第6話 古代機の目覚め
星環学園の地下第三実習場で、夜凪カイは落とした模擬剣を拾えずにいた。
午後の基礎剣術実習は、組み手の最終巡へ入っている。地上から石段を百段近く下りた円形の実習場には窓がなく、青白い魔導灯と壁沿いの通風孔だけが外界とのつながりだった。湿った石、革防具、剣油の匂いが混ざっている。カイの制服は汗で背中へ貼りつき、右手の指は三度目の打ち込みで痺れたままだった。
今日の目標は、組み手を最後まで立って終えること。それだけだった。
けれど、床に転がった木製の剣は、できなかったことを皆へ知らせる札のように見えた。対戦相手の男子は困った顔で待ち、隣の組からも視線が集まる。
「ご、ごめん。すぐ拾うから」
腰を折った瞬間、警報が鳴った。
耳を刺す鐘の音とともに、天井の魔導灯が青から赤へ変わる。床下で巨大な歯車が噛み合ったような振動が起こり、靴底から脛、腹の奥へ突き上げてきた。吊られていた予備剣が壁で一斉に鳴り、天井から砂埃が落ちる。
カイは剣へ伸ばした手を止めた。何が起きたのか分からない。分からないまま動けば、また誰かの邪魔をする。その考えが足首へ絡みついた。
「な、何だ……?」
問いへ答えるより早く、ミナが崩れかけた床を蹴って駆け寄る。
「カイ、立って!」
左腕をつかまれた。ミナだった。
赤みのある栗色の髪を肩で切りそろえ、同じ栗色の瞳を大きく見開いている。普段は笑うと頬にえくぼができる小柄な少女だが、今は唇を固く結び、細い指が食い込むほど強くカイを引いた。
二人が壁際へよろめいた直後、さっきまでカイが膝をついていた床に亀裂が走った。黒い割れ目から冷たい空気と古い鉄の匂いが噴き上がる。
「あ……ありがとう。俺、また動けなくて」
ミナは礼を受け取る間も惜しみ、つかんだ腕を支え直した。
「謝るのはあと! 足は? 痛めてない? もう、怖いときほど確認するの!」
叱った直後なのに、ミナはカイの膝へ視線を落とした。その気遣いがつらい。助かった安堵より、また守られた恥ずかしさが胸を締めつけた。
周囲では、長い銀髪を揺らすセレスが腰を抜かした一年生へ肩を貸していた。顔色は悪いが、一歩ごとに「ゆっくりでいい」と声をかけている。高く結んだ金髪を翻したリゼットは出口付近で人数を数え、返事のない名を厳しい声で呼び直した。大柄なガロウは傾いた梁の下へ肩を入れ、歯を食いしばっている。
皆が怖がりながら、自分にできることを選んでいる。
カイだけが、ミナの手を離せずにいた。
「全員、模擬剣を捨てろ。西壁へ移動」
低い声が警報を押し分けた。
天城レイガが実習場の中央に立っている。黒い教師服の上へ灰色のロングコートを羽織り、鍛えられた肩と腕が布越しにも分かった。左の眉から頬へ走る薄い傷が赤い警報灯に浮かぶ。普段から近寄りがたい強さを感じさせる教師だが、今は生徒へ向ける視線まで鋭く研ぎ澄まされていた。
「先生、これは避難訓練じゃ……ないですよね」
リゼットが問う。語尾だけが震えた。
「違う。地上へ戻る階段は、床の変形で塞がれた。まず負傷者を西壁へ」
答えは短いが、誰が何をすべきかは明確だった。生徒たちは模擬剣を放り、声をかけ合って動く。
出口側では、腕を切った一年生が自分の血を見て泣き始めた。セレスが傷口へ布を当てるが、一人では身体を支えきれない。
「カイ、そっちを持って」
呼ばれた瞬間、カイは自分でいいのかと周囲を見た。ほかの生徒は壁の補強や点呼で動いている。
「お、俺で大丈夫?」
セレスは負傷した一年生を支えたまま、周囲を一度見渡した。
「観測範囲では、ここにいて両手が空いているのはあなた一人です」
セレスの言葉は厳しくない。ただ事実だった。カイは一年生の左腕を自分の肩へ回し、なるべく揺らさないよう西壁まで運んだ。少年の呼吸が乱れるたび、自分まで怖くなる。それでも「もう少し」と声をかけ、座らせるところまで手を離さなかった。
大きなことはできない。だが、立ち尽くす以外にも選べる行動はある。その実感が、まだ震える脚を少しだけ動かしやすくした。
「カイ、歩ける?」
差し出された手に頼りきりたくなくて、カイは震える脚へ力を込めた。
「う、うん。自分で行ける」
ミナの手を借りたままではいけないと思い、カイは一歩踏み出した。足は震えていたが、今度は止まらなかった。
その時、床の亀裂から一定の間隔で金属音が響いた。
ガロウが梁を支えたまま眉を寄せる。
