血戦の果てに顕つ闇④
森を抜けた先に、目的の拠点が姿を現した。
古びた石造りの砦のような建物。
その周囲では、数人の人間たちが武器を手に見張りに立っている。
だが、妙だった。
「おい、数が少なくないか?」
砦の周囲を見渡しながら、ライガに低く問いかけた。
「確かにな。見えるだけでも、十人くらいしかいないな」
ライガも目を細め、牙を覗かせて唸った。
「……嫌な感じがするな」
集会場で覚えたざわつきが、再び胸の奥に広がっていく。
「……どうする、ライガ?」
俺が問いかけると、ライガはしばらく砦を睨んだあと、力強く頷いた。
「ああ。皆、準備はいいか!」
獣人の戦士たちが武器を掲げ、鬨の声を上げる。
「いくぞおおおおおおお!」
ライガの咆哮が響き渡り、一斉に突撃が始まった。
俺も闇の剣を手に、前へと駆け出す。
人間たちは驚いたように目を見開き、慌てて剣や槍を構えた。
だが、やはり数が少ない。獣人たちの突撃を受け、あっという間に陣形が崩れていく。
一人の男が、槍をこちらへ突き出してくる。
「どけぇ!」
闇の剣で槍を弾き、そのまま相手の懐へ踏み込む。
闇を纏わせた拳を腹へ叩き込んだ。
鈍い音とともに、男は地面を転がり呻き声を上げる。
「くそっ、化け物が!」
後ろから振り下ろされた剣を、振り返りざまに闇の剣で受け止める。
衝撃が腕に響く。
その隙を狙い、もう一人が突きかかってきた。
「遅い!」
転移の力を発動させ、霧のように姿を消す。
次の瞬間には二人の背後へ回り込み、闇の剣を横薙ぎに振るってまとめて吹き飛ばした。
横目に見れば、ライアが剣を振るい、獣人たちと共に前線を押し広げている。
セレナの放つ火炎の矢が敵の足元で弾け、ヴァネッサとリリアも後方から敵の動きを封じていた。
人間たちの統率は見る間に崩れていく。
「ぐっ……ひ、引けっ! 逃げろおお!」
誰かの叫びを皮切りに、人間たちは次々と武器を投げ捨て、背を向けて逃げ出していった。
闇の剣を下ろし、周囲を見渡す。
……やっぱり、おかしい。あまりにもあっけなさすぎる。
胸のざわつきは、戦いが終わったことでむしろ強くなっていた。
「……待て!」
ライガの怒声が響く。
一人の人間が獣人戦士たちに取り押さえられ、地面へと押さえつけられていた。
それでも、男の口元には薄い笑みが浮かんでいる。
敗れたというのに、その表情には妙な余裕があった。
「へっ……残念だったな」
「何が可笑しい!」
ライガが声を荒らげ、男の襟元を掴み上げる。
剥き出しになった牙の奥から、低い唸り声が漏れた。
男はさらに口角を吊り上げる。
「俺たちは囮さ……本隊は今頃、お前らの集落に――」
「なんだって!?」
心臓が大きく跳ねた。
「俺たちの集落に!?」
ライガの表情が一変する。
「ああ、そうさ!」
男は勝ち誇ったように笑った。
「いずれお前らがここを襲うと踏んで、仲間が先に集落を襲うように準備を進めていたのさ! 今頃は火の海になってるはずだぜ!」
一瞬、耳鳴りがした。
――火の海。
ルミナの無邪気な笑顔。
両親の優しい声。
「待ってるね」と告げた、あの小さな姿。
それらが炎に呑まれる光景が脳裏をよぎり、呼吸が詰まった。
「……やっぱりか」
リリアが集落の守りを気にかけていたことが、頭の中に蘇る。
俺自身も、不安を感じていたはずなのに――。
「全員、急いで戻るぞ!」
ライガの咆哮が響き渡った。
「集落が危ない!」
一斉に獣人たちが駆け出す。
地を蹴る音と荒い息遣いを響かせながら、森の中を駆け抜けていく。
俺たちもその後を追って駆け出した。
激しく脈打つ心臓の音が、嫌というほど耳に響く。
――どうか、間に合ってくれ……!
