そのリザードマンは強さを知らない①
私は誇り高き戦士の血を継ぐ、リザードマンの魔物娘――ライアだ。
リザードマンと言えば、昔は沼地に暮らし、全身が鱗に覆われた、まさに“トカゲそのもの”だったらしい。
力こそ価値。戦いこそ誇り。
物心ついた頃から、そういう種族なのだと聞かされてきた。
けれど時代は変わった。
魔王が代替わりしてからというもの、リザードマンは全員が女となり、姿も人間に近い“魔物娘”の形へと変容した。
もちろん今でも沼地に住む者たちはいる。
誇りを守り、伝統を貫き、古き戦士の在り方を続けている同族も少なくない。
その一方で、新たな生き方を選ぶ者もいる。
人間と恋に落ち、手を取り合い、人里へ移り住む者も現れた。
私の母も、その一人だ。
◇ ◇ ◇
母は沼地の生まれで、生き方も昔ながらのリザードマンそのものだった。
厳格。容赦なし。強さこそ誇り。
物心ついた頃には、私はもう木剣を握らされていた。
「戦士に休みはない。立て、ライア」
幼い私には、その言葉が怖かった。
木剣は重く、足は震え、それでも母は何度倒れても私を立たせた。
泣きそうになっても、手加減は一度もなかった。
正直――訓練中の母は嫌いだった。
いや、嫌いだと思い込もうとしていた。
そうでも思わないと、心が折れてしまいそうだったからだ。
けれど訓練が終わると、家の中にはいつも優しい匂いがした。
台所から漂ってくる、焼き菓子の甘い香り。
父が、ぶきっちょな手つきで焼いたお菓子を、嬉しそうに皿へ並べている。
「ほらライア、頑張ったご褒美だ」
母は腕を組んでそっぽを向く。
「甘やかすな。戦士は己を律してこそだ」
口ではそう言うくせに、父に押し切られると、ほんの少しだけ口元がゆるむ。
その瞬間の母を見るのが、私は好きだった。
怖くて、厳しくて、近寄りがたいはずなのに。
あの笑みだけは、なぜか胸が温かくなった。
甘い菓子をほおばり、父に頭を撫でられながら、小さく息をついた。
「……強くなりたい」
それが、幼い私の最初の願いだった。
訓練場の端には、いつも一人の少女がいた。
歳は私と同じくらい。
小柄で静かな少女。
その大きな一つ目だけが、じっとこちらを見ていた。
動かない。声も出さない。
助けるでも、笑うでもなく、ただ見ているだけ。
最初は気味が悪いと思った。
けれど不思議と、あの一つ目に見つめられると背筋が伸びた。
彼女の名は、エルザ。
サイクロプスの魔物娘で、近所で鍛冶屋を営む家の娘だと後で知った。
訓練が終わったある日、母がふと空を見上げながら言った。
「――いつかあの子に、剣を打ってもらうことになるだろう」
唐突な言葉だった。
汗ばんだ手を握りしめた。
エルザはまだ小さく、とても剣を打てるような少女には見えなかったのに。
母は続けた。
「戦士には、己の刃を託せる相手が必要だ。あの子は……折れん目をしている」
その時は意味がよく分からなかった。
けれど、エルザの視線だけは忘れられなかった。
言葉も交わさず。距離も縮まらず。
ただ、あの一つ目だけが私を見つめ続けていた。
あれが――私とエルザの、最初の関係だった。
◇ ◇ ◇
ある日の訓練が終わると、母は背を向けて家へ戻っていった。
「休むなよ。戦士はそこで止まったら終わりだ」
それだけ言い残して。
正直、膝はもう笑っていた。
腕も痛いし、喉は焼けるように乾いている。
でも――やめたくなかった。
母に言われたからじゃない。
自分で決めたんだ。
“強くなりたい”って。
夕暮れの訓練場に、木剣を振る音だけが響く。
何度も足がもつれ、倒れ込みそうになりながら、それでも立ち上がる。
ふと視線を横に向けた。
――いた。
訓練場の端。いつもの場所に、無言で立つ少女。
大きな一つ目が、まっすぐこっちを見ている。
今日も喋らない。笑わない。
ただ――見ている。
妙に落ち着かなかった。
(なんなんだ、あいつ。ずっと……)
足が勝手に前へ進んでいた。
汗で湿った手で木剣を握りしめたまま、彼女に向き合った。
「……なぁ。ずっと見てるけど――何が楽しいんだ?」
自分でも驚くくらい、声が震えていた。
少女は瞬きもせず、その場に立っていた。
風が草を揺らす音だけが耳に残る。
長い沈黙。
やがて、小さな唇がかすかに動いた。
「……強い」
たった、それだけ。
思わず眉を寄せる。
「強くなんか、ない。全然だ」
少女は小さく首を横に振った。
「……立つ。何度も」
その言葉が痛いほど胸に刺さった。
何も返せず、その場に立ち尽くした。
ずっと勘違いしていたのかもしれない。
エルザは私が倒れるところではなく、その後を見ていた。
何度倒れても、また立ち上がるところを。
呼吸が少しだけ楽になった気がした。
「……お前、名前は?」
「……エルザ」
それだけ答えると、エルザはまた黙り込んだ。
けれど、もう十分だった。
夕暮れの土の匂いと、汗の味と、交わしたわずかな言葉。
それが、私とエルザの“最初の一歩”だった。




