第7話 幼少期の不思議な体験
私が生まれたのは昭和46年の5月。
いわゆる団塊ジュニア世代の真っただ中だった。
多くの子供が生まれるあの時代。
私も例にもれず、多くの同級生がいる世代だった。
生まれたのは横浜の金沢文庫と言う場所らしい。
今おっさんの私はすっかり信州人ではあるが。
第2話でも触れたが…
私の父親は引っ越し魔。
どうやらそこには数か月しか滞在していなかったらしい。
そして私の中にある遠い記憶。
恐らく2歳のころ。
私は横浜市戸塚区で暮らしていた。
『通信帯』と言う、米軍の施設があった私の家のあった場所。
今思えば。
あそこは“横浜”とはいえかなり田舎だった。
まだまだ開発の手が入りきらず、近くには戦争時に掘られた防空壕があったはずだし、いくつもの雑木林があった記憶がある。
そして途中の記憶は年齢とともに消えたものの、一つだけ不可思議な記憶が私の中に残されていた。
2歳になったばかりの夏の日。
その日。
私は迷子になっていた。
一緒に遊んでいたはずの5歳年上の兄が泣きながら母親に告げていたらしい。
まだ2歳の幼児。
一人でそう遠くには行けないはずだった。
なのに私は自宅から10キロ以上離れた国道沿いの酒屋に保護されていた。
そして。
私の脳裏には。
凄まじく美しい、着物を着た2人の女性と手をつなぎ、歩いていた情景がこびりついていた。
※※※※※
私が迷子になった場所。
――禿げ山。
子供たちの遊び場となっていた住宅街の端にあった低い山だ。
そこから私が発見された国道沿いの酒屋までおよそ10キロ。
大きな川。
断絶された道。
正直たどり着くことは不可能だった。
兄の記憶が確かなら。
私が居なくなったのは午前11時。
そして私が発見され、家へ電話が来たのが午後2時。
どうやって、電話番号とか分かったのだろうか?
当然だが私には記憶なんて残ってない。
本当に不思議な話だ。
しかも私は裸足だったらしい。
何故かほとんど汚れていなかったそうだ。
とりとめのない話。
もしかしたら全部夢なのかもしれない。
でも。
あの手をつないでくれた、何故か美しい着物の二人の女性。
一体彼女たちは何だったのだろう?
幽霊?
精霊?
何はともあれ。
きっと私はあの時。
大きな分岐点に立たされていたのかもしれない。
もしかしたらあの時終わっていたかもしれない我が人生。
続いている事。
“感謝の念”は確かにあるのですよ。
ありがとう。
キレイなお姉さんたち。
※※※※※
確か戸塚には小学1年生まで住んでいました。
あの時のことが強烈で。
他の記憶、ほとんどないけどね?
と言うか普通。
皆さんは子供のころの記憶、あるのだろうか?
何はともあれ。
父の悪癖と言うか病気?
発動する引っ越し魔。
2年生になるタイミング。
私は寒川町へと引っ越したのでした。




