↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
101/129

蛇髪の少女と失われた光④

ティナはすぐに保健室へ運ばれた。

担架に乗せられた彼女の傍らで、私はただ、冷たくなりかけた手を握ることしかできなかった。


さっきまで一緒に笑っていたはずなのに、その身体は妙に軽く、握った指先から感じられる魔力もひどく弱々しい。


(……嫌だ)


胸の奥がぎゅっと縮んだ。


保健室の扉が開くと、薬草と消毒薬の匂いが鼻を刺した。

中は薄暗く、魔力灯がぼんやりと白い光を落としている。


「ベッドを空けなさい!」


担当教員の声に、他の生徒たちが慌てて身を引く。

ティナは一番奥のベッドへ運び込まれ、白いシーツの上にそっと横たえられた。


「脈はどうだ?」


「……安定しています。ただ、魔力の流れが……異常なほど弱いですね」


保健医の先生が眉をひそめ、ティナの額に手を当てる。

そして、短く診察の呪文を唱えた。


光がティナの身体をなぞっていく。

けれど、その光はすぐに弱まり、霧のように消えていった。


「やはり、魔力枯渇に近い状態です。ですが、通常の暴走や使いすぎとは違う……」


「原因は?」


担当教員の問いに、保健医は首を横に振った。


「今のところは断定できません。ただ――」


そこで一瞬、保健医の視線が私に向けられた。


「今は安静にするしかないでしょう。しばらく意識は戻らないと思います」


その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。


教師たちの会話が遠くなる中、私は椅子を引き寄せ、ティナの枕元に座った。

白いカーテンに区切られた狭い空間で、聞こえるのは彼女の静かな寝息と、魔力灯のかすかな唸りだけだった。


「……ティナ」


名前を呼んでも、返事はない。

握った手は冷たく、それでも柔らかな感触だけは、確かにそこに残っていた。


「どうしてよ……」


喉の奥が焼けるように熱くなる。


「どうして私なんかと組んだのよ。相性がいいって言われたからって、調子に乗って……一緒に連携なんてしなければ……」


本当はわかっている。

ティナは、そんなことで私を責めたりしない。


それでも、責めずにはいられなかった。

責める相手が、自分しかいなかった。


蛇髪たちも、力なく垂れ下がっている。

いつもならティナを見るだけで嬉しそうに揺れるのに、このときばかりは動こうとしなかった。


どれくらいの時間が経ったのか、わからない。

何人かの教師が様子を見に来ては、小声で何かを話し合い、難しい顔をして去っていく。

そのたびに、胸の奥にあった不安が、少しずつ形を持ち始めた。


(このまま目を覚まさなかったら――)