◇ ◇ ◇
「……っ!」
森を抜けた瞬間、強烈な焦げ臭さが鼻を突いた。
誰かの息が詰まる音が耳に届く。
集落が見えてきた。
だが、そこに出発前の穏やかな景色はもうなかった。
茜色に燃え広がる炎。
屋根を突き破り、空へと黒煙を吐き上げる家々。
悲鳴と怒号が入り交じり、辺りに響き渡っている。
「ルミナ……!」
名前を叫びながら、さらに足を速めた。
ライアはすでに剣を抜き、トーラも拳を固く握り締めている。
リリアは燃え上がる集落を見つめ、セレナの蛇髪も落ち着きなくざわめいていた。
燃え落ちる家屋の中から、獣人たちの叫びと人間たちの嘲り声が入り交じって聞こえてくる。
「くそっ……遅かった……!」
拳を握り締める。
けれど、立ち尽くしている暇はない。今は一人でも多く助けなければ。
燃え盛る炎の熱気が肌へ迫る。
俺たちは迷うことなく、混乱の渦中へ駆け込んだ。
「いたぞ! 殺せ!」
剣を振りかざして迫る男を正面から迎え撃つ。
転移で死角へ回り込み、闇を纏った拳を叩き込んだ。
「ぐあッ!」
拳がみぞおちにめり込み、男は呻き声を上げながら地面を転がる。
「はぁぁッ!」
トーラの咆哮とともに拳が炸裂し、複数の敵兵が宙を舞った。
「邪魔だ、どけええ!」
ライアが鋭く剣を振るい、迫る敵を次々と退けていく。
「これ以上好き勝手はさせないわ!」
セレナの放った雷撃が炸裂し、複数の敵兵が悲鳴を上げて地面へ倒れ込んだ。
「ちょろちょろ動くなッ!」
その隙を狙って飛び出した敵兵の剣を闇の剣で受け流し、そのまま懐へ踏み込む。
闇を纏った拳を顎へ叩き込み、男を地面へ沈めた。
だが……倒しても倒しても、敵は次々と現れる。
「ちっ、どこからこんなに……!」
「気を抜かないで」
振り返れば、エルザの巨大なハンマーが地面を叩き、衝撃で敵兵をまとめて吹き飛ばしていた。
燃え盛る炎をそのひとつ目に映しながらも、エルザは冷静に敵を見据えている。
後方ではリリアが鋭い蹴りで敵を弾き飛ばし、ヴァネッサが音もなく背後へ回り込んで敵を地へ沈めていた。
エリシアも弓を引き絞り、迫る敵へ狙いを定める。
「負けません……! 皆さんは、わたくしたちが守ります!」
放たれた矢が敵の武器を弾き飛ばした。
だが、炎と悲鳴に包まれるこの光景は、勝利とは程遠い。
倒れ伏す獣人たちの姿。
助けを求める子供の泣き声が、あちこちから聞こえてくる。
「……ルミナ!」
胸がざわつき、息が荒くなる。
彼女は……まだ無事なのか?
「カケル!」
リリアの声で我に返る。
新たな敵がすぐそこまで迫っていた。
「くそっ……!」
闇の拳を握り直し、炎の渦中へ再び身を投じた。
◇ ◇ ◇
炎と叫び声が渦巻く中、周囲を見渡していた。
「……ルミナ!」
何度周囲を見回しても、あの白いうさ耳はどこにも見当たらない。
その時、視界の端で二人の人影が敵に囲まれているのが見えた。
「やらせるか!」
転移で一気に距離を詰め、敵兵の腹部へ闇の拳を叩き込む。
「ぐあっ!」
敵兵は地面を転がり、呻き声を上げながら倒れ込んだ。
続く一人が剣を振り上げるより早く、その懐へ踏み込み、顎を打ち抜いた。
「おい、大丈夫か!」
声をかけた先には、ルミナの両親――昼間、俺を温かく迎えてくれたあの二人の姿があった。
母親は怯えた様子で胸に手を当て、父親は彼女を庇うように前へ立っている。
幸い、二人とも大きな怪我はないようだった。
「た、助かった……ありがとうございます!」
父親が荒い息の合間に頭を下げる。
「ルミナは!? ルミナはどこにいる!?」
思わず声を荒らげると、母親は泣きそうな顔で首を横に振った。
「さっきまで一緒だったんです……でも、混乱の中で……どこかに……!」
喉の奥が冷たくなる。
ルミナが、この混乱の中でひとり取り残されている。
「……わかった、心配するな。必ず見つけ出す!」
そう言い切り、二人に頷くと、駆け出した。
◇ ◇ ◇
煙と炎に覆われた集落の中を、必死に駆け回っていた。
「ルミナ……どこだ! 返事をしてくれ!」
立ちはだかる敵を闇の拳で退けながら、何度もその名を呼ぶ。
それでも、返事はない。
その時――。
「お父さぁん! お母さぁん!」
泣き声が、かすかに耳に届いた。
心臓が大きく跳ねる。
間違いない。ルミナの声だ。
「ルミナっ!」
叫ぶと同時に、立ちはだかる兵を拳で殴り飛ばし、声の方へ駆ける。
炎の合間に、小さな白いうさ耳が見えた。
ルミナだ――!
