第55話|赤帝の採点
赤帝・赫堂バルガは、救助訓練場の中央で囁いた。
「勝ちたいものを言え」
身体はガロウより一回り大きい。赤い外套を肩へ掛け、両腕には武具も防具もない。普段は廊下の端まで届く声で笑う男だと聞いていたが、戦闘開始を告げた途端、声だけが小さくなった。
訓練場には、昨日の地下階段が再現されている。石壁、二十一段、第一踊り場。壁の向こうには重さの違う救助人形が六体。人形の位置は五人へ知らされていない。
「全員で帰ります」
カイが答える。
バルガは首を横へ振った。
「全員って誰だ」
「班員と救助対象です」
バルガは答えを刻ませるように、さらに声を落とした。
「救助対象は何人だ」
「分かりません」
訓練場の鎖が、風もないのに細く鳴った。
「なら勝利条件になってねえ。終わったかどうか、誰が決める」
言葉に詰まる。
地下では人数を確定できない。分からないから救わないのは違う。だが「全員」という言葉へ逃げれば、永遠に終われない任務にもなる。
バルガが右拳を握った。
空気が赤く震え、階段の天井へ圧力が走る。石は壊れない。代わりに、六体の人形を吊るす鎖が一本ずつ軋んだ。
「俺の《赤帝闘冠》は、宣言した勝利条件の中で圧を出力へ変える。今の宣言じゃ、何を守ればいいか俺にも分からん」
「壊す力なのに、守る条件が必要なんですか」
ミナが聞く。
「壊すだけなら条件はいらねえ。戦場全部を吹き飛ばせばいい。欲しい結果を残して、それ以外を壊すから条件が要る」
訓練開始の鐘が鳴った。
一本目の鎖が切れる。
カイは黒影歩を使わず、人形の落下線へ走った。基本剣術で鎖を受け、刃の腹を滑らせて落下方向をずらす。ガロウが床へ片膝をつき、人形を受け止めた。
「一体!」
セレスが記録する。
次の二体は左右へ離れている。ミナが火花を鎖の留め具へ灯し、位置を示す。リゼットは一つの条件を表示した。
《人形を床へ落とさない》
全員が同意する。
ガロウは右へ、カイは左へ走った。
カイなら迅雷駆で先に着ける。だが直線三射の速度を狭い階段で使えば、救助人形へ衝突する。黒影歩も安全十五歩だが、人形を伴って移動できるとは確認していない。
通常の足で間に合うほうを選ぶ。
二体目をセレスが縄で引き、カイが肩で受ける。三体目はガロウが両腕で抱えた。昨日の疲労が残る腕が震える。
「交代してくれ!」
ガロウが叫んだ。
ミナが人形の脚を持ち、リゼットが背を支える。三人で床へ下ろす。
バルガは攻撃してこない。ただ鎖を切り、五人の判断を見ている。
四本目が切れた時、壁の裏で小さな鐘が鳴った。
セレスが顔を上げる。
「記録にない音です」
地下で聞いた打撃音に似ている。カイの意識が壁へ向いた。その一瞬、四体目の人形が階段へ落ちる。
蒼天鎧を一層だけ展開する。青い膜が人形を受けるが、十五呼吸しか保たない。
「壁を調べる? 人形を運ぶ?」
リゼットが問う。
カイは答えかけ、止まった。
どちらも必要だ。けれど同時には取れない。
「今確認できている四体を安全線へ運ぶ。音の位置は記録して、全員が動ける状態で戻る」
「それで壁の向こうが手遅れになったら?」
バルガの低い声が飛ぶ。
「その可能性は残ります」
「負けを認めるのか」
カイは安全線へ運びかけた四体を見た。
「はい。全部を救えると言って、目の前の四体まで落とすよりは」
バルガの赤い圧が強まった。
五本目と六本目の鎖が同時に切れる。
カイは四体目をミナへ預け、階段中央へ立った。左の人形は鏡砕返しで衝撃方向を一度だけ変え、ガロウの前へ流す。右の人形には届かない。
黒影歩を一歩だけ使った。
十五歩まで行けるからと距離を伸ばさない。必要な一歩で右へ入り、基本剣術の柄で人形の胸を受ける。重さが腕から背へ抜け、右脚へ痛みが走る。
六体すべてが床へ落ちずに止まった。
だが壁の鐘は、止んでいた。
セレスの記録には、鳴った時刻と方向しかない。何回鳴ったかは、五人で違った。
バルガが拳を開く。赤い圧が消え、訓練終了の鐘が鳴った。
「採点。人形救助は合格。未知の音への対応は不合格。総合、敗北だ」
ミナが悔しそうに唇を結ぶ。
「六体とも助けたのに?」
「人形の数は最初から教えたか?」
誰も答えない。
「六体で全部だと、いつ決めた。俺は壁の向こうに七体目を置いていた」
壁が開く。
奥には、小さな子どもの形をした人形が一体、椅子へ座らされていた。青い紐を手首へ結ばれている。
カイの胃が縮む。
目に見えた六体を守り、見えない一体を置いてきた。地下の仮番号四百十七と同じ構造だった。
「では、どう宣言すればよかったんですか」
リゼットが尋ねる。
「俺に答えを聞くな。条件を決めるのは現場だ」
バルガは七体目の人形を抱え、五人の前へ置いた。
カイは考える。
人数が分からない任務でも、終了を決める観測手順は作れる。確認済み区域、未確認区域、撤退時刻、再入域条件。全員という願いを、判断できる形へ分ける。
