↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
82/127

闇の誘い、過去が紡ぐ絆⑤

床に倒れ込んだアンナロッテの胸が、荒い呼吸に合わせて上下している。

広間を覆う静寂の中、ただ一人くすくすと笑い声を上げた者がいた。

黒龍だ。


「ふぅん……? ねぇ、わざと殺さなかったでしょ~? ……ほんと、甘いのね」


その声音は楽しげでありながら、残酷な棘を孕んでいた。

黒龍は倒れ伏すアンナロッテを一瞥する。


「それとも命を奪うのが怖いビビりちゃんなの~? そんな力を持ってるのに~?」


その言葉に、他の龍たちも俺へ視線を向ける。

血の滲む拳を見下ろし、深く息を吐いた。


「……俺は殺しはしない。たとえ、この力がどんなに強くてもな」


そう言った俺の視線は、自然とリリアへ向いていた。


彼女はじっとこちらを見つめ――ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。

その笑みは、俺の決意を肯定するようで……胸の奥に熱が灯るのを感じた。


「はぁ~……つまんな~い!」


黒龍はあくび混じりに立ち上がり、ゆっくりとアンナロッテのもとへ歩み寄った。


「黒龍様……っ」


かろうじて意識を保つアンナロッテを、彼女は無造作に足蹴にする。

鈍い音が響き、アンナロッテの身体が小さく震える。


「このゴミが死ねばぁ、カケルと契約できたのに!」


吐き捨てるその声音は、笑っているのに残酷極まりなかった。


「黒龍ッ! 自分の守り人に何をしている! いい加減にしろ!」


赤龍が椅子を蹴る勢いで立ち上がった。


「会合は理を交わす場。暴力と嘲笑で貶める場所ではありません」


青龍も冷ややかに声を響かせる。


「……放ってはおけんが、下手に刺激すれば……」


黄龍は険しい顔で視線を逸らし、低く唸る。


「……白龍、どうするつもり?」


緑龍は息を吐き、白龍へ視線を投げた。


しかし白龍は答えなかった。

黄金の瞳をただ静かに黒龍へと向ける。


その沈黙は、今は静観するという意思表示のように思えた。


「……テメェ! 自分の守り人だろ! なんでそんな残酷になれる!」


怒鳴ってもなお、ふつふつと怒りが膨れ上がっていく。

拳に闇の力が滲む。もう抑えきれない。


その叫びに、黒龍が楽しげにくるりと振り向いた。

まるで子供が新しい玩具を見つけたかのように笑みを浮かべる。


「へぇ~……怒ったの?」


その声音は甘く、挑発的で、悪意に満ちていた。


「いいわ……遊んであげる」


黒龍はアンナロッテを足蹴にした姿勢のまま、余裕たっぷりに笑みを浮かべる。


迷わず転移した。

一気に間合いを詰め、闇の剣を振り下ろそうとする。


気づけば、黒龍の白く細い指先が俺の額に触れていた。


「……っ!?」


――バチンッ!


