人工衛星を叩き落とす為に、宇宙へ行ったことはある。

 唯とエイトがそんなことを話している横で、ゼロがリンに問う。

「で? ちゃんと出来たの?」

「何とかね。ボコボコにして分からせた」

 愉快そうにゼロは笑う。

「それはいいね。うん。分かりやすくていい」

 四人がそれぞれの話をする中、車椅子に座る緑が携帯端末を眺めている。車椅子を押す光が、その画面を覗き込む。

「緑ねえ、それ発信器のやつ?」

 うん、と緑は返事をする。氷怨の唯、その左腕に仕込んだ発信器だ。

 座標はどこも示していない。完全に、この世界から消失してしまった。

「……お疲れさまです、唯さん」

 端末を仕舞いながら、緑は小さな声でもう一人の唯に別れを告げる。

「あ」

「あら」

 唯とリンが声を上げ、立ち止まる。唯の左義手が発光したかと思うと、その燐光が空に打ち上がったのだ。

 左義手がだらりと下がる。理由は分かっていた。

「……助かったよ、エル。またな」

 光の帯に向かって、唯は礼を言う。

 青空の下でも、その流星は眩しく長く、どこまでも棚引いて見える。

 それらが消えてしまうまで唯は、みんなはずっと空の向こうを眺めていた。







 その研究室は彼個人の物であり、人の出入りは殆どない。プラトーの施設とはまた違った箇所に建設されたそれは、数少ない彼の秘密基地だった。

「《ディメンシャード》は完全に損失。想定通り、次元干渉網はその機能を失った。加えて」

 男は端末を操作する。表情に乏しい彼はいつもの平坦な感情そのままといった様子だが。彼を良く知る者が見れば、言葉の端々に期待と興奮が見て取れるだろう。

「血と氷のレリクスも姿を消した。撃破されたと見ていいだろう。次元の歪みも、標準値に戻っている」

 つまり、いつもと同じ状態になった。だが。

「貴重な実例だった。今すぐには無理だろう。だが、いずれ。次元さえ普遍的な成果物となる」

 その時のことを思い、男は身震いする。身震いして初めて、男は顔をしかめた。

 息が白く染まる。

「あー、まったく」

 自分のものではない、掠れた声が部屋の隅から聞こえる。

 白い息を吐き出しながら、男は声のする方へと歩いていく。酷く寒いのか、身体が震える。

「最期ぐらい……もう一度空を見たいなと思った矢先にこれか。白い壁に白い天井、ある意味相応しいな」

 部屋の隅、机の影……そこには、崩れかけた男がいた。それはまるで、四肢の砕けた氷像だ。

「血と氷の……レリクス」

 ドクターは目を見開く。見間違える筈もない。

「……誰かいるのか? もう耳もろくに聞こえない。喋るのもそろそろ限界だろうな。忠告しておく」

 ドクターは無意識の内に、自身の身体を押さえるように抱き留めていた。寒くて身体が震える。

「死にたくなければ必死に逃げろ。生き物っていうのは。みんなそうやって生きてる」

 聞くまでもなく、ドクターは踵を返し出口へと走る。寒いのではなく痛いのだ。危機に晒された命が、生きる為に動くよう脳に命じた。

 しかし、ドクターはあろうことか転倒してしまった。部屋は整理されている。躓く物などありはしない。足下を見て、ドクターはその理由を知った。足首から先が凍り付き、そこに転がっていた。

「ふ……ふううう!」

 両手を駆使し、ドクターは床を這う。そうこうしている内に、凍り付いた手の平が地面から離れなくなった。無理矢理引くと、ガラス細工のように手の平が床に残った。

「う……ふうう!」

 吐いた息が吐いた端から凍り、眼球に霜が降りる。霜は冷気を吸い上げて拡大し、眼球の表面を占有してしまう。

 喉も同じ運命を辿った。霜を除去しなければという一心で無事な方の手を口の中に突っ込むも、そこで手は固着してしまい、引き出そうとして口の中に手の平が残った。

 尚ももがくも、その度に身体の端々が砕けていく。やがてその抵抗もなくなり、四肢を失い、口に手の平を頬張った遺体だけが出来上がった。

 ああ、と氷怨の唯は呟く。耳は聞こえず、視界も歪み、声もうまく出せない。だがそれでも、命を奪ったことは分かった。

 最後に空を見ていたいと考えただけで、人死にが出るとは。なるほど度し難いなと唯は内心で嘲う。

 だが、それももう終わる。この心臓が完全に凍り、砕けたその瞬間。長かった冬は終わる。

 そして、その瞬間はもうすぐそこまで来ている。

 唯は左腕のロボットアームを駆動させ自身の胸にあてがう。これだけが、最後まで残ってくれた。

「み……どり。かぞく、と」

 幸せに。声はノイズと共にかき消える。喉の機能が破壊されたのだ。

 視界も暗闇に包まれる。音はとっくに聞こえなくなっていた。だが、自分が少しずつ凍り、砕け、小さくなっていくのは分かる。

 怖くはない。自分が、散々他人に押しつけてきたことだ。

 むしろこれでいい。そうでなければ釣り合いが取れない。この冬に縋り、この冬で命を奪った。そんな自分が、春の日溜まりで死ぬ方が理不尽だろう。

 だからこれでいい。顔は、もうどうなっているのか分からない。冬が、人工心臓の端にようやく届いた。何もかも静かだ。

 ふと、何も見えない筈なのに。聞こえない筈なのに、唯はその燐光を見て、音を感じた。

 灰色の燐光が手を伸ばす。手などとうになくなっている筈なのに、唯は思わず左手を伸ばす。

 だが、と唯は手を引っ込める。違うのだ。自分はもう、その手を握り返せるような人間じゃない。

 冬の冷たさが世界を覆う。そうだ。この末路こそ自分に。

 そう考えた刹那、小さな手が強引にこちらの左手を掴んだ。冬の中にあっては、あまりにも微かで頼りない手は。とても小さく、だというのに温かい。

「我が儘が言えて良かった、嬉しかったって、私言ったけど」

 灰色の燐光が強引に手を引く。

「我が儘は叶えた時が一番嬉しい! だから!」

 ああ、君はいつだって。

「私のいきたい方に、貴方も行くの!」

 心臓が砕け、意思が消える。氷怨の唯だった固まりは音を立てて砕け、小さな氷となって床に散らばる。

 やがて部屋を支配していた冷気は消え、空調が正常に稼働し始めた。

 氷は溶けて水となり、何事もなかったかのように床を濡らす。

 ただ一つ、異常があるとすれば。

 部屋の中心で四肢を失い、手を食らっている哀れな遺体のみだろう。







 ブランクアームズ -BloodRhizome- 了







遠い道の先で

君の望む日常に辿り着けますように

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