闇の誘い、過去が紡ぐ絆②
俺たちは白龍の守り人に導かれ、街の中心へと足を運んでいた。
道すがら、彼女はこの国について語ってくれた。
ヴェルドラは古来より龍との繋がりが深い国であり、他国を凌ぐ大国へと発展できたのも、六龍の加護があってこそだという。
六龍――赤龍、青龍、黄龍、緑龍、白龍、黒龍。
彼らはこの大陸と人間の行く末を常に案じ、その存在によって、人々は長きにわたり安寧の時を享受してきた。
さらに六龍には、それぞれ「守り人」と呼ばれる存在がいる。
龍は容易に人前へ姿を現さぬため、契約を結んだ守り人がその補佐と代弁を担い、時には龍の力を振るうこともある。
守り人とは、龍の意志を伝え、人と龍の間を繋ぐ架け橋のような存在――彼女はそう語った。
俺たちは無言でその話に耳を傾ける。
落ち着いた声音で紡がれる一つ一つの言葉が、街の喧騒の中でも不思議なほど鮮明に耳へ届いた。
賑やかな市場や通りを抜け、街の奥へと進んでいく。
人影がまばらになるにつれ、辺りには張り詰めた空気が漂い始めた。
石畳の両脇には、龍を象った彫像が並び立っている。
その眼差しは鋭く、ここを訪れる者を見極めるかのように俺たちを見下ろしていた。
やがて、高い城壁に囲まれた巨大な門が姿を現す。
門には龍の紋章が刻まれ、その表面を淡い光が揺らめくように走っていた。
まるで結界そのものが息づいているかのようだ。
門前には武装した兵が控えていたが、白龍の守り人の姿を見るや、静かに頭を垂れて道を開いた。
彼女が一歩進むと、門に刻まれた紋章が輝き、結界が解かれていく。
その瞬間、空気ががらりと変わった。
街の喧騒が遠ざかり、ひんやりとした静寂と荘厳な気配が辺りを包み込む。
「……ここから先は、龍に仕える者と許された者しか足を踏み入れることはできません」
守り人の言葉に、思わず背筋が伸びる。
俺たちはその結界をくぐり、白龍の待つ神域へと足を踏み入れた。
――その瞬間、世界が変わった。
街の喧騒は完全に消え去り、風の音すら吸い込まれたかのような静寂が訪れる。
結界の向こうに広がっていたのは、深遠な森と清らかな水の流れ、そして天空へとそびえる純白の神殿。
冷ややかで澄んだ空気が肌を撫で、思わず息を呑んだ。
人の世から隔てられたその空間は、まさに龍のために存在する聖域だった。
足元には大理石が敷き詰められ、降り注ぐ光を受けて輝いている。
その先にそびえ立つのは、白亜の神殿。
高く伸びる円柱がいくつも並び、天へと吸い込まれていくようなその姿は、まるで天空と地を結ぶ橋のようだった。
壁面や柱には精緻な龍の彫刻が施され、祈りを捧げる者の姿はなくとも、神聖な気配が辺りを満たしている。
静かな空間へ足を踏み入れた途端、身体の奥底まで澄み渡っていくような感覚に包まれた。
仲間の誰もが言葉を失っていた。
ただ、歩みを進める俺たちの靴音だけが、広大な神殿の回廊に響いていく。
大理石の回廊を抜けると、視界が一気に開けた。
そこには広大な謁見の間があり、天窓から降り注ぐ陽光が室内を明るく照らしていた。
最奥にはひときわ高い壇上が設けられ、純白の玉座が据えられている。
そして――そこに彼女はいた。
玉座に座す女性は、まばゆいほどの純白に包まれていた。
腰まで流れる髪は雪のように白く、陽光を受けて輝いている。
彼女が顔を上げると、黄金に煌めく瞳がまっすぐに俺たちを射抜いた。
威厳を宿したその眼差しに、息を呑む。
背には純白の翼が広がり、腰の後ろからはしなやかな白い尾が伸びている。
さらに額からは、滑らかな二本の角が天を指すように伸びていた。
人の姿をしていながら、その身に宿るものは紛れもなく龍の威容そのものだった。
清浄な気配と圧倒的な威厳を纏い、ただ玉座に座しているだけで、この場のすべてを支配しているかのように感じられる。
言葉を失う俺たちを前に、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……ようこそ。遠き旅路を越えて来た者たちよ。待っていました」
