光の翼、闇を超えて③
リリアの右脚には紫黒の魔力が纏わりついていた。
しなやかな脚から繰り出された蹴りが、三本の闇剣をまとめて薙ぎ払う。
火花が弾け、激しい衝撃が周囲へと広がった。
闇剣の軌道が大きく逸れ、ヴァルギルスが忌々しげに舌打ちする。
「……リリア」
思わず、その名が口をついて出た。
彼女の瞳は決然と前を見据え、こちらを振り返ることなく我の前に立つ。
「アビス様を……これ以上一人で戦わせるわけにはいかない!」
燃え盛る炎の中、二人のサキュバスが並び立つ。
「ふん……わざわざ殺されに来たか」
ヴァルギルスが低く嘲る。
闇に濁った声が戦場に響くが、リリアは一歩も退かない。
「必ずカケルを取り戻してみせる!」
その声に、我の胸がわずかに揺らぐ。
恐怖も迷いもなく、ただ一途にカケルを想う強さ。
それは、魔王たる我でさえ容易く持ち得ぬものであった。
リリアが地を蹴る。
右脚に紫黒の魔力を纏わせ、ヴァルギルスの振るう刃を蹴り上げた。
勢いを殺さぬまま、リリアはさらに踏み込む。
「行くわよ!」
叫びと共に、リリアの身体から奔流のような魔力が溢れ出した。
その魔力が形を成し、二つの人影へと収束していく。
――現れたのは、実体を持つ二人のリリア。
三人のリリアが同時に踏み込み、蹴撃と掌底を嵐のように叩き込む。
分身たちの蹴りも本体と変わらぬ重みを持ち、ヴァルギルスの振るう闇剣を弾き返していく。
猛攻を前に、ヴァルギルスの眉がわずかに歪む。
「……!」
我も剣を構え、リリアの隣へと踏み込んだ。
三人のリリアが三方から攻め立て、我がその隙を補う。
闇剣と拳を振るうヴァルギルスを相手に、四人での攻防が始まった。
だが、奴の力は凄まじい。
三本の闇剣が唸りを上げ、拳が大地を砕く。
さらに周囲からは魔獣の群れまでもが襲い掛かり、息をつく暇すら与えられぬ。
分身たちも次々と斬撃に晒され、その身体が徐々に削られていく。
我が剣で受けても、リリアの蹴りで弾いても、猛攻は止まらない。
一撃を凌げば、間髪入れずにさらに重く、速い斬撃が襲い掛かる。
やがて、リリア本体の額に汗が滲み始めた。
脚の動きがわずかに鈍る。
蹴りを受け流された直後、その隙を狙ってヴァルギルスの刃が迫った。
我は咄嗟に剣を差し込み、辛うじてその軌道を逸らす。
――このままでは、長くもたぬ。
……リリア。
胸中で、その名を呼んでいた。
彼女の勇気は疑いようもなく、本物だ。
だが、この猛攻を受け続ければ……やがて命を散らすことになる。
「ええい、小賢しい!」
ヴァルギルスが吠え、全身から闇の瘴気を一気に解き放った。
凄まじい衝撃波が大地を割り、周囲の空気を震わせる。
「――っ!」
剣を地へ突き立て、紫黒の魔力を放って衝撃に抗う。
だが、隣にいたリリアは耐えきれなかった。
その身体が地を離れ、衝撃波に呑まれて大きく吹き飛ばされる。
「きゃあっ!」
短い悲鳴が耳に突き刺さる。
同時に二体の分身も巻き込まれ、その姿を霧散させた。
残された本体のリリアが、炎の中を舞う。
「リリア!」
我が声が届くより早く、ヴァルギルスの姿が掻き消えた。
――転移。
刹那、奴は地面へ転がったリリアの背後に現れる。
そして、その白い首を左手で鷲掴みにした。
「――うぐぅっ!」
喉を締め上げられ、リリアの口から苦しげな声が洩れる。
両手で必死にヴァルギルスの腕を掴むが、鉄のような力はびくともしない。
「まずは貴様からだ、リリア! 闇に抱かれて死ぬがいい!」
闇に濁った瞳が紅く煌めき、奴の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
右手に握られた闇剣が、ゆっくりと振り上げられた。
その切っ先が、リリアの胸元へと向けられる。
リリアの瞳が恐怖に見開かれた。
わずかに震える唇が、カケルの名を呼ぼうとする。
「くっ……!」
我は即座に地を蹴った。
だが、地を裂いて次々と這い出す魔獣どもが行く手を塞ぐ。
牙と爪を振り払い、斬り伏せるも、その一瞬一瞬が我から時間を奪っていく。
「退けぬか――!」
焦燥が喉を灼く。
間に合わぬ。
このままでは――。
そして、闇剣がリリアの胸を貫かんと迫った、その時。
胸元で揺れる羽根のペンダントが、ふっと淡い光を漏らした。
まるで命の灯火のような、小さく、弱々しい光だった。
しかし、その小さな輝きを前に、ヴァルギルスの動きが一瞬止まる。
「……なんだ?」
リリアの首を掴む手に力を込めたまま、奴は訝しげにその胸元へと視線を落とした。
リリア自身も目を見開き、息を詰める。
その瞬間――小さな光が弾けた。
白銀の輝きが一気に膨れ上がり、周囲を覆う闇を切り裂いていく。
炎の赤すら呑み込むほどの光がリリアの胸元から迸り、ヴァルギルスを真正面から照らし出した。
「ぐぬぅぅぅっ……!?」
奴の声が苦悶に歪む。
白銀の光に灼かれ、リリアの首を掴んでいた手から力が抜けていく。
「これは……馬鹿な……!」
ヴァルギルスは呻きながら、堪らずリリアを手放した。
身を折り、光から逃れるように顔を背ける。
だが、輝きはさらに戦場全体へと広がっていった。
我の行く手を阻んでいた魔獣どもが次々と悲鳴を上げ、その身体を影のように掻き消していく。
「これは……いったい……! まさか、あの勇者の……!」
脳裏に、かつてヴァルギルスと相まみえた男の姿がよぎる。
――あの勇者が遺した意志。
それが今、この場で再び力となって現れたというのか。
「ぐあああああっ! この光はぁぁぁぁ!」
ヴァルギルスが頭を抱え、絶叫する。
闇の力に満ちた四肢が痙攣し、背から伸びた異形の腕が震えながら砕け散っていく。
ペンダントの光は徐々に収束し、淡く瞬いたのを最後に、静かに消えていった。
だが、光が消えてもヴァルギルスの苦悶は収まらない。
荒い呼吸を繰り返し、呻きながら膝をつく。
先ほどまでの圧倒的な威容は、明らかに失われていた。
我はすかさず剣を構え直す。
今なら――。
「今だ、リリア! カケルに声を届けろ!」
リリアは胸元のペンダントに手を添え、震える声を必死に張り上げた。
「……カケル! 私よ! リリアよ!」
炎に照らされたその瞳には、涙が滲んでいる。
「あなたは……そんな闇に負ける人じゃない! 目を覚まして! 闇に打ち勝って!」