次の瞬間、デコピンが放たれる。

ただそれだけなのに、視界が爆ぜ、全身を雷鳴のような衝撃が貫いた。


「ぐあっ……!」


俺の身体はとてつもない勢いで後方に吹き飛び、床を転がる。

止まった時には呼吸が乱れ、意識が遠のきかけていた。


「カケル!」


鋭くも必死なリリアの声が耳を打った。

揺らぎかけていた意識が、一気に現実へと引き戻される。


――まだだ。ここで倒れるわけにはいかない。


血の味を噛みながら、軋む身体に力を込めて立ち上がった。

足は震えていたが、拳を握ると再び闇が応えるように滲み出す。


「……俺は、まだ終わっちゃいない」


黒龍は唇に指を当て、楽しげに目を細める。


「ふふっ……その顔、いいじゃない。もっと見せてちょうだい♪」


「来い……!」


掌を突き出し、闇の力を解き放つ。

黒き霧が渦巻き、そこから二体の魔獣が姿を現した。


獣のごとき咆哮を上げる四足の影と、黒き甲冑に身を包んだ騎士の影。

どちらも俺の力の具現だ。


「……行くぜ!」


剣を構え、魔獣たちと同時に黒龍へと襲いかかる。

しかし黒龍は、小首を傾げただけだった。


「ふふっ……そんな小細工で私に勝てると思うの?」


俺と魔獣たちの連撃が奔る。

獣の爪が、騎士の刃が、俺の闇の剣が黒龍を狙って重なり合う。


だが、彼女は舞うように軽やかに避けていった。

その表情には余裕しかなく、戦いそのものを楽しんでいるようだった。


「遅くて鈍くて……退屈ね」


そして、細い手が闇に染まる。

黒い瘴気を纏った掌が閃き、魔獣たちへ叩きつけられた。


「……消えなさい」


轟音と共に影が弾け、獣も騎士も悲鳴を上げる間もなく霧散していく。

一瞬にして、俺の切り札は消滅させられた。


「なっ……!」


目の前の光景に言葉を失う俺を、黒龍は嬉しそうに見つめていた。


「うふふっ、この程度じゃないでしょ? カケル♪」


(……まずい。このまま力を使い続けたら……!)


額を伝う汗が視界を曇らせ、胸の奥で焦りが膨れ上がる。

言葉にならない恐怖が込み上げてくる。


暴走の影が、確実に俺の中で蠢いている。

そんな俺を、黒龍は嬉しそうに覗き込む。


「カケル? ねぇ、早く“本気”を見せてよ」


囁く声は甘やかで、それでいて残酷に響く。


「力を解き放ちなさい。そうじゃないと、退屈で死んじゃうわ」


「……っ!」


拳を握りしめたが、どうしても踏み切れない。

暴れ出す闇を恐れて、足が竦んでしまう。


黒龍はそんな躊躇いをつまらなそうに眺め、肩をすくめた。


「ふぅん……まだきっかけが必要なのかしら?」


――深紅の瞳が、リリアを射抜いた。


「じゃあ……あそこのサキュバスを殺してあげましょうか?」


「――ッ!!!」


血が沸騰するような感覚に、全身が焼けつくようだった。

黒龍の言葉が落ちた瞬間、頭の中で何かが切れた。


(……リリアを……殺させてたまるか!)