「下だ。空洞が鳴ってる」
実習場の床は厚い岩盤へ直接造られていると、授業で聞いていた。地下第三実習場より下に施設があるという話はない。
レイガは亀裂の縁へ膝をつき、手袋を外して石へ触れた。頬の傷が強張る。
「全員、さらに下がれ。直下に封鎖壁がある。走るな、負傷者を先に通せ」
聞き慣れない言葉に、セレスの目が亀裂の奥へ鋭く向いた。
「先生も知らなかったんですか」
セレスが一年生を座らせながら尋ねた。
「存在は記録で読んだ。入口がこの実習場へ直結しているとは聞いていない」
レイガが掌を上げる。亀裂を覆うように白い光が広がり、崩れかけた床を支えた。
だが振動は止まらない。
床の中央へ円形の切れ目が走った。石床そのものが古い蓋だったように、幾つもの区画へ割れて沈み始める。白い光に受け止められた石板の下から、狭い階段と黒い金属扉が現れた。
つまり実習場は、知らないうちに封印区画の天井兼入口として使われていたのだ。
冷気が階段から流れ込み、汗で濡れた背中を冷やす。錆の匂いの奥に、雷雨の前に似た刺激臭が混じっていた。
階段は人が二人並べるほどの幅しかなく、壁には学園で使う魔導灯とは違う細い発光線が埋め込まれていた。線は長く消えていたらしく、奥から順番に弱い紫色を取り戻していく。石段には埃が積もっているのに、その中央だけ新しい靴跡が三筋残っていた。
カイは喉を鳴らした。封印区画が今日初めて開いたのなら、足跡の主は学園側から入った者ではない。別の入口を使い、先に機械室へ侵入していたことになる。
「先生、階段に足跡があります。三人くらいです」
レイガはカイの視線の先を確かめ、片手で接近を制した。
「触るな。術式の残滓がある」
レイガが白い光を薄く広げると、足跡の周囲から黒い煙が浮いた。踏んだ者を眠らせる仕掛けだったらしい。カイは知らずに近づきかけた自分の靴を引き、背筋へ冷たい汗を流した。
「何で、急に開いたんだろう」
ミナが呟く。
「自然に開いたんじゃない」
レイガは扉の中央を指した。古いはずの金属面に、細い傷が何本も走っている。工具か術式で外からこじ開けようとした跡だった。
「誰かが封鎖機構へ触れた。その反動が実習場まで来た」
カイの胃が冷える。事故ではなく、人が起こした可能性がある。
階段の奥で、低い駆動音が始まった。レイガは生徒を残して単独で下りようとしたが、金属扉の向こうから衝撃が走り、階段の壁が崩れた。
「先生!」
ガロウが梁を放して駆け出そうとする。
「持ち場を離れるな」
レイガは片腕だけで落石を受け止めた。鍛えられた腕はわずかに沈んだだけだった。もう一方の手を振ると、白い光が石を壁際へ積み直す。
圧倒されていたカイの耳へ、階段の奥から別の音が届いた。
石を踏む靴音。三人分。しかもこちらへ近づいてくる。
「せ、先生。下に人がいます。三人……たぶん」
自信がなく、最後が小さくなる。
レイガはカイの顔を見た。
「聞き分けたのか」
問われたカイは自信を持てず、警報の重なる音へ耳を澄ませ直す。
「警報の間に、同じ間隔で……間違ってたら、ごめんなさい」
レイガは謝罪を切るように短く首を振った。
「謝るな。情報として受け取った。次の音を報告しろ」
その一言で、カイの観察が皆の判断へ加わった。役に立てたという小さな熱が胸に生まれる。
レイガは階段を塞ぐ位置へ移り、生徒たちへ背を向けた。
「ミナとセレスは負傷者。リゼットは点呼を継続。ガロウは梁。カイは聞こえた音を教えろ。誰も階段へ近づくな」
黒い金属扉が、内側からゆっくり開いた。
その向こうには、実習場と同じ広さの封印機関室があった。継ぎ目のない七重の金属環が闇の中へ沈み、眠ったまま淡い光を脈打たせている。
カイたちは、学園の真下に隠されていた古代機を初めて見た。
そして環の手前で、三つの黒い人影がこちらを振り向いた。
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【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:基底人族
個体ランク:G
レベル:Lv.6
HP:8/18(ランクG)
魔力:1/10(ランクG)
攻撃:4(ランクG)
防御:3(ランクG)
速度:5(ランクG)
技能:基本剣術(ランクG・Lv.1)
状態:入学候補・未登録。現世の基礎鍛錬段階で、七技法は未修得。




