光の翼、闇を超えて①
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
炎の轟きも、血の匂いも、遠ざかっていくようだった。
私はただ、その背中を見つめていた。
闇の剣を受け止めるアビス様。
しなやかな肢体であるはずなのに、その立ち姿は堂々たるものだった。
黒衣が炎を裂くたびに空気が震え、まるで世界そのものが彼女に従っているかのように思えた。
艶やかな香りすら漂わせながら、圧倒的な威厳を放つ。
――そう、この方こそ、私が仕える魔王。
「貴様は……アビス!」
ヴァルギルスの声は怒りに震え、炎の中で不気味に響いた。
カケルの口から放たれているはずなのに、その響きは別物だった。
「久しいな、ヴァルギルス」
アビス様は涼やかに告げる。
その声音には、女性らしい艶やかさと、魔王としての揺るぎない威厳が同居していた。
「貴様……貴様は余にとって忌むべき存在だ!」
ヴァルギルスの紅の瞳がぎらつき、炎を呑み込むように輝く。
「だろうな。勇者との戦いで深手を負ったお前を仕留めたのは、他でもない我だからな」
アビス様の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「貴様さえいなければ!」
ヴァルギルスの怒声と共に、闇の剣が閃く。
闇と闇がぶつかり合い、火花が散った。
耳を裂く金属音と共に、衝撃波が周囲の炎を押し広げる。
私は咄嗟に腕で顔を覆った。
熱風が皮膚を焼くように痛い。
それでも、視線を逸らすことができなかった。
アビス様とヴァルギルス――二人の魔王が真正面から剣を交える姿。
その光景は、私の知るどんな戦いよりも恐ろしく、同時に目を奪われるほど圧倒的だった。
短くも苛烈な鍔迫り合いの末、二人は互いの剣を弾き、距離を取った。
刃の先がわずかに下がり、互いに呼吸を整えるように視線を交わす。
その一瞬の静寂が、戦場全体を支配する。
炎の揺らめきが二人の影を伸ばし、ぶつかり合う視線の間に、見えない稲妻が走るようだった。
どちらが先に動くのか――張り詰めた空気の中、私は息を呑んだ。
アビス様の背中を見つめながら、胸の奥に渦巻く疑念を抑えきれずにいた。
――アビス様は、最初から知っていたのではないか。
カケルを蝕む闇の正体を。彼が堕ちてしまうかもしれない危険を。
ならば、どうして今まで何も……。
まるで心の叫びを読み取ったかのように、アビス様は一歩も動かぬまま、静かに声を落とした。
「リリアよ。聞きたいことがあるのだろう? 今のうちに答えようではないか」
鼓動が跳ね上がる。
喉が乾き、うまく声が出ない。
それでも、どうしても確かめなければならなかった。
私は震える声を絞り出す。
「アビス様……アビス様は、闇の力の正体を知っていたのですか?」
黒衣の魔王は、振り返らずにわずかに頷いた。
「初めはわからなんだ。だが、次第に確信を得たといったところだ」
やはり、アビス様は気づいていた。
次の疑問が浮かび上がる。
ならば――なぜ、カケルを止めなかったのか。
「加えて、なぜカケルを止めなかったのか。それも知りたいのだろう?」
「……!」
胸の内を見透かされたようで、私は息を詰まらせた。
「止めなかったのではない。止められなかったのだ」
その一言に、胸を強く締めつけられる。
「魔王である我とて、カケルからヴァルギルスの残滓を引きはがす術は持ち合わせてはおらん」
絶望が喉を塞ぎかける。
ならば、どうすれば……?
「唯一考えうる術は、ヴァルギルスを顕現させ、その残滓を消滅させることだった」
雷に打たれたような衝撃が全身を貫いた。
そうだ――だから、アビス様は見守ることしかできなかったのだ。
カケルの苦悩も、私の不安も知りながら。
「ですから……あえて静観されていたのですか?」
声は、わずかに震えていた。
「うむ……」
アビス様は短く応じ、紅蓮の炎に照らされた横顔に、一瞬だけ柔らかな表情を浮かべる。
「苦労をかけたな。だが、今こそ責任を果たす時だ。奴を倒し、必ずカケルを取り戻してみせようぞ」
胸が震えた。
闇を斬り裂くようなその言葉に、私は縋るような希望を感じた。
――信じられる。
この方なら、きっとカケルを取り戻してくれる。
「図に乗るなよ、小娘」
ヴァルギルスが嗤った。
紅く染まった瞳が不気味に揺らめき、炎の光を呑み込む。
「それに……余を倒せば、この肉体も魂も共に消滅するやもしれんぞ?」
「そ……そんなっ!」
頭が真っ白になる。
彼を取り戻すはずの戦いが、彼自身をも失わせるかもしれないなんて。
信じたい気持ちと、突き刺さるような恐怖が胸の中でせめぎ合う。
「戯言を。貴様を弱らせるだけでも、カケルを引きはがせるはずだ」
アビス様は微動だにせず、漆黒の剣を構えたまま言い放つ。
その声に、迷いは微塵もなかった。
「貴様にできるのか? 肉体と魂を支配した余の力は、これまでとは比べ物にならんぞ」
ヴァルギルスが嘲笑を浮かべる。
その瞳に宿るのは、カケルではない異質な光。
「無論だ。二度目の敗北を味わわせてやろう」
アビス様は一歩も退かず、口元に冷たい笑みを刻んだ。
その言葉に、私の胸に再び希望が灯る。
「その威勢、いつまで持つかな」
ヴァルギルスの声が低く、地を這うように響く。
炎と闇が呼応するように揺らめき、周囲の空気が軋んだ。
「お前たち、下がっておれ。少々派手にやりあうからな」
アビス様は振り返ることなく、背中越しに私たちへ言葉を投げた。
その声と立ち姿だけで、私たちを押し下げるような圧を感じる。
息を呑む。
――この戦いは、私たちの手が届かない領域で行われる。
そう悟った瞬間、私は我に返って仲間たちを振り返った。
「急いで――下がるのよ!」
足を引きずるようにして、皆が動き出す。
エルザは血を流して気を失ったライアを支え、ヴァネッサは崩れたトーラを腕に抱える。
私とエリシアは肩を貸し合うようにして、苦しげに息をするセレナを支えた。
炎の熱気と焦げた匂いの中、仲間たちの荒い息づかいだけが、やけに鮮明に響く。
必死に距離を取ろうと足を動かすが、背後から押し寄せる圧は一歩ごとに強まり、肌を焼くようだった。
「リリア……何が……始まるの?」
セレナが肩に体重を預けながら、苦しげに問いかける。
私は唇を噛み、炎に包まれた戦場を振り返った。
そこに立つ二人の魔王から放たれる気配は、私たちがこれまで目にしてきたものとは明らかに違っていた。
「……死闘よ」