胸の奥から、熱に似た感情が沸き上がる。

それは怒りでも恐怖でもない――殺意だった。

自分でも認めたくない感情が、しかし確かに俺を突き動かしていた。


全身を闇が覆う。

背後に黒い影が蠢き、やがて二本の巨大な腕が生まれ落ちる。

その両腕が、俺の殺意と同調するように震えていた。


「カケル……!」


リリアの声が届いたが、もう止められない。


「あはっ♪ そうこなくっちゃ!」


黒龍が嬉しそうに両手を叩き、その瞳を爛々と輝かせる。


「その顔、その力! ねぇ……もっと、もっと見せてよ!」


闇を纏った俺と、黒龍の視線がぶつかり合う。


「っらあああああッ!!」


闇の拳を振り抜く。

背後の黒腕が同時にうなりを上げ、連撃を叩き込む。


「きゃはっ♪ いいわねぇ!」


黒龍は楽しげに笑い、舞うように身体をひねってかわす。

それでも一撃は肩口をかすめ、彼女の黒衣が裂けた。


だが、黒龍の細い脚が俺の鳩尾を撃ち抜く。


「がっ……!」


息が詰まり、全身が痺れるほどの衝撃が走る。


「もっと! もっとよ!」


黒龍は瘴気を纏った拳を振るう。

殴るたびに、爆ぜるような衝撃波が生まれる。


俺も負けじと闇の剣を生み出し、斬撃を繰り出す。

闇の腕が追撃を重ね、殴撃と斬撃が交錯する。


拳と拳、闇と瘴気がぶつかり合い――轟音と共に広間全体が揺さぶられた。


「ぐっ……!」


足元の石床が砕け、ひび割れが周囲へ走る。

それでも黒龍は笑い続ける。


「もっと殺意を! もっと力を! その方がずっと“遊べる”わ!」


「……はぁ、はぁっ……!」


膝をつき、剣を杖代わりに地へ突き立てる。

息を吸うたびに胸が苦しく、喉は焼け付くように乾いている。

視界は揺れ、声を絞り出そうとしても、かすれた息しか漏れなかった。


「ふふ……もう限界?」


黒龍の声は甘やかで、どこまでも残酷だった。


答えられない。

唇が震えるだけで、声は空気に消えていく。

その沈黙を、黒龍は勝利の証と受け取ったのか。


「じゃあ残念だけど、これで終わりね!」


翼が大きく広がり、空気を切り裂く轟音が響く。

風圧が吹き荒れ、瓦礫が宙に舞った。

鋭い爪が光を反射し、巨大な影が覆いかぶさる。


ぎりぎりまで待つ。

胸を裂かれる寸前で、振り向いた。


――その刹那。


「……ここだ!」


迷わず、闇の剣を自らの腹へ突き立てた。

肉が裂け、腹の奥から鈍い痛みが全身を駆け抜ける。

刃は俺の身体を貫き、背中から突き出た。


普通の人間なら、即死だろう。

だけど俺には――再生がある。


この身を賭けても立ち上がれる。

だからこそ、この一撃を選んだ。


「……っ!?」


背後から、黒龍の息を呑む声が聞こえた。


だが、もう遅い。

突進の勢いを殺せないまま、黒龍が背中から突き出た刃へと飛び込む。


直後、闇の剣を通して重い衝撃が伝わった。


「ぐっ……あ、ぁぁ……!」


背後から苦悶の声が漏れる。

剣を握る手に重みが伝わり、黒龍を捉えたことを悟った。


――入った。


「……俺は、まだ……終わっちゃいねぇ……!」


血を吐きながらも、剣を握る手に力を込めた。


「な、何これ……?」


背後から聞こえた声からは、先ほどまでの余裕が消えていた。


「……まだだ!」


歯を食いしばり、突き立てていた剣を勢いよく引き抜いた。

血が飛び散り、闇の刃が唸りを上げる。


そして振り返りざま、拳を叩き込んだ。


「――っ!!」


黒龍の頬が跳ね、長い黒髪が舞う。


さらに闇の剣を振り下ろす。

刃と瘴気がぶつかり合い、火花のような黒光が広間を照らした。


「クク……やるじゃない……人間のくせに……ッ」


苦悶の声を洩らしつつも、黒龍の口元はかすかに笑みを残していた。

だが、その呼吸は確かに乱れ、先ほどまでの余裕は感じられなかった。


荒い息を吐きながら、剣を構え直す。


「……今です」


その時、清澄な声が広間に響いた。


声の方へ目を向けると、白龍は目を閉じ、胸元で両手を組んでいた。

その唇から、聞き取れない言葉が絶え間なく紡がれている。


――まさか、俺と黒龍が戦っている間、ずっと……?


