第45話 仮登録の朝
星環学園の東門を出てすぐ、石造りの建物に銀色の剣と翼を組み合わせた看板が掲げられている。
冒険者ギルド星環支所。
カイは入口で立ち止まり、胸の星徒章と建物を見比べた。学園へ初めて来た朝にも、同じように門前で足が止まった。ただし今は、入ってよいか分からない恐怖だけではない。初めて班で依頼を受ける期待が、落ち着かない熱となって腹の奥にある。
扉の向こうは朝から騒がしかった。
正面の掲示板には討伐、採集、護衛、調査の依頼票。右手には防具と道具を広げる装備検査場。左手の大扉は負傷者搬入口で、泥のついた担架が二台並んでいる。奥の階段は正規登録者用の会議室へ続き、仮登録者は赤線より先へ入れない。
学園階梯とギルド信用は別制度だ。星徒だから依頼を選べるわけではなく、ギルドでの実績も学園内の戦闘順位へそのまま加算されない。
「五人、横に広がらない。搬入口を塞いでるわ」
受付から声が飛んだ。
そこに立つ女性は二十代後半ほどで、濃緑の髪を首の後ろで短く束ねていた。動きやすい灰色の制服には飾りがなく、両手には古い切り傷と火傷の跡がある。笑えばきれいな人だろうとカイは思ったが、今は愛想より書類の順番を優先する目をしていた。机の上の紙束を一度も崩さず処理する手つきから、現場も事務も知る実務家だと分かる。
五人が慌てて壁際へ寄ると、受付官はようやく顔を上げた。
「星徒章、推薦状、本人確認票。順番に」
受付官の指先が、磨かれた窓口を三度たたく。
「よろしくお願いします!」
ミナの声が大きすぎて、近くの冒険者が振り返る。彼女は耳まで赤くなり、書類を両手で差し出した。
受付官は五人分を確認し、規則を読み上げる。
カイの票の裏には黒帳院からの非公開照合印があった。合同戦で逃走した銀刺青の術者は、黒帝側が追う「王痕門干渉事案」の追跡対象と残滓が一致する可能性がある。ただし本人の名も黒帝本人の命令もなく、仮登録者へ追跡を任せる印ではない。受付官は照合番号だけを別紙へ写し、未調査区域へ入らない規則を赤線で囲んだ。
さらに蒼廷院の規則票には「追跡対象の痕跡を発見しても、依頼範囲を拡張しない」とある。赫陣院の戦闘評価票は空欄で、実地で何を倒したかではなく、何を壊さず帰ったかも記入する形式だった。三枚はまだ別々の紙だった。
「仮登録。監督者同伴。F級相当の低危険依頼のみ。討伐の単独受注、夜間活動、未調査区域への侵入は禁止。違反すれば学園の星徒章とは別に、ギルド資格を停止します」
言葉は厳しいが、脅しているのではない。負傷者搬入口を一度見た時、目がわずかに曇った。その傷と同じ失敗を増やしたくないのだと、カイは感じた。
能力票を読み込ませた瞬間、受付の術式盤が甲高い音を立てた。
《保存技能 S級二種/A級五種》
広間が静まり、すぐにざわめきが広がった。
「S級二種?」「学園生だろ」「討伐隊へ回せ」
カイの肩が強張る。以前なら、注目から逃げるため黙っていただろう。今は自分から受付官を見る。
「それは一億年の修行記録です。現世の通常安全出力はB、条件付き上限はA。基本剣術と黒影歩はB、迅雷駆などはCかDの限定運用です。ただし、ギルドでは実績がないので仮登録から始めます」
カイは能力票の二つの欄を指し、表示と実績を分けて示した。
「保存技能のS級やA級を依頼難度へ足すな、ということね」
受付官が赤筆を止め、本人の理解を確かめるように顔を上げる。
「はい。使えることと、安全に使えることは別です」
受付官は能力票へ赤字で二重表示を書き込み、周囲へ聞こえる声で言った。
「保存値を理由に高難度依頼へ誘う行為は禁止。本人の説明を優先します」
ざわめきが収まる。限界を口にしたのに、恥ずかしさより小さな誇りが残った。
装備検査では、ガロウが巨大な予備武器を選ぼうとして止められた。
「漏水調査に大槌は不要」
検査官は大槌と依頼票を見比べ、首を横へ振った。
「詰まりを砕くかもしれねえだろ」
ガロウが柄を抱え込む横で、リゼットの眉が跳ね上がる。
「配管ごと砕く未来しか見えないわ」
リゼットが即座に却下する。
カイも七界で使った装具を思い出したが、現世にはない物を求めるのをやめた。水筒、十五メートルの縄、覆い付き灯具、止血布、固定木、記録札。六項目を選び、誰が持つかまで紙へ書く。
受付官は縄を持ち上げ、結び目を作るよう命じた。
ガロウは力任せに締めて解けなくなり、ミナは輪を小さくしすぎ、セレスは手順を記録する間に時間を使った。リゼットだけが形を整えたが、手袋をしたままでは結び直せない。
カイは七界で覚えた複雑な結びを作りかけ、途中で手を止めた。救助者しか解けない結びでは、引継ぎに使えない。
「一番簡単な固定結びを、全員で同じ形にしよう」
五人は受付官の見本を囲み、二度ずつ結んだ。カイはミナの輪がねじれた理由を説明し、ミナはカイの指が速すぎて見えないと率直に言う。最後には、暗闇でも手触りで確認できる同じ結びが五つ並んだ。