彼女も俺に気づいたのだろう。
涙に濡れた目を大きく見開き、小さな足で一歩、俺へと踏み出した。
「お兄ちゃ――」
耳を裂くような弦の音が響き、視界を横切る影があった。
次いで、赤い線が彼女の胸を走った。
「――あ」
掠れた声とともに、ルミナの身体がぐらりと傾く。
伸ばしかけた小さな手が空を掴み、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「ルミナッッ!!」
頭が真っ白になる。
目の前の人間に拳を叩き込み、そのままルミナのもとへ駆け寄った。
小さな胸に突き立った矢。
その根元から滲んだ血が、服を赤く染めていく。
「ルミナ! しっかりしろ!」
抱き起こした小さな身体から、力が抜けている。
傷口を押さえようとした手が、すぐに赤く染まった。
「……おにい、ちゃん……」
かすかな声が唇から漏れる。
震える指先が俺の服を掴もうとして、けれど力なく空を掻いた。
「大丈夫だ! なんとかするから! 絶対助けるからな!」
必死に声をかける。
けれど、どうすればいいのかわからない。
矢を抜くべきなのか。それとも、このまま傷口を押さえるべきなのか。
手が震えて、まともに動いてくれない。
「ルミナ! 聞こえるか!? 頼む、目を開けてくれ!」
呼びかけても、聞こえるのはかすかな吐息だけだった。
やがて――。
彼女の桜色の瞳から、ゆっくりと光が失われていく。
「……いやだ……やめろよ……」
首を横に振り、何度も呼びかける。
だが、その小さな胸は二度と上下しなかった。
「ルミナ! おい! 返事をしろ! ……頼むから……!」
喉が裂けるほど叫んでも、腕の中の少女はもう応えない。
「……嘘だろ、なぁ……」
腕の中の身体は、あまりにも小さく、軽かった。
――死んだ?
……まさか。そんなはずない。
助けるはずだった。
守るはずだった。
なのに……なんで?
なんでだ?
なんで、なんで、なんで……!
その言葉だけが、頭の中を埋め尽くしていく。
俺が、弱いからか?
もっと速く戻れていたら?
もっと早く罠に気付けていたら?
もっと力があれば――?
……違う。
違うだろ。
悪いのは――あいつらだ。
矢を放った奴ら。
集落を燃やした奴ら。
ルミナを奪った奴らが、全部……悪い。
気づけば、別の声が混じり始めていた。
――奪われたのだ。
――ならば、奪え。
――壊せ。滅ぼせ。
――殺せ。
――全て、闇に沈めろ。
俺の声か、それとも……闇の声か。もうわからない。
ただ、胸の奥に黒い感情が膨れ上がっていく。
憎い。
許せない。
全部殺せばいい。
殺せば、もう誰も奪わない。
理性が、音を立てて崩れていく。
漆黒の闇が、俺の内側を満たしていく。
「……殺す」
口から零れたその言葉が、自分のものなのか、それとも闇のものなのか。
もう、わからなかった。
溢れ出した闇が、俺の意識を呑み込んでいく。
そして――俺は、俺ではなくなった。




