蛇髪の少女と失われた光③
翌日の放課後。
図書棟で本を読んでいると、廊下の向こうから慌ただしい声が響いてきた。
「誰か、保健室の先生を呼んで!!」
「しっかりして……!」
何事かと本を閉じ、急いで廊下へ出る。
そこには、小柄な下級生の女の子が横たわっていた。
周囲には数人の生徒が集まり、心配そうに彼女を覗き込んでいる。
女の子は薄く目を開けているものの、意識は朦朧としているようだった。
「何があったの?」
声をかけると、傍らに膝をついていた下級生が振り返った。
「セレナ先輩……さっきの実技演習が終わった後、教室に戻る途中で急にふらついて、そのまま倒れたんです」
しゃがみ込み、倒れている女の子の手に触れる。
「……冷たい」
ひどく冷えていた。
魔力をうまく循環できず、身体の活力が失われていくときに見られる症状だ。
「……魔力枯渇の兆候ね」
「でも、魔力枯渇って、普通は徐々に弱っていくものですよね? こんなに急に倒れることなんて……」
下級生の声が震える。
そのとき、倒れていた女の子の唇がかすかに動いた。
「……す……われ……」
「え?」
「……吸われた……みたい……で……」
聞き取れたのは、そこまでだった。
次の瞬間、女の子の瞼が静かに閉じた。
「まずい! 意識を失ったわ!」
咄嗟に声を上げると、周囲の生徒たちが慌てて道を空けた。
ほどなくして保健室の教師が駆けつけ、女の子は担架に乗せられて運ばれていく。
その姿を見送りながら、さっきの言葉が頭から離れなかった。
(……吸われた?)
いったい、何に――?
「セレナ?」
聞き慣れた声に振り返ると、ティナが心配そうな顔で駆け寄ってきた。
私と、運ばれていく女の子を見比べて眉を寄せる。
「誰か倒れたの? ねぇ、大丈夫……?」
「……魔力の問題よ。詳しいことは、まだわからないわ」
「そっか……怖いね」
ティナは不安そうに、私の袖をそっとつまんだ。
その小さな仕草が胸に刺さる。
ティナが隣にいても、先程倒れた後輩の、閉じていく瞼の光景が何度も脳裏に蘇った。
◇ ◇ ◇
その日を境に、学院では妙な噂が広がり始めた。
「また倒れた生徒が出たらしい」
「でも、一晩で目を覚ましたって聞いたよ」
「原因不明の魔力低下……?」
噂は曖昧で、内容も食い違っている。
教師たちなら何か知っているのかもしれないけれど、詳しい情報は出てこなかった。
(……でも、確かに増えている)
図書館では、また一人、力なく座り込んでいる生徒を見かけた。
魔力測定器室でも、半数ほどの生徒が普段より低い数値を示していた。
そして極めつけは――
魔術理論室の魔道具が、突然「ゼロ」を示したことだった。
「なんで? さっきまでちゃんと動いてたのに」
「壊れた? いや……この機器、壊れたことなんて……」
生徒たちがざわつく中、頭に浮かんだのは、あのとき聞いた言葉だった。
(……“吸われた”)
倒れた後輩の震える声が、耳の奥に蘇る。
いったい何に、魔力を吸われたというの。
考えても答えは出ず、胸の奥に冷たいものが広がっていった。
そんな中――
「セレナー! 今日お昼、一緒に行こ!」
「……ええ」
いつもと変わらない笑顔。
けれど――昼休みの中庭で食事をしているとき、ふと気づいた。
ティナの手が、わずかに震えている。
「ティナ」
「ん? なぁに?」
蛇髪たちも気づいたのか、ティナの方へ揃って顔を向ける。
「……体調、悪いんじゃない?」
「あはは、平気だよ~。ちょっと寝不足なだけ!」
ティナはいつもの調子で笑ってみせた。
けれど、その笑顔にはどこか力がなかった。
「本当に?」
「ホントホント。ほら、わたし支援魔法得意だし、魔力の扱いは慎重だから!」
そのときだった。
ティナが紙コップを取ろうと手を伸ばした瞬間、指先からほんのわずかに光が漏れた。
「……え?」
ティナ自身も目を丸くする。
支援魔法を暴発させるような子じゃない。
それだけに、今のかすかな光が妙に引っかかった。
「ティナ。今の……」
「たまたまだよ! ねっ?」
無理に笑おうとするティナの声が、わずかに震えていた。
(……まさか、ティナにも何か?)
この学院で起きている異常が、ゆっくり、確実に私たちに近づいている気がしてならなかった。
そのとき、廊下の方がにわかにざわついた。
「え、何? 先生たちだらけじゃない?」
「魔術理論室……閉鎖?」
私とティナが振り返ると、複数の教師が険しい表情で学院内を行き交い、各教室や廊下で生徒たちに声をかけていた。
「魔力測定器の使用は、本日は中止とします。理由は後日説明します」
「魔術理論室には近づかないように。いいですね?」
「何があったんですか?」
「……心配する必要はありません。今は指示に従ってください」
そう告げる教師たちの表情は硬い。
何かを知っているのは間違いなさそうなのに、それ以上を話す様子はなかった。
学院全体が、ざわめきに包まれていく。
その後ティナと別れ、一人で中庭へ足を向けた。
見上げた夕空は、昨日と同じはずなのに、どこか薄暗く感じられた。
(……どうして、こんなに嫌な予感がするの?)
