一つ目鍛冶師の秘めたる強さ②
ライアと名前を交わしてからの日々は、静かに形を変えていった。
訓練場へ行けば、必ずライアがいた。
剣が振られる音は、鍛冶場で聞く槌の音とは違う。
もっと荒々しくて、途切れそうで、それでも途切れない音だった。
少し離れた場所に腰を下ろし、その音を聞き続けた。
土が舞い、風が汗を運び、夕日が地面を赤く染める。
ライアが立ち、倒れ、また立つ――
その繰り返しが、毎日決まった儀式のように感じられた。
会話と呼べるほどの会話はなかった。
「また来たのか、エルザ」
「……うん」
「今日も見てるだけか?」
「……うん」
短い言葉がぽつりと落ちて、沈黙が続く。
けれど、その沈黙は嫌ではなかった。
火のそばとは違うけれど、落ち着ける静けさだった。
鍛冶場にも相変わらず通った。
鉄の匂いと火の熱は、身体の奥まで染みついていた。
訓練場と鍛冶場。
二つの場所が、いつの間にか私の日常になっていた。
そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
――その日までは。
訓練を終えた帰り道。
西の空は茜色で、影が長く伸びていた。
気づけば、口を開いていた。
「……ライア。来て」
自分でも驚くくらい突然だった。
胸が跳ねて、息が少しだけ詰まった。
ライアは足を止め、こちらを振り返った。
額には汗が光り、息はまだ荒かった。
その顔に、不思議そうな色が浮かんだ。
「お前の家か?」
「……うん」
家に誰かを連れて帰るなんて、考えたこともなかった。
でも、その一歩を止める理由もなかった。
鍛冶場の扉を開けると、熱がどっと流れ出た。
火の赤が壁を揺らし、鉄の香りが鼻を刺す。
ライアは目を丸くした。
「すげぇ……これ、全部……?」
無言で頷いた。
喉が熱くなり、言葉が出なかった。
気づいたら、手が動いていた。
壁に掛かった、子ども用の小さな槌。
手に取ると、柄の木が少し汗ばんだ掌に馴染んだ。
「……見てて」
その言葉は、震えていた。
母の背中を見続けてきた。
槌の振り方も、鉄の置き方も、火への近づき方も。
頭では知っている。
ただ、一度も自分の手でやったことはなかった。
台に赤く焼けた小さな鉄片を置く。
熱は顔にまで届き、肌を刺すようだった。
槌を握り、腕を振り下ろす。
カン。
軽い音。けれど手首に重く響く。
もう一度。
強く。もっと強く。
カンッ。
火花が散った。
熱が跳ね、指先に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
槌が手から離れ、音を立てて落ちた。
手の甲に赤みが広がっていくのが見えた。
焼けるような疼きが脈を打った。
涙が勝手に滲んだ。
痛みだけじゃない。悔しさとも違う。
胸の奥がぐしゃりと潰れるような、どうしようもない感覚。
「お、おい! 大丈夫か!?」
息を呑む音とともに、ライアが駆け寄った。
声を出そうとしても、喉が震えて音にならなかった。
涙が頬を伝い、視界が歪んだ。
情けない。恥ずかしい。逃げたくなる。
でも、足は動かなかった。
首を横に振った。
「……まだ、やる」
「無理だろ! 火傷してるんだぞ!」
心配する声だった。
怒っているようにも聞こえた。
それでも、掌をぎゅっと握った。
「……やる」
理由は言えなかった。
言葉にできなかった。
ただこの場所を離れたくなかった。
それでも、槌に手を伸ばした。
泣きべそをかき、火に怯え、痛みに震えながら――それでも立とうとする自分がいた。
ライアは大きく息を吐き、呆れたように、それでもどこか温かい声で言った。
「……変な奴だな。ほんとに」
その言葉に、不思議と気持ちが軽くなった。
鍛冶場の火が揺れ、その赤が私たちの影を重ねた。
世界がほんの少しだけ動いた気がした。
◇ ◇ ◇
ある日の夕方、鍛冶場の火が落ちると、家の中には静かな匂いが満ちた。
鉄ではなく、煮込みの香り。
鍛冶の音ではなく、皿が触れ合う小さな音。
家族で囲む食卓には、火の前とは違う温度があった。
お父さんは大きな声で笑い、湯気の立つ皿を運んでくれた。
お母さんはいつものように無言で席に着き、手を合わせた。
「いただきます」
三人の声が重なり、少しだけ温かい空気が流れた。
しばらくして、お父さんがふと私を見た。
「そういやエルザ。最近、訓練場によく行ってるみたいだな」
スプーンを持った手が止まり、胸が少しだけ跳ねた。
「……見てるだけ」
そう答えると、お父さんは目を丸くした。
「ほう? 誰をだ?」
すぐに名前が浮かんだ。
言うのは少しだけくすぐったかった。
「……ライア」
「ライア? ああ、あのリザードマンの娘さんか!」
お父さんは嬉しそうに笑った。
「よかったじゃないか! 友達ができて!」
“友達”
その言葉が、胸の奥にぽつりと落ちた。
友達と言えるのか、わからなかった。
一緒に遊ぶわけでも、笑い合うわけでもない。
ただ隣にいて、同じ時間を過ごしているだけ。
でも――嫌じゃなかった。
言い返せずに黙っていると、お母さんが言った。
「……あの子は強い」
それは評価でも褒め言葉でもなく、ただの事実のように聞こえた。
「強くなる」
もう一言続けた。
その声音には、迷いがなかった。
「だろうな! あんな気迫の顔してりゃ、伸びるに決まってる!」
笑いながら自分の事のように誇らしく語るお父さんとは違い、お母さんの目には、火を見るときと同じ真剣な光があった。
そして、言葉が落ちる。
「強くなる者には――相応しい刃が要る」
胸が微かに揺れた。
刃。剣。鍛えるもの。
お母さんは料理に視線を落としながら、息を吐いた。
「……いつか、あの子の剣を打つことになる」
その一言は、まるで予告のようだった。
鉄が熱を帯び始める瞬間のように、胸の奥が熱を孕んだ。
ライアの剣を私が打つ。
理由はまだ言葉にならなかった。
でも、火が灯ったのがわかった。
その夜、食卓のあたたかさとは別に、心の内で赤い火が小さく揺れていた。




