優しい朝
雨の中家に帰ると、幸運なことに親はまだ起きていなかった。
しかし起きてくるまでにもう三十分も時間がない。
急いで服を着替え、濡れた服は怪しまれないよう自分の部屋のクローゼットの中にしまった。
レインコートで作業していたとはいえ、長時間雨にさらされていたのでけっこう濡れていた。
まあ、もし起きていたとしても両親は僕の性格をおおよそ知っているのでずぶ濡れで帰ってきた僕をあきれながらも迎えてくれただろう。
……僕のことを理解してくれる、僕のことを愛してくれている。
そういう人達をこれから不幸にしてしまうことに、僕は強い罪悪感を覚えたが、それだけだった。
もう後戻りはできない。
やらなければならない。
どうしても気になったので机の上の日記に少しだけ今の気持ちを書き込んだ。
涙が出てきた。
親が起床するまで、ほんの少しでも寝ておこうと思い、ベッドで横になった。
「お兄ちゃん起きて!」
僕は史織の声で目が覚めた。
「ぁ……ごほっ、おはよう」
喉に違和感があったし、なんだか身体がだるかった。
時計を見るといつも僕が起きる時間より三十分も遅れていた。
いつも時間に余裕を持って行動しているので学校に遅刻するという時間帯ではないが、僕が寝坊するのは珍しいことだった。
「パパとママはもうお仕事行っちゃうよ?」
史織が話しかけてくる。
怪しまれないように一回学校に行く振りをしたほうが良いか悩んでいたが、風邪と言うことで学校自体休んだ方が良さそうだ。そうすれば無断欠席で親に連絡が行くという可能性もなくなる。
「そっか。なんだか身体がだるいんだ、兄ちゃん風邪引いたかも知れない、母さんに今日は学校休むって言っといてくれる?」
「えっ! お兄ちゃん風邪引いたの? 大丈夫なの?」
史織が心配してくれる。
史織は優しい子だ。
それなのに僕は、この子も不幸にしてしまうのだ。
きっと史織は、今いる小学校から転校することになるだろう。
「うん、大丈夫。薬飲んで一日寝てれば治りそうだ。まだ寝るから、母さんに学校への連絡お願いしといて」
「うん、わかった」
史織は心配そうにこちらを窺いながら部屋を出て行った。
この風邪は僕の「できる限り多くの人間を殺す」という計画にどれだけの影響を与えるだろう。
少しでも体力を回復するために、予定時刻の三時間後まで眠ることにした。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ!
セットしておいたアラームを止めた。
朝方よりも体調は少し回復しているようだ。
「よし、やるか」
僕はまだ少しだるい身体にむち打ってきちんと制服に着替えた。
学校内を歩いていても制服姿ならそうそう不審な目で見られることはないということを二回の訪問で知っていた。
すでに少しずつアドレナリンが分泌され初めていて、あまり食欲はなかったけどエネルギーを摂取する必要はあった。
多分ラップにかかって僕の朝食が置いてあるだろう。
ラップのかかった僕の朝食の横に、薄いピンク色の可愛らしいメモが置いてあった。
「れいぞうこにお兄ちゃんのぶかつ用のスポーツドリンクを入れておいたからちゃんとのんでね しおり」
僕はすでに冷め切ってしまったトーストを食べ、冷蔵庫に入っていたスポーツドリンクを一気に飲み干すと、用意しておいたリュックを背負って家を出た。
家に未練がないわけじゃなかった。
未練しかなかった。
だけど僕の身体がほとんど自動的に母校への道を歩き始めていた。
三度家を振り返って、その後はもう振り返らなかった。