床に刻まれた紋様が白光を放ち、強大な力が広間を包む。

空気が震え、眩い光が黒龍を中心に立ち上がった。


「っ、これは……!」


白龍の黄金の瞳が冷ややかな光を帯びる。


「理を乱す闇よ――その身を鎮め、眠りにつきなさい」


広間全体を覆うような荘厳な声とともに、封印の光が黒龍を呑み込んでいく。

光の柱に絡め取られながら、黒龍はなおも無邪気な笑みを浮かべていた。


「白龍、初めからこれが目的で!?」


驚きこそ滲んでいたが、その声音に焦りはない。

未だ戯れの最中にでもいるような余裕さえ感じられた。


白龍は一切の揺らぎを見せず、その瞳を細める。


「……貴方は理を乱しすぎたのです。しばし眠りにつきなさい」


封印の光はじわじわと黒龍を締め付け、闇の気配を塗り潰していく。


「あーあ、叱られちゃった」


黒龍は楽しげに肩をすくめ、血の滴る唇を歪めて笑った。

その余裕は恐ろしく、まるで自らの敗北すら“遊戯の一幕”としか思っていないようだった。


「……黒龍様?」


アンナロッテが震える声で呼びかけた。

目に涙を浮かべ、手を伸ばす。


「そーゆー訳だから、後はよろしくね」


黒龍は片目を細め、投げやりに告げる。


「そんな! 黒龍様!」


必死な声が広間に響く。

だが、黒龍はアンナロッテを鬱陶しげに睨みつけた。


「うるさいわね。会いたいなら自分でなんとかしなさい。……まぁ、そう簡単じゃないでしょうけど」


――残酷なまでに冷たい言葉だった。

アンナロッテは絶望したように顔を歪める。


そして黒龍は最後に俺へと顔を向けた。


「カケル? また遊びましょ?」


深紅の瞳が、愉しげに輝いている。

その眼差しに胸がざわついた瞬間、封印の光が一層強くなり、黒龍の姿は完全に呑み込まれた。


広間に残されたのは、余韻のように木霊する声と、重苦しい沈黙だけだった。

黒龍の気配は、完全に消えていた。


「……やったのか」


呟いた、その瞬間。


ズズズッ……と胸の奥で何かが蠢く。

黒い何かが、まだ身体の中に絡みついているかのように重い。

視界がぐらつき、脈打つ闇が血管を焼くように暴れ出した。


「ぐっ……あ、あぁ……!」


片膝をつき、こみ上げる吐き気と共に喉の奥から呻きが漏れる。

闇の剣が勝手に形を変え、刃の先が脈動するように震えていた。

背後に生じた闇の腕も俺の意思を無視して暴れ、空気を切り裂く音が響く。


「カケル!?」


遠くでリリアの叫びが耳に届くが、頭の中は黒いざわめきで塗り潰されていく。


――殺せ。

――壊せ。


耳元で囁くような声。

これは……黒龍の瘴気に触れて呼び覚まされた、俺の中の“力”なのか。


「やめろ……っ、俺は……!」


必死に抗うが、全身の血が逆流するような圧に飲まれていく。

繋ぎ止めていた意識が、闇に呑み込まれそうになる。


「カケルッ!!」


叫び声とともに、リリアが俺のもとへ飛び込んできた。

次の瞬間、細い腕が俺の身体を強く抱き締める。


「戻ってきて……! あなたは、そんな人じゃない!」


その声が、黒いざわめきに覆われていた意識へまっすぐ届く。

闇に呑まれかけていた意識が、かろうじて踏みとどまる。


(リリア……っ! 俺は……まだ……!)


ほんの一瞬、理性が戻った。

だが闇の奔流は止まらず、なおも身体の内側で暴れ狂う。


「――これ以上は危険です!」


白龍の声が広間を震わせる。

黄金の瞳が輝き、結界の光が降り注いだ。

光はリリアに抱かれた俺を包み込み、暴れ狂う闇を押し鎮めていく。


「……っ、はぁ……はぁ……!」


光に包まれる中、身体の内側で暴れていた闇がようやく鎮まっていく。

霞んでいた意識が少しずつ戻り、リリアの肩に額を押し当て、荒い息を吐いた。


リリアの体温が、最後の砦のようにそこにあった。

そして白龍の光が、なおも燻る闇を押さえ込んでいる。


まだ荒い息が止まらない俺を支えるリリアの手が、わずかに震えているのがわかる。


「……黒龍は眠りにつきました。けれど、この戦いが示したのは一つ――闇は理を踏み越え、人も龍も飲み込むという事実です」


赤龍は唇を噛み、青龍と緑龍はただ沈黙を守り、黄龍は重苦しげに視線を落とした。

白龍は続ける。


「人と龍の在り方を巡り、意見は裂けていました。けれど、この場で人と龍が共に闇へ立ち向かった――その事実は揺るぎません」


リリアが俺の肩を支えながら、そっと頷くのが視界の端に映った。


「人と龍は、共に未来を紡ぐことができる。私はそう信じます。そして、今日の出来事はその証となるでしょう。……ゆえに本日の会合はこれをもって終わりとします。各々、胸に刻みなさい」


白龍の黄金の瞳が、最後に俺をまっすぐに捉えた。

その眼差しから、戒めと、それでもなお向けられるわずかな希望を感じた。


やがて白龍の姿が霞んでいく。

意識が暗闇に呑まれ――世界は音もなく途絶えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。