血戦の果てに顕つ闇⑤
――あれは……カケル?
私の視界に飛び込んできたのは、地面に膝をつき、小さな身体を抱き締めているカケルの姿だった。
駆け寄ろうと一歩踏み出す。
けれど、ふとした違和感に胸がざわつき、その場で足を止めた。
何かが……おかしい。
背中から漂う気配が、これまでとはまるで違う。
冷たい。重い。
底知れない闇が、その背中にまとわりついているようだった。
カケルは腕に抱いた小さな身体を、まるで宝物を扱うように丁寧に地面へ横たえた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
――カケル……?
声をかけようとした。
けれど、その声は喉の奥で掠れて消えた。
その時、周囲にいた人間たちがカケルに気付き、一斉に襲いかかった。
「カケル!」
私は加勢しようと駆け出した。
だが、その必要はなかった。
カケルは転移で敵の懐へ入り込み、闇の剣を振るった。
闇の刃が、容赦なく人間たちを斬り伏せる。
鮮血が飛び散り、次々と地面へ倒れていった。
……刃を振るうことに、ためらう素振りすらない。
「……っ」
胸の奥が締め付けられる。
目の前にいるのは、確かにカケルのはずなのに。
私の知るカケルではないように思えた。
「カケル! やめて!!」
声を振り絞った。
けれど、その背中には届かない。
それでもカケルは止まらない。
転移を繰り返し、次々と人間たちへ襲いかかっていく。
悲鳴と血飛沫が飛び交うたび、私の胸の奥で何かが壊れそうになる。
背を向けて逃げ出そうとした者すら、容赦なく断ち切った。
そこにあるのは「守るため」でも、「戦うため」でもない。
剥き出しの殺意だけだった。
「リリア!」
炎に照らされた仲間たちが駆け寄ってきた。
「カケル、どうしたのよ!」
セレナが鋭く問いかける。
「……様子がおかしいの。あれは、カケルじゃない……!」
私は震える声で答えるしかなかった。
仲間たちもそれぞれ武器を手にし、後を追う。
けれど、カケルは転移を繰り返し、まるで影そのものが飛び回っているかのように姿が掴めない。
「くそっ、追いつけない!」
ライアの声に焦りが滲む。
「このままでは……!」
エリシアの悲痛な声が響く。
赤く燃え盛る炎の中、カケルの影はなおも跳び回る。
そして――その姿は揺らめく炎の向こうへ消えていった。
「……カケル……!」
思わず手を伸ばす。
けれど、その先には炎と黒煙だけが揺れていた。
炎に包まれた集落を、私たちはカケルの姿を求めて走り続けた。
「カケル……どこに……!」
焼け焦げた木材が崩れる音。泣き叫ぶ声。鉄と血の臭い。
そのすべてに、胸が押し潰されそうになる。
煙に咳き込みながら目を凝らすと、瓦礫の向こうから獣のような咆哮と剣戟の音が聞こえてきた。
そこにいたのはライガだった。
数人の人間たちに囲まれ、武勇を誇る彼でさえ劣勢に立たされている。
牙を剥いて応戦しているものの、次第に追い詰められているのがわかった。
「ライガ!」
叫んだ、その瞬間だった。
ライガの傍らにカケルが転移で現れ、容赦なく人間たちを切り裂いていく。
目にも止まらぬ速さで反撃の隙すら与えず、一撃ごとに血飛沫が炎の光を照り返した。
数息のうちに、周囲は屍で埋まり、赤黒い惨状が広がる。
「カケル……!」
胸が締め付けられる。
これはもう、私の知っているカケルじゃない。
ライガは荒い息を吐きながら、呆然とした顔で私を見る。
「おい……リリア! あいつ、どうしたんだ!? 殺さないって言ってたじゃないか!」
その声に滲んでいたのは、怒りでも非難でもなく、困惑と恐怖だった。
その姿を見て、ひとつの可能性が頭をよぎる。
――闇の力が、暴走している……?
「……恐らく、力に呑まれているのよ。このままじゃ……!」
私は唇を噛み締め、ライガの肩を強く掴んだ。
「ライガ、生存者を探して! 見つけたら、一緒に避難して!」
「だが……集落をこのままにするわけには……!」
ライガが声を荒らげる。
「いいから! ここにいたら、あなたも危険よ! 私は――カケルを止めなきゃ!」
ライガの瞳に驚きと迷いが交錯する。
けれど、もう振り返っている暇はなかった。
私たちは再び、炎の中へ消えたカケルを追って走り出した。
◇ ◇ ◇
炎と悲鳴の中、私たちはカケルの姿を探し続けた。
「……いた!」
仲間の誰かの声に顔を上げた。
その先に、闇を纏ったカケルの姿があった。
カケルは、一人取り残された人間の前に立っていた。
男は怯え切った様子で、必死に命乞いをしている。
「た、助け――」
最後の言葉は続かなかった。
カケルの剣が振り下ろされ、男の命をあっけなく断ち切った。
血が飛び散り、赤黒い跡が地を汚す。
その冷酷な姿に、私の胸は凍りついた。
「……カケル!」
気づけば、その名を叫んでいた。
カケルは振り下ろした剣を下げたまま、動きを止める。
血に濡れた顔が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
炎に照らされたその顔は、間違いなく見慣れたカケルのものだった。
それなのに、ひどく遠く感じられた。
――届いて。私の声。
私たちの間に、重い沈黙が落ちる。
仲間たちも息を呑み、カケルの返答を待っていた。
だが、次の瞬間――。
影のように揺らいだかと思えば、カケルの姿が掻き消える。
気づいた時には、もう目の前に転移していた。
「――っ!」
闇の刃が、私目掛けて振り下ろされる。
咄嗟に身を固めた、その瞬間――鋭い金属音が響いた。
「カケル! 目を覚ませぇっ!!」
ライアが目の前へ飛び込み、剣でその一撃を受け止めていた。
闇の剣とライアの剣がぶつかり、激しく火花を散らす。
ライアの額に汗がにじみ、必死に歯を食いしばる姿がそこにあった。
私は一瞬、何もできずに二人を見つめていた。
ライアはすぐさま剣を切り返す。
カケルもそれを受け止め、二人の間で激しい剣戟が繰り広げられた。
ライアが両手で剣を振るう一方、カケルは片手でその剣を受け止め、押し返していく。
「くっ……!」
苦しげな声が漏れる。
ライアは少しずつ押し込まれていた。
「……この力!」
その時、カケルの左手に黒い闇が集まり始める。
「ライア、危ない!」
叫んだ瞬間には、もう遅かった。
「ぐああっ!」
闇を纏った拳がライアの腹部を捉える。
鈍い衝撃音とともに、その身体が大きく吹き飛ばされた。
「ライア!」
私が叫ぶのと同時に、エルザが大槌を振りかざして飛び込んでいった。
ガキィン!