風に当たっても、不安は消えてくれない。
むしろ夕闇が深まるほど、その不安も少しずつ濃くなっていくようだった。
◇ ◇ ◇
実技演習の開始を告げる鐘が鳴ると、演習場に張りつめた空気が満ちていった。
ここ数日、学院で続いている異常のせいか、誰もがどこか落ち着かない様子で周囲を見渡している。
私とティナは、いつものようにペアを組んだ。
連携魔法――攻撃魔法と支援魔法を同時に発動させる、二人の相性の良さが最も出る演習だ。
「セレナ、今日もよろしくね!」
ティナはいつもの明るい笑顔を向けてきた。
けれど、その表情にはわずかに疲れが滲んでいる。
(……なんで、そんなに無理して笑うのよ)
昨日からの不安は、まだ消えていなかった。
「じゃあ……始めましょう」
私が炎属性の魔法を詠唱し、ティナは胸の前に両手を掲げ、支援魔法の構えを取る。
支援魔法の発動は、自らの魔力を外へと開く技。
そこへティナの力が重なれば、私の魔法はさらに鋭さを増す。
やがて二人の魔力が絡まり、共鳴し始めた。
そのとき――
ティナの肩が、びくりと揺れた。
「……あれ?」
ほんの小さな異変だった。
けれど、昨日のことが頭をよぎる。
「ティナ?」
「う、うん……大丈夫。少し、胸が……熱い……?」
「熱い……?」
あのとき倒れた後輩の手は、ひどく冷えていた。
正反対の症状にも思える。
それでも、胸の奥に引っかかるものがあった。
ティナの指先から、支援魔法の光が生まれた。
けれど、その光はいつものように安定せず、かすかに揺らいでいる。
(……やめたほうがいい)
胸騒ぎが、はっきりとした危機感に変わった。
「ティナ、待って――」
――空気が揺らいだ。
演習場の空間そのものが、一瞬だけ歪んだように見えた。
風が止まり、周囲の音がふっと遠ざかる。
まるで、そこだけ世界から切り離されたかのように――。
「……っ!?」
ティナの胸元が突然、淡い光を帯びた。
魔力が外へと流れ出す、支援魔法の“流路”が開ききっている。
(何よ、これ……?)
そして、その光がふっと吸い上げられるように揺らいだ。
「セレナ……? なん、か……変……」
ティナが胸元を押さえ、膝を折りかける。
「魔力を止めなさい! 流路を閉じるのよ!」
「と、止まらない……ねぇ……魔力が……逆に……抜けて……」
ティナの言葉に、背筋が冷たくなった。
支援魔法なら、自分の意思で魔力を送り出しているはずだ。
なのに今は違う。
ティナの胸元から伸びた光が細い糸のように揺れ、その先へと吸い込まれていく。
「ティナッ!!」
私は彼女の身体を支えようと、慌てて駆け寄った。
崩れかけた身体を抱きとめる。
けれど、腕の中のティナからは、みるみる体温が失われていった。
「……セレナ……こわ……い……よ……」
「大丈夫よ! 私がいるから!」
そう言いながらも、どうすればいいのかわからない。
ティナの声は震え、瞳から少しずつ焦点が失われていく。
「ティナ! しっかりしなさい!」
身体を抱きしめながら、必死に呼びかける。
けれど、ティナはもう言葉を返さなかった。
胸元から伸びていた最後の光が吸い上げられ、彼女の身体から力が抜けていく。
支援魔法の光は完全に途切れ、魔力の気配が――消えた。
「……嘘でしょ……ティナ……?」
耳元で呼びかけても、返ってくるのはかすかな息だけだった。
彼女の目は閉じ、意識は深い闇に沈んでいった。
誰かが駆け寄ってくる足音が、遠くに聞こえる。
教師たちの焦った声。
周囲の生徒たちの悲鳴。
けれど、私の目には腕の中のティナしか映っていなかった。
(……魔力枯渇?)
そんな言葉が脳裏をよぎる。
けれど、そんなはずはない。
演習はいつも通りの内容だった。
無茶な魔法を使ったわけでも、魔力を使い果たすほど長く続けたわけでもない。
それなのに、どうして――。
ティナの手は冷たく、感じ取れる魔力も、いつもよりずっと弱くなっていた。
さっきまで燻っていた嫌な予感が、ただの思い過ごしではなかったことを突きつけられた。
「お願いよ、ティナ……起きてよ……」
呼びかける声は、自分でもわかるほど震えていた。