そこまで考えて、慌てて頭から追い払う。

そんなこと、あるはずがない。


少し休めば、きっと目を覚ます。

そうしたら、またいつものように笑って――。

けれど、握った手から返ってくるものは何もなかった。


◇ ◇ ◇


何日かが過ぎた。

ティナは、今も眠ったままだった。


朝に来て手を握り、授業が終わればまた様子を見に来る。

そして夜の見回りが始まるぎりぎりまで、傍にいる。

いつしか、それが私の日課になっていた。


「ねぇ、ティナ。今日の実技でね、先生に褒められたのよ」


眠る彼女に、わざと明るく話しかける。


「『お前の魔法は無駄がない』ですって。……ふふ、あんたの支援があれば、もっと凄かったのにね」


当然、返事はない。

それでも私は、今日あったことを話し続けた。


授業のこと。

先生に言われたこと。

蛇髪たちがまた勝手なことをしたこと。


くだらない話ばかりだった。

けれど、話していないと、自分が壊れてしまいそうだった。


そんな日々が続く一方で、学院で起きていた異変には変化が現れていた。


魔力測定器の部屋は、相変わらず閉鎖されたまま。

けれど、不調を訴える生徒は、いつの間にかいなくなっていた。


新たに倒れる生徒もいない。

異変は、ぴたりと止んでいた。

その事実が、何より怖かった。


――ある日の夕方。

いつものように保健室へ入ると、魔力灯の光の中に、見慣れない器具が置かれていた。


澄んだ水晶が埋め込まれた小さな台座。

魔力の残量を測るための簡易測定具らしい。


水晶から伸びた細い糸のような光が、ティナの胸元に触れている。


「状態を確認するためのものです」


傍にいた保健医が、静かに説明した。


「彼女の魔力が戻り始めれば、この水晶が光ります。逆に、完全に尽きた場合は――」


そこで保健医は言葉を切り、視線を逸らした。

その先を聞くのが怖くて、ただ無言で頷いた。


それから、どれくらいの時間が経っただろう。

椅子に座ったまま、握ったティナの手の冷たさを確かめるように、何度も指先に力を込める。


ティナの胸は、今もかすかに上下している。

それでも、その呼吸はひどく弱々しかった。


「……ティナ。起きてよ。あんた、まだ何も見てないじゃない」


いつか一緒に行こうと話していた場所。

まだ見たことのない、学院の外の世界。


支援魔法をもっと極めて、困っている人を助けたいと、夢みたいに笑っていた横顔。


全部、まだ途中のはずだった。


私が俯いていた、そのときだった。

かすかに、光が揺れた。


「……?」


顔を上げると、水晶が一瞬だけ淡い光を宿していた。


「……!」


思わず椅子から立ち上がる。

水晶の光は、鼓動するように弱く瞬いた。


一度。

そして、もう一度――。

次の瞬間、その灯りは跡形もなく消えた。


「……え?」


息をすることも忘れ、ティナを見つめる。


「ティナ……?」


呼びかけた声は、自分でも驚くほど小さかった。

返事はない。

さっきまでかすかに上下していたはずの胸も、もう動いていなかった。


静寂が落ちる。

蛇髪たちが、いっせいに動きを止めた。


「……先生」


掠れた声で保健医を呼ぶ。

先生はすぐにティナの状態を確認すると、深く息を吐いた。


「……ごめんなさい」


その一言だけで、すべてを理解した。

力が抜け、その場に崩れ落ちた。


涙は出なかった。

ただ、世界から少しずつ色が抜け落ちていくような感覚だけがあった。


(どうして……)


