この拳は守る為に③
夜明け前、鉱山の入口で怒鳴り声が響いた。
「“赤の監督官”が来たぞ!」
嫌な予感なんてレベルじゃなかった。
あの連中が動く時は決まってる。
“規律を破った奴を見せしめにする時”だ。
胸の奥がざわついて、廃坑へ駆けた。
レオンたちが慌ただしく荷物をまとめている。
「おい、レオン! なにがあったんだよ!」
「……密告された。俺たちの“自主修繕”が反乱だと見なされたらしい」
ハーピーの娘は震え、ドワーフの女も青ざめていた。
「逃げるのか?」
「ああ。捕まれば拷問だ。それに――“武力禁止”の規律、知ってるだろ?」
もちろん知ってる。労働者が監督官に手を上げたら終わり。
特にミノタウロスのアタイなんて、“例外なく処罰対象”だ。
強すぎるから、だとよ。
笑えねぇ理由で縛られてる。
「お前が監督官に手を出したら、連中は間違いなくお前を“見せしめ”にする」
歯を食いしばった。
逃げる……か。頭じゃわかる。
命を守るためには正しい選択だ。
でも、それをアタイ自身が許せなかった。
「……じゃあよ。あんたらが逃げた後、ここに残る連中は誰が守るんだ?」
レオンは黙った。
その沈黙が逆に答えみたいで腹が立つ。
「逃げるのが悪いとは言わねぇよ。けどな……アタイは、また“目の前で泣いてる奴”を見捨てられねぇんだ」
拳を振るえず、苦しむ奴らをただ見てるしかなかった。
あの時の悔しさが、今も胸に残ってる。
二度と、あんな思いはしたくなかった。
レオンはゆっくりとアタイの肩を掴んだ。
「……トーラ。行くなら、帰ってきてくれ。無茶だけはするな」
その言葉が胸の奥で熱く響いた。
もう、迷いはなかった。
廃坑を飛び出した瞬間、鉱山の外に“赤の監督官”どもが見えた。
棍棒を振りかざし、怯える労働者たちに襲いかかっている。
悲鳴が響く。誰も抵抗しない。
“武力禁止”の規律が全員を縛っている。
でもアタイは――違う。
未来がどうなるかなんて知ったこっちゃない。
でも“今、この瞬間”を見捨てるくらいなら――そんな未来なんてクソくらえだ。
「来いよ……! ここは、アタイらの“生きていい場所”だっつってんだ!!」
拳に力を込める。
今度は、壊すためじゃない。
アタイが駆け出すと同時に、“赤の監督官”の一人がこちらを振り向いた。
真っ赤な外套に、棍棒みたいな武器を持ってやがる。
腕は太く、目は血走っていて、見るからに腕っぷしの強そうな奴だった。
その外套が目に入った瞬間、胸の奥が熱くなった。
ドクン、と鼓動が跳ねる。
身体が勝手に戦いを求めて、拳に力が入る。
――昔と同じだ。
でも、今は違う。
「……てめぇ、ミノタウロスの女か」
アタイを見るなり、口の端が吊り上がる。嫌な笑みだった。
「労働者が逆らう気か? 規律違反だぞ?」
“武力禁止”。あのクソみたいなルール。
「……黙れよ」
足を止めずににらみ返す。
「規律だなんだって、暴れる口実にしてんのはどっちだよ?」
赤の監督官は一瞬キョトンとしたが、すぐに顔を歪めた。
「いい度胸だ……! まずはてめぇから見せしめだ!」
棍棒が振り上げられた刹那、アタイは地面を蹴った。
踏み込み、拳を固め、思い切り顎めがけて打ち上げる。
「ッ……!!」
硬い感触。拳が軋む。手首が痛い。
でも――倒れたのは、あいつの方だった。
監督官の身体が大きく仰け反り、そのまま地面に倒れ込む。
周囲がギョッと息をのんだ。
誰も……誰も、見たことがないんだ。
“労働者が監督官を倒すところ”なんて。
拳が震えたのは、恐怖じゃない。
ようやく、この拳を振るえた――その安堵だった。
「まだだ……!」
他の監督官が吠えて、一斉にアタイへ向かってくる。
多勢に無勢だ。武器も持ってない。
まともに受ければ命はない。
でも後ろを振り返ると、怯えた仲間たちが壁際で震えていた。
何度も見てきた光景だ。
誰も声を上げちゃいない。
それでも、助けを求めてるのはわかった。
守りてぇ――アタイは、誰かを守りたいんだ!
棍棒が振り下ろされる。
横に飛んでかわし、そのまま地面を蹴って反撃に出る。
「おらぁあっ!!」
腹へ拳を叩き込み、続けざまに別の奴の足を払って転ばせる。
さらに横から振ってきた棍棒を腕で受け、その勢いを逸らして体当たりを食らわせた。
痛ぇし、腕が痺れるし、呼吸が乱れる。
けど倒れねぇ!
だって今、アタイの背中には“守りたい場所”がある。
監督官たちは怒号を上げながら潰しにかかるが、動きが荒い。
無駄に力んでいて、隙だらけだ。
鉱山で毎日身体を動かしてきたアタイのほうが、よっぽど身軽に動ける。
連中の攻撃をかわすたびに、身体の奥から力が湧いてくる。
「……来いよ。今のアタイは止まらねぇぞ!」
最後の一人が棍棒を振り上げ、正面から突っ込んできた。
その場で踏ん張り、息を吐き――拳をまっすぐ突き出した。
「うおおおッ!!」
鈍い音とともに相手が後ろへ吹っ飛び、地面に転がった。
そのまま起き上がってこない。
風の音すら止まったように感じた。
アタイは拳を見下ろした。
血がにじんでる。震えてる。
でも、後悔なんて一つもねぇ。
「……これが、アタイの答えだよ」
今日、アタイは“規律”を破った。
でもそれ以上に――この拳を何のために振るうのか、自分で決めた。