「勝利条件は三つです」
カイは言った。
「第一に、確認した救助対象を全員、生存状態で安全線へ運ぶ。第二に、未確認区域をゼロにするか、残った区域と理由を記録して次の班へ渡す。第三に、班員全員が帰還し、欠落の有無を別々の記録で照合する」
「時間切れなら?」
カイは三つの条件を指で一つずつ数えた。
「未確認区域を残した時点で、救助完了とは言いません。部分成功と報告して、次の救助を要請します」
「敵を逃がしたら?」
バルガの赤い外套が、圧に押されて揺れた。
「救助対象を置いて追いません」
「格好悪く負けるぞ」
仲間の視線を受けたまま、カイは頷いた。
「負けたと報告します」
バルガはしばらくカイを睨んだ。
次の瞬間、大声で笑った。訓練場の壁が震え、いつもの赤帝へ戻る。
「やっと欲しいものを言ったな! 勝利を捨てるんじゃねえ。欲しい勝利が、敵を倒すことと違うだけだ!」
ガロウの顔が明るくなる。ミナは七体目の青い紐を結び直し、セレスは三つの条件を別々の札へ写した。リゼットは解除条件を加える。
《観測そのものが改変された場合、完了判定を保留する》
バルガは最後に声を落とした。
「明日は人形じゃない。壁の向こうにいる一人目を連れ帰れ。強さを見せるな。欲しい結果を残せ」
カイは七体を数えた。
一度数え、別の順で数え、仲間の記録と比べる。
七体。今は一致している。
明日の地下で、一という数字さえ消されるかもしれない。
それでも、終了を曖昧な「全員」へ預けず、何を確認し、何を残し、何を次へ渡すかは決められる。
初めての市民救助依頼は、敵を倒す試験ではない。
忘れさせられても、救助を終わったことにしないための試験だった。
バルガは帰ろうとする五人を呼び止めた。
「もう一回だ。今度は俺が条件を変える」
七体の人形が元の位置へ戻される。ただし、鎖は切れない。代わりに訓練場の出口が三つへ増え、それぞれに《安全》の札が掲げられた。
「どれか一つが本物。二つは外へ出る途中で床が落ちる。俺は答えを知っているが、教えん」
「救助対象は七体で確定ですか」
カイが最初に確認する。
バルガが歯を見せた。
「今度はそこから聞くか。七体で確定。訓練中に増減なし」
「制限時間は?」
バルガは訓練場の砂時計を反転させた。
「二十分。三つの出口を全部調べる時間はない」
セレスが床の埃、ミナが空気の流れ、ガロウが扉の重さを確認する。リゼットは三つの条件を一文へまとめようとして止めた。
「安全路を当てることを勝利条件にしない。誤った時に戻れる距離を残す」
五人は最も証拠の多い中央を選び、最初の人形一体だけを運ぶ。カイが先に走って安全を証明する案は退けた。一人が通れても、人形を抱えたガロウやミナが通れるとは限らない。
中央出口の五歩先で床が沈んだ。
罠だ。
だが全員が入口側へ重心を残し、人形にも二本の縄を付けていた。ガロウが引き、ミナが足元を照らし、カイが基本剣術で崩れる床板だけを跳ね上げる。誰も落ちず、一体も手放さず戻った。
「失敗一。負傷ゼロ。対象喪失ゼロ。中央は不通」
セレスが記録する。
残り時間は十二分。右出口を選び、七体を二往復で運ぶ。最後の一体が安全線へ入った時、鐘は残り一呼吸を告げた。
バルガが採点板へ大きく丸を付ける。
「一度外しても終わらなかった。これが欲しかった。最初から正解する強さじゃねえ。間違えた後に、人と時間を残す勝ち方だ」
カイの右脚には黒影歩一歩分の痛みが残っている。出力は上がっていない。新しい技も得ていない。
それでも、以前なら自分が先に全ての出口を試し、倒れるまで正解を探した。今回は仲間と一体目を試し、失敗を共有し、次の判断へ情報と体力を残した。
バルガは採点板をカイへ渡す。
《勝利条件を敵撃破から救助完了へ変更。誤選択後の再試行余力を確認》
明日の地下では、赤帝が答えを用意してくれない。床が落ちても、消えた人数を教えてくれる者はいない。
だからこそ五人は、完璧な一手ではなく、次の一手を残す準備を持って救助へ向かう。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:七紋人
個体ランク:B
レベル:Lv.22
HP:302/320(ランクB)
魔力:403/430(ランクB)
攻撃:136(ランクB)
防御:119(ランクB)
速度:150(ランクB)
技能:基本剣術(ランクB・Lv.8)/黒影歩(ランクB・Lv.7)/迅雷駆(ランクC・Lv.2)/鏡砕返し(ランクC・Lv.1)/焔皇砕(ランクD・Lv.1)/蒼天鎧(ランクC・Lv.2)/虚空掌握(ランクD・Lv.1)
状態:通常安全出力B・条件付き上限A。第51〜58話は実戦C〜B級相当だが、事務上の評価・所属とは区別する。