「知っている結びより、全員が解ける結びを選んだか」
受付官は初めて満足そうに頷いた。
「依頼先で一番危ないのは、達人の道具を素人が扱えないこと。班の標準を作りなさい」
カイはその言葉を記録札の先頭へ書いた。一億年の技術を示す場ではなく、五人で同じ手順を持つ場なのだ。
「一億年修行した人が、最初に選ぶのが水筒なんだ」
ミナが笑う。
「一億年いたから、水がないと困るのはよく知ってる」
カイの真顔に、ミナは笑いをこらえきれず肩を揺らした。
「それは説得力が重すぎるよ」
自然に笑いが返り、緊張が少しほどけた。
受付官は依頼票《学園地下水路・第三弁区画の漏水調査》を机へ置いた。ただし判を押さない。
依頼票には、依頼主が学園設備部、報酬が一班銀貨十二枚、期限が本日夕刻とある。想定危険は滑落、低体温、小型水路魔獣。討伐報酬は設定されていない。
「魔獣が出たら倒さなくていいんですか」
ミナが聞く。
「調査の目的は漏水原因の特定。魔獣が原因で、排除しなければ調査不能なら対処。そうでなければ位置を記録して戻る。依頼票にない英雄行為へ報酬は出ないし、負傷も美談にしない」
負傷者搬入口から担架が一台入ってきた。泥だらけの冒険者が、仲間へ何度も「奥へ行きすぎた」と謝っている。受付官は一瞬だけそちらを見てから、カイたちへ視線を戻した。
「帰る判断までが依頼です」
五人の浮ついた気持ちが静まった。
受付官は最後に、依頼失敗時の扱いを説明した。原因を特定できなくても、進入した区画、消費した物資、遭遇した危険、撤退理由を正確に持ち帰れば報告は成立する。反対に、原因を推測で埋めたり、報酬を増やすため危険を誇張したりすれば信用を失う。
「依頼を完璧に終えることより、次の班が安全に続きをできることを優先する場合があります」
セレスが、その一文を二重線で囲んだ。
「未確定を残してもいいんですね」
セレスは二重線の内側に、あえて空白を残した。
「残すべき未確定を消す方が危険。調査者の見栄で地図は完成しない」
カイは七界で、答えが出るまで何千年でも同じ場所へ立ち続けられた。現世の依頼には期限があり、次の人へ渡す必要がある。一億年の忍耐とは別の技術だ。
五人は依頼票の裏へ、撤退時の最低報告項目を一つずつ書いた。カイは残り物資、ミナは負傷と体温、セレスは不一致、リゼットは撤退条件、ガロウは壊れた設備。誰か一人の記憶へ任せない形ができた。
書き終えた紙を中央へ置くと、五人の筆跡は驚くほど違っていた。ミナの字は勢いよく、セレスは小さく正確で、リゼットは教本のように整い、ガロウは紙を破りそうに太い。カイの文字だけ、七界で使った古い字形が時折混じっている。
「そこ、現世の字で書き直して」とリゼットが指摘した。
筆先を止めたカイが、自分の古い字形を見直す。
「読めない?」
リゼットは読めてしまった紙と、窓口の受付官を交互に見た。
「私は読めても、次の受付官が読めないかもしれないでしょう」
カイは素直に書き直した。一億年の知識も、仲間へ伝わらなければ報告にはならない。受付官は五人の紙を確認し、ようやく適性試験の開始印を押した。
「受注前に実地適性を見る。戦闘力ではなく、五人で戻れるかを確認する」
開始印の赤が乾く間、五人は自然に互いの装備を見た。
「何をするんですか」
セレスが記録具を構える。
「五人のうち一人を模擬負傷者に指定。地下訓練路から地上まで運び出す。途中で経路変更を一度入れる」
ガロウが胸を叩いた。
「運ぶなら俺だな!」
受付官は笑わず、五人の顔を順に見た。
ただし能力票を閉じる指だけは、わずかに震えていた。「仮登録でB級出力……冗談でしょう」と隣の受付官が囁き、周囲の冒険者たちも振り返る。カイは視線に肩を強張らせたが、ミナが誇らしそうに胸を張り、ガロウは自分も追いつくと言わんばかりに拳を握った。
「誰が運ぶかを、強さだけで決めた時点で不合格。試験官の指示に従って」
初依頼は、魔獣との戦いより前に始まった。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:七紋人
個体ランク:B
レベル:Lv.12
HP:312/320(ランクB)
魔力:418/430(ランクB)
攻撃:136(ランクB)
防御:119(ランクB)
速度:150(ランクB)
技能:基本剣術(ランクB・Lv.8)/黒影歩(ランクB・Lv.7)/迅雷駆(ランクC・Lv.2)/鏡砕返し(ランクC・Lv.1)/焔皇砕(ランクD・Lv.1)/蒼天鎧(ランクC・Lv.2)/虚空掌握(ランクD・Lv.1)
状態:通常安全出力B・条件付き上限A。第51〜58話は実戦C〜B級相当だが、事務上の評価・所属とは区別する。