声は澄み渡りながらも不思議と柔らかく、広間を包み込むように響いた。
その声を聞いた途端、張り詰めていた仲間たちの緊張がわずかに和らぐ。
目の前にいるのは、神話に語られる六龍の一柱。
それでも彼女の声からは、俺たちを拒むような冷たさは微塵も感じられなかった。
そして、黄金の瞳がふと俺へ向けられる。
その視線に、身体がわずかに強張った。
白龍は立ち上がると、玉座の前へ一歩進み出た。
「……私は白龍――六龍の一柱にして、この国を護る者」
その言葉に背筋を正し、俺も名を告げる。
「カケルといいます」
白龍の瞳が柔らかくなる。
「カケル、どうか恐れることはありません。私は人の世に寄り添う龍。ここにいるのは、皆を見守るためなのです」
その言葉に、胸に残っていた緊張がほんの少しほどけていく。
神話に語られるほどの存在が、こうして穏やかに語りかけてくることが、どこか現実離れして感じられた。
「本当の姿をお見せできなくて、ごめんなさいね」
白龍はふっと微笑みを浮かべた。
「本当の姿……ドラゴンの姿ってことですか?」
「ええ。私たち六龍は本来、天を覆うほどの身を持つ存在。けれど魔王アビスの力には抗えず、今はこの人の形でしか在れないのです」
その声は変わらず穏やかだった。
言われて改めて周囲を見回す。
天井は遥かに高く、立ち並ぶ柱も人のために造られたとは思えないほど巨大だった。
目の前にいるのは、今こそ人の姿をしているものの、本来は天を覆うほどの龍なのだ。
そう考えると、改めてその存在の大きさを思い知らされる。
白龍は俺たちを見渡し、言葉を続けた。
「……我々六龍の話は、すでに我が守り人から大まかに聞いたと思われますが――」
そう言って、白龍は隣に控える守り人へと視線を向ける。
守り人はそれに応えるように、頭を垂れた。
そして白龍は再び俺たちへ向き直る。
「赤龍は炎を、青龍は水を、黄龍は大地を、緑龍は緑を、黒龍は夜を司り、この大陸に均衡をもたらしてきました」
白龍はそこで一息つき、穏やかな声音で続ける。
「そして私は、人と龍の歩みを繋ぐ役目を担ってきたのです。人が安寧を得られるよう、龍たちが道を誤らぬよう……その橋渡しをすることが、私の務め」
その言葉を聞き、白龍が人と龍の間を取り持つ存在なのだと改めて理解する。
「……けれど、その均衡は揺らぎつつあります」
それまでの穏やかな声音が、わずかに低くなる。
「……今、人と龍の在り方をめぐる意見は裂けているのです。赤龍と黄龍は人との距離を保つべきと主張し、青龍と緑龍は歩み寄りを重んじています。ですが、黒龍はそのどちらにも背を向け、会合にも姿を見せず……ただ沈黙を続けているのです」
誰も口を挟まない。
静まり返った広間に、白龍の声だけが響いていた。
「……黒龍はただ沈黙しているだけではありません。あの闇は、時に自らの理をも超えて暴走し、人も龍も区別なく呑み込むのです」
その言葉に、背筋が冷える。
人も龍も区別なく呑み込む――その意味を考えるだけで、嫌な予感がした。
「……他の龍がいかに意見を違えようとも、それはまだ〝理〟の上に成り立つ議論。ですが黒龍は、理そのものを踏み越え、無秩序をもたらす存在。あの闇が目覚めれば、人と龍の間に亀裂が生じるどころか……大陸そのものが崩壊に向かうでしょう」
白龍の黄金の瞳が、まっすぐに俺へ向けられる。
「だから――あなたの力を借りたいのです」
「俺の力を? でも、どうやって……」
思わず問い返す。
俺に何をさせようというのか、まるで見当がつかない。
「少々荒療治ですが……黒龍と戦ってほしいのです」
「黒龍と……!?」
予想もしなかった言葉に、息が詰まる。
「ええ。倒すまでいかずとも、弱らせることができれば、私が黒龍を封印します」
「そんな無茶です!」
リリアが声を張り上げた。
隣を見ると、その手はきつく握りしめられている。
「いくらカケルでも、龍を相手に戦うなんて……!」
白龍はリリアへ視線を向けた。