だが、カケルは振り下ろされた大槌を片手で受け止める。
「……っ!?」
エルザの顔が強張った。
カケルは無表情のまま、闇の剣を振り上げる。
黒い刃がエルザへ振り下ろされようとした、その瞬間――。
「――させるかぁっ!」
横から飛び込んだトーラが、全身をぶつけるようにカケルへタックルを仕掛けた。
「ふんぬぅぅっ!」
重い衝撃音とともに、カケルとトーラがもつれ合うように地面へ倒れ込む。
「目を覚ましやがれ!」
トーラがカケルを押さえ込み、拳を振り上げた。
だが振り下ろされる前に、闇を纏った手刀がトーラの喉元を鋭く打つ。
「ぐぉっ……!」
トーラは苦しげに呻き、カケルの上から崩れ落ちた。
カケルがゆらりと立ち上がる。
その身体を覆う闇が、炎に照らされながら不気味に揺らめいていた。
「頭を冷やしなさい! ――アイシクルランス!」
セレナの叫びと同時に、氷槍がカケル目掛けて放たれた。
けれど、カケルは無言のまま転移を繰り返す。
氷槍を次々とかわしながら、確実にセレナとの距離を詰めていく。
「くっ……!」
セレナの額に汗が滲む。
あのセレナの魔法が、まるで捉えられない。
「止まりなさい!」
セレナが声を張り上げる。
蛇髪がざわめき、黄金の魔眼が光を帯びた。
けれど、彼の姿はまたも霧のように掻き消えた。
「――っ! 後ろ!?」
セレナが振り返るより早く、闇の剣がその背へ迫る。
「……光よ!」
エリシアの張り詰めた声とともに、聖なる輝きを帯びた矢がカケルへ放たれた。
だが、カケルは飛来した矢を片手で掴み取る。
そのまま力を込めると、矢が乾いた音を立てて折れた。
「そ、そんな……!」
エリシアが青ざめる。
カケルはエリシアへ顔を向けると、手にした闇の剣を投げ放った。
「きゃっ!」
エリシアが咄嗟に身を伏せる。
黒い刃が頭上を掠め、そのまま地面へ突き立った。
そして彼は、振り返ってセレナへと襲いかかった。
闇を纏った蹴りが脇腹を捉え、その身体を地面へ叩きつけた。
「あぐっ……!」
カケルはさらに転移し、エリシアの前へ現れる。
その手に、再び闇の剣が生み出された。
「カケル……さん……」
エリシアが震える声で呼びかける。
けれど、返事はない。
赤い瞳が、ただ冷たく彼女を見据えていた。
カケルが闇の剣を振り上げる。
「そこまでだ!」
ヴァネッサの鋭い声が割り込んだ。
素早く飛び込み、カケルの手首を掴んで刃を逸らす。
「カケル……! 我らを敵に回すつもりか」
ヴァネッサは舞うような動きでカケルの剣を紙一重でかわし、時にその腕を取って軌道を逸らしていく。
「……ふん、やるではないか」
紅の瞳が、わずかに細められた。
カケルの全身から闇が膨れ上がる。
そのまま、力任せに闇の剣を振り抜いた。
「――ッ!」
ヴァネッサの身体が大きく弾き飛ばされる。
地面を転がり、苦しげに咳き込んだ。
「くっ……これほどとは……」
駆け寄ろうとする。
けれど、足が震えて動かなかった。
あのヴァネッサさえ、カケルに押し返されてしまった。
立ち上がろうとするヴァネッサへ、闇を纏ったカケルが音もなく迫る。
その剣先が、彼女の喉元へと向けられた。
私は、気づけば走り出していた。
「――やめて!!」
燃え盛る炎の中、ヴァネッサとカケルの間へ飛び込む。
私はヴァネッサを庇うように、カケルの前へ身を投げ出した。
刃が、私の眼前で止まった。
間近で見つめたカケルの瞳は、深い闇に呑まれていた。
いつもの優しさは、どこにも見えない。
「カケル……! お願い、目を覚まして!!」
一瞬――カケルの瞳が揺らいだ。
私の眼前で止まった剣先が、わずかに震える。
そして、彼の唇がかすかに動いた。
「……リリア」




