この拳は守る為に④
最後の監督官が倒れ、広場に静寂が落ちた。
誰も声を出さない。誰も動かない。
息は荒い。
拳も震えてる。
身体中が痛ぇ。
なのに、それ以上にこの沈黙がやたらと重かった。
……問題は、ここからだ。
“武力禁止”。
アタイはそれを破った。
後悔はしてねぇ。
けど、これで終わるはずもない。
このままじゃ、連中の親玉が来て、もっと酷い仕返しをされる。
皆も、この先に何が起こるのか怖ぇんだろう。
そう思っていた、そのとき――小さな足音が聞こえた。
誰かがアタイの方へ駆け寄ってくる。
「トーラっ!」
鉱山で働いてる少年だった。
身なりは汚れてて、腕も細い。アタイと比べりゃ、ずっとちっこい身体だ。
それでも、まっすぐアタイの前まで走ってきて、ぎゅっと服の裾を掴んだ。
「……ありがとう。あんたが来てくれなかったら、俺……死んでたよ」
胸にズンッと響いた。
ああ……“守れた”んだ。
その実感が、ようやく胸の奥に落ちてきた。
その声をきっかけに、周りの人たちが少しずつ口を開き始めた。
「トーラ、よく……やってくれた……」
「監督官を倒したなんて……信じられねぇ……」
「規律破りでもなんでもねぇ! 助けられたんだ、俺たちは!」
皆の言葉が次々と飛んでくる。
なんだか、胸の奥がむず痒かった。
(アタイ……必要とされてんのか?)
そんなこと、今まで一度だって思ったことがなかった。
“ただ力があるだけのミノタウロス”
“暴れないように縛っておくべき危険な獣”
そんな扱いをずっとされてきた。
でも今、皆がアタイを見る目は違ってた。
……怖がってるんじゃない。
アタイに“ありがとう”って言ってくれてる目だった。
そこへ、倒れていた監督官たちのうち数人が、のろのろと起き上がった。
倒れた仲間を引きずるようにして、じりじりと退いていく。
「いずれ……報いを受けるぞ……」
「……本部に報告だ……」
そう吐き捨てて、赤い外套の連中は朝の光の中へ消えていった。
アタイは追いかけようとは思わなかった。
もう、あいつらに怯えて引き下がるつもりはねぇ。
この町には、守りてぇもんがあるんだから。
そこへ、レオンが後ろから歩いてきた。
顔に埃と汗がついてたけど、目だけがやけに澄んでいた。
「……本当に、やったんだな。トーラ」
「……悪かったな。結局、拳に頼っちまって」
「いいんじゃないか?」
「……は?」
レオンはふっと笑った。
「俺は拳を使うななんて、一度も言ってないだろ」
「…………」
「必要な時に、必要なことをした。それがお前にできるやり方だったんだろ?」
その言葉に、思わず顔をそむけた。
「……ったく。そういう言い方、ずりぃんだよ」
照れくさかった。
でも――悪くなかった。
その日のうちに、管理者の間で混乱が起きた。
“武力禁止”の規律が破られ、“監督官が労働者に負けた”という事実は、隠しようがなかったらしい。
町のあちこちで噂が飛び交い、今まで何をされても黙っていた奴らまで、その話をするようになった。
長い間、誰も逆らえなかった秩序に、小さなヒビが入ったんだ。
(……これ、アタイがきっかけなのか?)
なんだか、まだ実感が湧かなかった。
でも、この日を境に何かが変わり始めた。
アタイも、この鉱山も。
◇ ◇ ◇
次の日、鉱山はいつもより静かだった。
いや、静かすぎた。
まるで、鉱山そのものが息を潜めてるみたいだった。
労働者たちは持ち場に向かわず、広場に集まっていた。
誰も動こうとしない。
誰も、あの坑道に入ろうとしない。
(……そりゃそうだよな)
あの赤の監督官どもがやられたって話は、一晩で鉱山中に広がった。
昨日までみたいに、何もなかった顔で働ける奴なんていなかった。
いつもなら管理者がすぐ怒鳴り込みに来る。
でもこの日は違った。
広場にいた全員がざわつき始めた頃、上にある管理者小屋から一人の老人が降りてきた。
この町で一番偉くて、一番嫌われてる鉱山責任者だ。
拳を握りしめる。
するとレオンが、『まずは話を聞け』とでも言うように目で合図してきた。
老人は咳を一つし、皆の前に立って言った。
「……本日をもって、この鉱山は“閉鎖”とする」
ざわっ、と広場が揺れた。
「設備が老朽化し、安全を確保できん。それに……昨日の件もある」
“昨日の件”。言い方がやけにぼかしてある。
(……昨日のことで、もう今まで通りにはいかねぇってことか)
責任者は続ける。
「監督官たちも戻らず、これ以上の運営は困難だ。住民は各々、今後の生活について話し合うように」
周りを見れば、誰もが呆然としていた。
だけど、誰も嘆いてはいなかった。
むしろ、長い長い鎖が外れたみたいに、少しずつ表情がほぐれていく。
そんな中、レオンがアタイの隣までやってきて、小声で言った。
「……まさか、本当に閉鎖するとはな」
「アタイだって、ここまでなるとは思ってなかったよ」
「でも、きっかけは間違いなくお前だよ、トーラ」
「……アタイが?」
「ああ。昨日、お前が監督官を倒した。それで全部がひっくり返ったんだ」
レオンは空を見上げながら続けた。
「さて……大変なのはここからだ」
「どうすんだよ、これから」
「ああ。鉱山が閉まっちまった以上、今度は俺たちでこの町を作り直さなきゃならない」
そう言って、レオンは集まった人たちを見渡した。
不安そうな顔の中に、どこか期待しているような表情も見えた。
それを見た瞬間、アタイの胸がドクッと鳴った。
(――この場所、変わるんだ)
鉱山に縛られた場所じゃなくて、誰も殴られずに暮らせる町になる。
レオンが広場の中央に立ち、声を張った。
「聞いてくれ! 鉱山は閉鎖された。でも、ここで終わりじゃない。ここから俺たちの手で、この町を作り直すんだ!」
ざわついていた人たちが、ぴたりと静かになった。
「この町を、家族が安心して暮らせる場所にする。誰も殴られず、怯えず、“生きていい”と思える場所に変えるんだ!」
その言葉を聞いて、思わず拳を握った。
(アタイが……守りたいって思った場所じゃねぇか)
やがて何人かが「やろう」と声を上げた。
それに続いて、「賛成だ」「俺も手伝う」と声が次々に上がる。
気がつけば、さっきまでの重苦しい空気が嘘みたいに、広場は皆の声でいっぱいになっていた。
レオンがアタイの方を見て、にやっと笑った。
「――で、トーラ。お前も手伝ってくれるよな?」
「へっ……当たり前だろ」
答えるのに迷いなんてなかった。
「ここは、アタイが守りてぇって思った場所だからな。放っとけるわけねぇだろ」
レオンは嬉しそうに頷いた。
こうしてヴァルハールは、鉱山だけの町じゃなくなった。
ここから、新しい町づくりが始まったんだ。