「案じなくても大丈夫です。貴方のその力があれば、黒龍とも渡り合えるでしょう」
「……俺の力を、ご存じなんですか?」
「この大陸に貴方が来た時から、私はあなたと、その力の存在を感じ取っていました」
「俺が、この大陸に来た時から……?」
「それほど強大な力なのです。なぜなら――」
白龍は一度言葉を切り、まっすぐに俺を見つめた。
「……おそらく、その力は先代魔王のものなのです」
「先代……魔王?」
思いもよらない言葉に、すぐには意味を理解できなかった。
「っ……!」
隣でリリアが小さく息を呑んだ。
見ると、その表情は強張っている。
「先代魔王とは――アビスの前に君臨していた存在。その身に溢れる闇で、この世を破壊と混沌に陥れようとしていました」
この世界を破壊しようとした存在。
その力が、俺の中にあるというのか。
「けれど、先代魔王も最後には討たれました。にもかかわらず、その残滓がこうして形を成しているのです」
白龍はわずかに間を置いた。
「……魔王アビスも、その正体に薄々気づいているでしょう。あえて泳がせているのかもしれません」
「なっ……! どうして、そんなことを……!」
思わず声が漏れる。
もし白龍の言う通りなら、アビス様は俺の中にある力に気づきながら、何も告げずにいたことになる。
「泳がせるだと……!? じゃあ、アビス様は最初からカケルを――」
ライアが言葉を詰まらせる。
「そんな……まるで、カケルがどうなるか見ているみたいじゃない……」
セレナも信じられないといった様子で目を見開いていた。
エリシアは何も言わず、表情を曇らせる。
「……魔王め。何を考えている」
ヴァネッサが低く呟いた。
「違う! アビス様はそんな方じゃない! ……きっと何か考えがあってのことよ!」
リリアの鋭い声が広間に響いた瞬間、場が凍りついた。
先ほどまで口々にアビスを非難していた仲間たちが、一斉にリリアへと視線を向ける。
ライアは拳を握ったまま固まり、驚きに目を見開いた。
セレナは険しい眉を寄せ、言葉を飲み込むように唇を噛む。
ヴァネッサでさえ目を細め、エルザとエリシア、トーラも言葉を発さない。
その視線を一身に受けても、リリアは一歩も退かなかった。
「……皆、気を静めなさい」
白龍は間を置かず、言葉を重ねた。
「これはあくまで、私の推測の域を出ません。確たる証があるわけではないのです」
――リリア。
あれだけはっきりとアビス様を庇う姿を見れば、リリアが彼女を信じていることは俺にもわかる。
俺はアビス様のことを、まだほとんど知らない。
白龍の話だって、あくまで推測にすぎない。
なら、今ここで決めつけるべきじゃない。
少なくとも、リリアがあれほど信じている相手を、疑うことだけはしたくなかった。
白龍は再び俺たちを見渡し、言葉を継ぐ。
「……だからこそ、あなたの力が必要なのです、カケル」
その一言の重みが胸に沈み、息が詰まる。
きっと黒龍との戦いは苛烈を極めるだろう。
その時、俺の中の“闇”がまた抑えきれなくなるかもしれない。
そんな恐怖が脳裏をよぎる。
もし暴走すれば、仲間たちすら傷つけかねない。
足がすくむような想像が、心臓を強く締めつけた。
けれど、俺の力が黒龍を止めるために必要だというのなら。
リリアをはじめ、共に歩んできた仲間を、そしてこの国を護るために。
「……わかりました」
声は震えていたが、確かな意思を込める。
「やります。黒龍と戦います」
その瞬間、仲間たちが一斉にざわめいた。
しかしそのざわめきを、ひときわ鋭い声が裂いた。
「カケル! ダメよ!」
リリアの声に、思わず振り向く。
その瞳が揺れているのを見て、一瞬、胸が揺らいだ。
それでも――俺は笑みを作ってみせた。
「大丈夫さ。俺には、皆がいるから」
仲間たちに視線を巡らせ、最後にリリアをまっすぐ見つめる。
リリアは何か言いたげに俺を見つめていたが、それ以上は何も言わなかった。
白龍の黄金の瞳が、再び俺を捉える。
「決意を示してくれたこと、感謝します」