どうして、よりにもよってあんたなの。

どうして、あんたが連れて行かれるの。

心の中で何度問いかけても、答えはどこにもなかった。


ティナが命を落とした日を境に、学院内で起きていた異常は嘘のように消えた。


倒れる生徒はもう現れず、魔道具も正常な数値を示すようになった。

閉鎖されていた魔術理論室も、ほどなくして解放された。


学院は『原因不明ではあるが、事態は収束した』と発表した。


多くの生徒たちは胸を撫で下ろし、少しずつ日常へと戻っていく。

廊下には再び笑い声が響き、授業も以前の平穏を取り戻していった。


――ただ一人、私は何ひとつ戻る気にはなれなかった。


ティナの席は、空いたままだ。

教室の片隅に残された彼女の名札には、誰も触れようとしなかった。


◇ ◇ ◇


「……これを、君に渡したい」


ある日の放課後。

呼び出された教員室で、担当教員が小さな箱を差し出してきた。


「……これは?」


促されるまま蓋を開ける。

中には、細い銀色の輪と、水色の小さな石がはめ込まれたチョーカーが収められていた。


「ティナさんのご家族からだ。彼女が、いつも大事にしていたものだそうだ」


そっと指先で触れると、ひやりとした感触が伝わってくる。

首元に巻くには少し心許ないほど、華奢なつくりだった。


「……どうして、私に」


「彼女が生前、『もし自分に何かあったら、これをセレナに渡してほしい』と手記に遺していてね」


胸の奥が締めつけられた。

いつの間に、そんなことを考えていたのよ。


言葉が喉の奥までこみ上げてくる。

けれど、うまく形にはならなかった。


「……返しますと言っておいてくれませんか。こんなもの、いらないって」


震える声で、ようやくそれだけを絞り出す。

自分でも、何を言っているのかわからなかった。


本当は、手放したくないくせに。

先生は少しだけ目を細めると、首を横に振った。


「それでも、彼女は君に託したんだよ」


箱の中のチョーカーが、魔力灯の光を受けてかすかに輝いている。

唇を噛みしめ、そっと箱の蓋を閉じた。


◇ ◇ ◇


それから、いくつかの季節が過ぎた。


――旅立ちの日。


学院を発つ前に、理事長室へ呼び出されていた。


荷物はすでにまとめ終えている。

最低限の衣類と、いくつかの本。それだけで十分だった。


首元には、あの日受け取ったチョーカー。

いつから身につけるようになったのか、自分でもよく覚えていない。

今では、細い銀色の輪が肌に触れる感触も、すっかり当たり前になっていた。


理事長室の前まで来ると、一度だけ足を止める。

深く息を吸い、胸の内を整えてから、扉を叩いた。


「……失礼します」


「ええ、どうぞ」


返ってきた声は、穏やかだった。

扉を開けると、理事長は机の向こうの椅子に腰掛け、こちらを見て柔らかく微笑んだ。


人間のおばあちゃんのような見た目。

白髪をきちんとまとめ、小柄な身体ながら、その背筋はすっと伸びている。


威圧感はない。

それでいて、この学院を長く支えてきた者としての重みだけが感じられた。


「セレナ。まずは――卒業おめでとう」


「ありがとうございます」


形式的なやり取りのはずなのに、その声には確かな温かさがあった。

私は一礼し、勧められるまま向かいの椅子に腰を下ろした。

木製の椅子が、かすかに軋む。


理事長はしばらく私を見つめてから、ゆっくりと口を開いた。


「……旅立つと聞きました」


「はい……ここで学ぶことは、もうありませんから」


そう言い切った言葉は、半分だけ本心だった。

この学院で学べることは、十分に学んだ。


もっと広い世界を見てみたいという気持ちも、確かにある。

けれど、残りの半分は――ここに留まり続けることへの恐れだった。


ティナを失った、この場所に。

そして、まだ向き合いきれていない自分から目を逸らすための、言い訳でもあった。


理事長は、私の言葉を否定しなかった。

ただ、小さく頷く。


「そう思うのも無理はありません。貴女は、十分すぎるほどの成果を残しましたから」


首席卒業。

本来なら、胸を張って喜ぶべきことなのだろう。

けれど、その評価は今の私には、どこか遠いもののように感じられた。


喜びよりも先に思い浮かぶのは、白いシーツの上で眠るように横たわっていたティナの姿だった。

理事長は湯気の立つ茶を一口含むと、改めて私をまっすぐ見つめた。


「セレナ」


名前を呼ばれ、自然と背筋が伸びる。


「私は、貴女ほどの才を――ここで終わらせたくはありません」


穏やかな声音だったが、その言葉には確かな芯があった。


「院生として、もう一段階、魔法の研究をしてみませんか?」


「……研究、ですか」


「ええ。学院に残り、理論と実践の両面から魔法を掘り下げるのです」


理事長の言葉は穏やかだった。

けれど、それは説得でも、引き留めでもない。

ただ、私に新たな選択肢を差し出しているだけだった。


「でも……」


続く言葉を探しかけた私を、理事長は急かさなかった。

少しの間を置いて、静かに告げた。


「それは――ティナさんを失った原因の解明にも、繋がるかもしれません」


その瞬間、思考が止まった。


(……原因)


胸の奥に沈めていた記憶が蘇ってきた。


あの日の演習場。

突然歪んだ空間。

ティナから吸い上げられていった魔力。

そして――腕の中で、力なく崩れ落ちたティナの身体。


なぜ、あの場で。

なぜ、あの魔法で。

なぜ、彼女だったのか。


私は、そのどれにも答えを得られていない。


旅に出れば、時間と距離が、それを少しずつ曖昧にしてくれるかもしれない。

いつか、この痛みも薄れていくのかもしれない。


けれど、それは“忘れる”だけだ。

“理解する”こととは、違う。


無意識に、胸元のチョーカーへ指が伸びる。

指先に触れた冷たい金属の感触が、私を現実へと引き戻した。


(私は……このまま背を向けていいの?)


ティナがどうして命を落としたのか、その理由さえわからないまま。


(仕方なかったで終わらせて……本当に、それでいいの?)


胸の内でそう問いかけたとき、答えは驚くほど定まっていた。


「……わかりました」


自分でも不思議なほど、声は落ち着いていた。


「もう少しだけ、ここに残ります」


理事長はほっとしたように目を細め、柔らかく微笑む。


「ありがとう。できる限り支援はしますから――貴女は、自分が思うように学びなさい」


「……はい」


理事長の言葉は、重くも軽くもなかった。

ただ、これから進むための道を一つ、示してもらった。


◇ ◇ ◇


理事長室を出ると、廊下の空気が少しだけ軽く感じられた。

静かに閉まる扉の音を背にし、歩き出した。


向かったのは、学院の中庭だった。

そこは、いつもと変わらない静けさに包まれている。

石畳を渡る風が木々の葉を揺らし、その隙間から柔らかな陽光が降り注いでいた。


足を止め、空を見上げた。

高い空では、雲が形を変えながら流れていた。


こうして空を見上げていると、あの日、ティナと並んで夕空を眺めた時間が蘇ってきた。


「……ねぇ、ティナ」


声に出した名前は、風の中へ溶けていった。


「私は、逃げないわ」


答えは返ってこない。

それでも、言葉を続けた。


「必ず、原因を突き止めてみせる。どうして、あんたが――あの日、失われなければならなかったのか」


胸の奥が、小さく痛んだ。

ティナを思えば、この痛みが消えることはないのかもしれない。

それでも、もう目を逸らしたくはなかった。


「何年かかっても……必ず、答えを見つけてみせるから」


そう口にすると、不思議と心は静かだった。

決意は、熱を帯びていない。

けれど、もう揺らぐことはなかった。


風が吹き、蛇髪たちが小さく揺れる。

まるで、私の言葉に頷くように。


もう一度だけ空を見上げ、深く息を吸った。


ここに残ろう。


あの日、私の世界を照らしてくれた友の名を胸に刻んだまま。

いつか、その答えに辿り着く日まで。

セレナの過去編『蛇髪の少女と失われた光』は、これにて完結です。


本編では魔法の知識に長け、研究にも熱心だったセレナ。

彼女がなぜ魔法を学び続けてきたのか、その背景を描いた物語でした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次の過去編もお楽しみいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。