この拳は守る為に②
拳を封じられてからの日々は、正直、アタイにとって地獄だった。
暴力沙汰が起きても、目の前で弱い奴が無茶な仕事を押しつけられても、胸がカッと熱くなっても――殴れない。
殴ったら、班のみんなの時間が倍になる。
アタイのせいで、誰かが倒れる。
そんなの、やりたくてもできるかよ。
だからある日、アタイはただ立って見ていた。
力の弱いインプの子が、大人の人間に無茶な荷物を押しつけられているのを。
殴りたい。助けたい。でも、殴れない。
拳を握ったまま動けずにいたら――そのすぐ横で、別の男が動いた。
「おい、やめてやれよ。荷物の重さと体の大きさが釣り合ってねぇだろ」
声は落ち着いているのに、妙に強かった。
振り返ると、痩せて、ひょろっとした人間の男がいた。
華奢で、鉱山労働者って感じじゃない。
なのに、目だけは澄んでいて強ぇ。
人間なのに、アタイには妙に気骨のある奴に見えた。
「うるせぇ、仕事だろ!」
「仕事でも限度がある。無茶させて潰したら、誰が得する?」
淡々としたその声に、一瞬だけ空気が張り詰めた。
周りの魔物娘たちがひそひそと話し始める。
「あの人、また言ってる……」
「やめろよ……管理者に目つけられるぞ……」
“また”?
――つまり、こいつは何度も言ってるってことか。
興味が湧いたアタイは、つい声をかけちまった。
「アンタ、バカなのか? そんなの言っても状況変わんねぇよ」
「バカかどうかはさておき、黙って見てるのは性に合わないんだ」
その男は、へらっと笑った。
軽い笑い方なのに、その目には迷いがなかった。
「俺はレオンだ。この鉱山、変えられると思ってる人間だ」
「……は?」
何言ってんだこいつ。
アタイの反応なんて気にも留めず、レオンは続けた。
「逃げるのもいい。でも、逃げた先に何がある? ここを“生きていける場所”に変えりゃあ、話は早い」
人間のくせに、夢みてんじゃねぇよ――そう吐き捨てるつもりだった。
だけど、アタイの口は動かなかった。
こいつの目が、昔のアタイみたいにまっすぐだったからだ。
こんな荒んだ町を前にしても、それでも“前を向こうとしてる”目。
なんだよ。
そんな目で言われたら、胸がチクリと痛ぇだろ。
レオンはインプの子を立たせ、服についた埃を払ってやりながら言った。
「一人じゃ無理でも、何人かいれば変えられる。あんたも、そう思ったこと、あるだろ?」
……あるよ。あるに決まってる。
アタイは、ずっとそれを拳でやろうとしてた。
でも、その拳を封じられた今、どうしていいかわかんなくなってた。
だから何も言わなかった。
だけど胸の奥で、何かが小さく揺れた。
“拳じゃなくても、やり方はあるんじゃねぇか?”
そんな、生意気な希望みてぇなものが。
◇ ◇ ◇
「……集会?」
眉をひそめると、レオンは肩をすくめて笑った。
「でっかい革命じゃない。ただの寄り合いみたいなものだよ。みんなの困ってることを話し合うだけ」
“寄り合い”って軽く言ってるけど、この鉱山でそんなのが見つかったら、管理者たちは“反乱の芽”として即潰しに来る。
「バレたら全員しょっ引かれるぞ」
「ああ。だから、慎重にやる」
なんで笑ってられるんだ、こいつは。
レオンの誘いなんて断るつもりだった。
今までのアタイには拳ひとつで十分だったし、誰かに頼ろうとも思わなかった。
――だけど、今のアタイは拳を振るえない。
そのせいで、守りたいものひとつ守れずに立ち尽くした自分が嫌だった。
「……で、その集会ってのは、どこでやってんだ?」
「来る気になったか?」
「見るだけだ。勘違いすんな」
レオンは何がおかしいのか、楽しそうに笑った。
結局その日の夜、アタイはレオンについていっちまった。
鉱山の入り口から少し離れた、崩れた坑道跡。
今では誰も使わなくなった廃坑の奥だ。
小さなランタンの灯りに照らされて、数人の魔物娘たちと人間が輪になって座っていた。
そこにいたのは、ハーピーにドワーフ、スライム。それに人間の若い男と女。
誰も強くねぇ。誰も偉くねぇ。
なのに、みんなの目は真剣だった。
レオンが軽く手を上げる。
「今日も、ひとつずつ話していこう。どうすれば“明日が少しだけ楽になるか”」
「……明日?」
思わず声に出しちまった。
レオンがアタイの方を見る。
「そう。世界は一晩で変わらない。だから俺たちは、明日を少し変えるんだよ」
その言葉が、なぜか胸に突き刺さった。
アタイは拳で“全部ひっくり返す”方法しか知らなかった。
だけどレオンたちは、小さく、静かに、それでも確実に今より良くしようとしてる。
荷物の運び方を交代制にする。
休憩を少しずらして、人だまりの衝突を減らす。
管理者の目をごまかすため、簡単な合図を決める。
弱ってる奴がいたら、さりげなく助ける。
どれも地味で、くだらなく見える。
だけど誰も傷つけない。誰も罰せられない。
それでいて、確かに“良くなる”。
ハーピーの少女が言った。
「今日ね、水の配給、少しだけ均等になるようにしてきたの。多く取ろうとする人には、レオンが話してくれて……すっごく助かった」
「いい仕事だったな。おつかれ」
レオンは、それを当たり前みたいに褒めた。
……なんだこれ。
なんで、アタイの知らねぇ“強さ”がここにあるんだよ。
気がつけば、アタイも口を開いていた。
「……寝床の布、足りねぇ奴多いだろ。アタイ、縫い直すぐらいならできる。余ってる布集めてくれりゃ、直してやるよ」
一瞬、みんなの視線がアタイに集まった。
「いいじゃないか、トーラ。それが“明日を楽にする”ってやつだ」
レオンが嬉しそうに笑う。
なんだよ、その顔。
褒められ慣れてないからむず痒い。
でもその夜、布を縫いながら思った。
拳が使えなくても、やれることはある。
変えられるかもしれない。
この腐った鉱山を。この町を。
そう思えちまった自分が、なんか悔しくて、でも少しだけ誇らしかった。




